見出し画像

30歳からはもう老後だと思っている

やっと無職らしい日記を書く。画像の猫(飼い猫のコジローさんだ)みたいに、さも家の主人かのように夕食時に空気も読まずにテーブルのど真ん中に寝っ転がりたい。

猫はいい。距離感がいい。お前の世話になってないぜみたい顔して寝てるくせに、いざとなったら甘えてくるのがいい。そういう自己中なとこが猫のいいとこだ。変わり者とか、芸術肌の人、社会からはみ出した奴らは猫好きが多いイメージだ。僕も猫と相性がいい。一日中眺めてても飽きない。逆に犬は愛想が良すぎて人間に媚びているように映ってします。言う事を聞くとか、従順というのは一種の諦めのようにも捉えられる。まあ、ただ単に僕が歪んでいるだけなのかも。

さて、僕は30歳ぐらいからはもう老後でいいんじゃないかと思ってる。

ティーンエイジャーだった頃や20代だった頃と比べて明らかに体力もなくなってるし、結婚と(幸運なことに)身内との死別以外の大体のイベントは経験した気がする。世の中には僕よりも壮絶な人生経験や波乱万丈な人生を歩んだりする人もいるけど、比べても意味ない。

若い頃は誰かと比べて劣等感やコンプレックスを勝手に感じて落ち込んだりもしたけれど、29歳現在の今はそんなのは無意味だと気付いてる。それに僕は結構運命論者で、人生なんてなるようにしかならないとか、運的な物で左右されるとか考えている。

運の力が強い人は偉人や社会的に成功している人も多い気がする。松下幸之助とかジョブスとかも運は大事だ的な事言ってた気がする。松下幸之助が山に囲まれた場所に生まれてたらPanasonicはなかったんじゃないだろうか?宇宙みたいな話になるからもうやめるけど、The Beatlesも運だ。ジョンもポールもジョージもリンゴも運だ。強烈に運と神様に愛された人物達だったんじゃないか?

どうでもいい事を書いたけど、僕は無職になる前の2016年の7月と10月にタイに旅に行った。人生初の海外だった。10年のパスポートを作って中部国際空港から直行便で空を飛んだ。旅日記は後程書こうと思うけど、タイはいい国だった。文化も日本とは違っていたし、人もいい感じでユルくて居心地良かった。接客している方々は基本的にお客が来るまではヌードルをすすりながら店番をしていたし、皆親切だった。殺伐とした日本とは違う空気が流れてたし、人間らしさに溢れていた。警官?らしき人でさえこんな感じだ。

これはタイ、バンコクのセブンイレブンの中でだ。うろ覚えだけど10バーツのレッドブル(日本円で30円くらいかな?)を買いに行った時の写真。ちなみにタイのレッドブルは炭酸で割ってなく原液のままです。日本のレッドブルはタウリンが入ってなく、炭酸で飲みやすくなっているそうです。日本人の肝臓には負担が大きいからなのかな?

こんな感じで違う文化に触れるのは楽しいよね。

アーリーリタイヤという言葉があるけど、そもそも人として一番元気な20代〜50代ぐらいの多くを労働と納税に費やす意味がわからない。それを仕方ないと受け入れられて皆生きているんだろうけど、皮肉でもなんでもなく本当にすごいと思う。僕も一般企業に勤めていた事があって、いつかどこかで諦めがついてそんな考えも受け入れられるのだろうと思ってたけれどやっぱりダメなものは何歳になってもダメなわけで。

世間体とかを気にせず、やりたい事を我慢する生き方はもったいない。いつ死ぬかわかんないし。何人か急死した人も知っているけれど、彼らは本当にやりたい事をやりきって死んでいったのだろうか?とたまに考える。中には自分と同年代の人間もいた。脳卒中、自殺、事故...。色んな理由で皆旅立っていった。借金を背負ったりしても最悪死なない。人殺しやレイプとかをしなければ僕は基本的に人生でやっちゃいけない事はないと思う。無職を正当化するわけじゃないけど、世の中には結構フラフラしている人がいるものだ。非正規社員だけでずっと生きてる人、株を保有してる投資家の人、あるいはいい歳まで働いた経験がない人。僕が知る限り、大学を出て、会社に就職して一度も転職や失敗をしないで生きている方が少数だ。そういう方でさえ、他に生き方があったんじゃないかと悩んでたりする。結局正解はないんだと思う。

僕は残りの人生でやりたい事をピックアップしている最中だ。次回のブログでリストを書いてみたいと思います。コメントとかで色んな人の死ぬまでにしたいことリストを見れたら面白いな〜とか考えている。そういえばそんな映画あったね。

無職ライフな日記を書けてないから次回以降、会社を辞めてからの日々を書きたいと思います。

では

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?