話すことでしか、得られないものがある。
突撃インタビューをしていて、気づいたことがある。
ただ話すだけでは、何も得られない。
では、どういう対話なら何かを得られるのだろうか?
月10人ほどのほぼ初対面の方と話してきた中で見えてきたことがある。
それは流動的で継続的な対話でこそ、新しいものが生まれるということだ。
なぜ流動的、継続的なのか。
流動的を言い換えると双方向的といえるかもしれない。
誰かに言われて、企画参加が必須だったから…
これは固定的で一方的だと思う。
それが悪い訳では無いけれど、自発的でない分当たり障りのない内容になりがちだ。
業務話など、ある程度話すことも決まってしまう。
それだと枠組みのなかで動いているような違和感を感じる。
「話す」って1on1ってもっと自由でいいはずだ。
何かを話さなきゃ何かを得なきゃと身構えるのではなくて、あえて頭を真っ白にして聞いて浮かんできたものを言語化する。
そして自分の話ばかりしない、質問ばかりしない。
インタビューって質問の側面が強いかもしれないけど、素人がやったら下手したら尋問になりかねない。
人は自分だけ話を引き出されていると不満を持つと思う。
相手のことを何も知れないで自分だけ話している?と感じてしまうのだ(少なくとも私は…)。
そのバランスをとることは難しいけど、もしうまくいけば。
業務では関わらない人と、業務以外の話ができて、視野も広がるし自分の新たな発見にもつながる。
それは本を読んでいるだけでは得られない感覚だ。
初対面の方と話すことはすごく緊張するし、どうやって次につなげるかただ話すだけで終わらせないか、も考える必要がある。
それが、継続的だ。
1回だけでは、不完全燃焼というか中途半端になってしまうことがある。
時間が限られていればなおさらだ。
ならば、どうやって継続的にするかと言うと、身近な人に突撃することがひとつかもしれない。
全く繋がりがない方だと、関係を継続していくのは至難の業。
だから、まずは今後もどこかで関わりそうな人、今いるコミュニティにいる人から始めてみる。
そうすれば、時間が空いたとしてもどこかでご一緒して話す機会が増えるかもしれない。
逆に突撃がきっかけでつながりができて、継続的に関わることにもなるかもしれない。
それを意識するだけでも違うと思う。
話すことでしか得られないことは確実にある。
それはただ「話す」ではなくて、流動的継続的かどうかを考えてこそ、見えてくるものだと思う。
それを胸に、私は突撃インタビューを続けていきたい。
具体的なゴールはまだ曖昧だけど、いただいたご縁をどう活かすかつなげるかお返しするか、を考えて実践できれば。
また一回り人として成長できるはず。