見出し画像

第四章②:32歳~ 東日本大震災と なんだかんだ幸せだった10年、そして奈落の底へ 【 波瀾万丈な半生を歩んで、人生折り返し地点でようやく立ち上がるまでのお話 】

KINGです。おはこんばんちは。

さてさて、第四章は10年分をまとめてるので、○いくつまでいくんかなぁ~(笑)
とりま、続き(②)を書いていきますね。

どうぞ駄文にお付き合いくださいませ。



◆ 新天地、初めての広島! 初めての…

皆さん、そろそろお気付きかとは思いますが、そうです。
KINGったら、原付免許しか!持ってないのですww
あ、D子さんは ちゃんと車の持ってますけどね。なんなら、電車移動を極力避けたいから、可能な限り車移動をしている人。

なんだけど…、さすがに 今回の引っ越し、埼玉 ⇒ 広島 の家族全員での移動を 1人で運転させるのは疲れたよなぁ。。申し訳なかった!うむ!
家財は引っ越し業者に任せたけど、自家用車まで移送させて 自分達(4人)は新幹線でってのは、金銭的に無理で。本人も覚悟のうえで 完走してくれたので、ホントに感謝感謝です!!

途中、せっかく俺の実家のある愛知県を通るのなら ということで、地元にも寄っていって一泊していきました。
ウチの親にはまだ F子ちゃんと会わせられてなかったから、親不孝者からの 少しでもの親孝行です。

タイトルにある「新天地」、広島にはそういう地名があるんですよね。
全国的にも有名な お好み村(広島風お好み焼き屋しか入ってないテナントビル)のあるエリア。
でも、そっちじゃなくて、ホントの意味の 新天地・広島! 初めての広島! ついに到着しました。

引っ越しって そもそもが慌ただしい数日を過ごすことになるもんだけど、
実は俺、東京に居る期間(20歳~34歳)で 計7回も、引っ越ししてるんですよね。(理由は、既に書いてきてる通り、度々の結婚・離婚に伴う 必要な居住スペースの変化によるもの、通勤が困難になったことなど)
なので、そういった点では慣れたもんなんだけど、今回は【広島での職探し】も急務の喫緊課題だったので(関東に居る間には間に合わなかった)、いつも以上にバタバタでした。
しかも今回は、自分(と、その時々の奥さんw)だけの引っ越しではなく、子供達も一緒なので、新しい小学校・保育園の手続きとかも加わって、ホント…バタバタでした。(引っ越す日だけ早々に決めちまうからだろ!?)

まぁそれでも、なんとか広島での新生活もスタート。
D子さんは元々、専業主婦で家に居るより 外に働きに出ていたい人だったので、2人共職探しをするわけですが、まずは早急に【収入ゼロ】から脱却することを一番に、派遣で手っ取り早く働き始められるところを見つけて。
派遣会社、及び 派遣先企業には申し訳ないけど、その就業先は紹介予定派遣案件ではなかったので、就活も並行して進めながら。(良いところだったから、そのまま正社員化できたら良かったんだけど)

しかし、それまでの給与相場の感覚で探してても、自分とスキルマッチする会社はどこも、…まぁ 収入下がっちゃうんですよね。
広島も大きな都市ではあるから そこまでは、、と思っていたけど、やっぱり首都・東京とは大きな差がありました。。。
そういう意味でも なかなか苦労した就職活動も、引っ越し後 3ヶ月ぐらいで実を結び、広島での就職先が決まりました。

ただ、その時点での自分の職歴にはない【汎用系・組み込み系開発】をメインに請け負ってる会社で、その分野での経験はなかったので と、
新卒レベルの給与設定。。。(マジか…)
一応 採用はしたけど、即現場投入できるレベルじゃないから と、
一旦 事務所内で雑務担当みたいなことをさせられてました。

入社して早々に、事務所の規模縮小のための 同ビル内での事務所移転対応を担当させられて。(基本的に従業員は派遣先に常駐しているので、事務所には役員レベルの人しか居ないので)
『(うおぉぉぉ! さすがにこんな対応、やったことねぇぞ!)』
と思いながら、楽しくもありましたw
更に、会社の統合による商号変更なんかも重なって、本社が広島ではなくなり、本社側のシステム部門の人との連携役なんかも任されました。

そんな中で、基本的に汎用系・組み込み系メインの会社だからか、オープン系に明るい社員が殆ど居ないという状況から、そっち方面のみの経歴持ちの自分に こんな社内システム開発を指示してきたんです。

「データベースソフトとか一切使わずに、Excel だけで動く、
 社員の経歴情報管理システムを作ってくれ」と。

…え? DB、使わずに? Access も使っちゃダメなの???

なんか、使うのが役員クラスのみのシステムにする想定で、
Access とか使われたら よく分からんし、
俺が現場出るようになったら 改修対応とかできる人材居ないから、
というのが理由らしい。
…ふーん。
(その改修対応の間、一旦 俺の常駐解除して対応させれば良くね?
 そんな何週間も掛かる改修とか多分ないだろうし、
 それぐらい客先と調整してくれよ…)

まぁ、Excel も Access も、データを扱うソフトだし、現状の社員データぐらいの規模なら、DB じゃなくても管理しきれるやろ!と、Excel でエセDB 用意して、システムファイル側は エセDBファイルからデータ抽出してくるようにして、なんとか作りきりましたよ。
対Excel じゃ SQL 使えないから(DBじゃないしw)、どうやって効率的に抽出してくるか考えなきゃで、それはそれで楽しめましたけどね。笑

と、それまでに経験したことない対応を色々させてもらってて、
その内、とうとう組み込み系開発現場へ投入される日が来まして。。

Android OS、及び Android 対応アプリ開発してるところだったんですけどね、現場。
まぁ、Java ができればすんなり対応できてたんでしょうが、いかんせん Java にはあんま触れてきてなかったもんで。ついでに、Linux とか、触ったこともねぇし。目新しいものだらけで、結構大変でした。
何より大変だったのは、毎日 高速使って通勤しなきゃ行けないぐらい遠方だったことですね。。
あ、もちろん 車運転できないんで、同タイミングで同じところに配属された同僚で、俺と同じく居住地を変えたくないから車で通勤するっていう人(後輩)に 途中で拾ってもらって、同乗させてもらう形での通勤です。
先でも触れたように、子供の頃から車酔いするうえに パニック障害もあるもんで、ホントに続けられるんやろか…と不安でしたが、薬の効きも良く、なんとか 1年弱は その現場で頑張れました!(エラい!←)

ただ、、やっぱり30代半ばで 新卒レベルの給料じゃ、家族養ってけないんすよ。。。
て わけで、転職活動も並行でし始めて、次の会社が決まったので、1年弱でその過酷な状況(主に通勤)から脱出できたのであります!パチパチ!

ということで、広島に移って 2年が経つ頃には、オープン系開発がメインの会社への転職を果たし、給料も(東京の頃ほどではないにせよ)上がって、仕事は なんとか順調に運んでいったのです。

仕事は、、ね。


◆ 息子の様子が、、おかしい!

息子、E太郎くんのことです。
広島での仕事周りのことにばかり触れてましたので、ここでプライベートについても。

時は遡り、広島に引っ越してきたばかり、新しい小学校に転校した頃。
当時 小学1年生だったこともあり、埼玉の小学校には 7月までの数ヶ月しか通っていなかったので、友達との別れとかのツラさは そんなに無かったようで。新しい環境にも 割とすんなり馴染んでいってくれていました。(そう、見えていました)

しかし、数ヶ月、1年と過ごす内に、

「なんか、友達にイヤなこと言われたって、泣いて帰ってきた」だの、
「なんか、友達とケンカして、顔に傷付けて帰ってきた」だの、
「学校から登校してこないって連絡があって、急いで帰宅したら
 家に戻ってきてた」だの、

度々そんな連絡が D子さんから入ってくるようになりました。

まぁ、俺からしたら ケンカとかについては『それぐらいは 男の子は普通やろ?』ぐらいに捉えてたんですね。
もちろん、E太郎くんとはしっかり向き合って話して、コトの真相をハッキリさせたうえで、学校側や友達側に 明らかに非がある!と感じたコトに関しては、モンスター化して しっかり、かぁ なぁ りぃ しっかり、苦情申し上げてましたけどね。

ただ、やっぱり それまでずっと近くで見守ってくれていた埼玉の祖父母と離れてしまうことになったこととかも含め、ストレスを抱えさせてしまってはいるんだなぁ…と、より慎重に見てあげてないといけないな と思いました。

小学2年生の頃でしたかね。

「…E太郎が、万引きしたって、お店の人から連絡きて、、、」との、
D子さんからの連絡。。
どうやら、近所のスーパーで、お菓子を(結構大量に)ポケットに詰め込んで そのまま帰ろうとしてるところを、とっ捕まったとのことで。
…ん まぁ、正直、俺も 万引きしたことあったけどさぁ…。(すみません)

良いことは良い。悪いことは悪い。
悪いことしたときは、それをしっかり反省してもらって、反省のためには「どうしてそれがいけないことなのか」を しっかり理解してもらわなければいけない。
それが、俺の考え方でした。
向き合って話して、泣きじゃくる E太郎くんが泣き止むのを待ちながら、また話し、ちゃんと理解してくれたと見て取れるまで話す。

それで、しばらくは大人しくしててくれてるんです。しばらくは…。
しかし、

「なんか、E太郎が 友達のカード(遊戯王とかの)盗んだって…」
「また 同じ店で万引きしたって。もう入店禁止って言われた…」
「…E太郎が、ランドセルは家にあるんだけど、全然帰ってこない…」(確か、20時頃)

その度に話して、一旦は大人しくなってくれるんですが、
ちょくちょく こんな連絡が、D子さんから入ってくるんですね。

急いで仕事を片し、急いで帰宅して、
向き合って話したり、
真っ暗な中 近所を探し回ったり。
そんなことが 度々ある、小学低学年を過ごしてました。


はい、第四章はまだ続きます。
お次は

で、お会いしましょう。
続きはどうなることやら、、、

↑↑↑ エンジニア777 サービス紹介 ↑↑↑

よろしければサポートお願いします!