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【映画】『ストレイ 犬が見た世界』を鑑賞しました

こんにちは、町並すいこ(@machi_sui_)です。

先日、公開中の映画『ストレイ 犬が見た世界』を観に行ってきました。

この映画について

story
トルコ・イスタンブールの街中。車道、マーケット、レストラン、ボスポラス海峡の砂浜…。あらゆる場所を縦横無尽に闊歩する犬たち。その数はかなり多く、社会もそれを自然と受け入れている。車をかわし、渋滞する車道をすり抜ける大型犬、その大型犬をうまく回避するドライバーたち。恋人たちが痴話げんかをするカフェの傍らで、耳を傾けながら横たわる犬。20世紀初頭の野犬駆除への猛省から、トルコの人々は野良犬と共存する道を選んだのだ。
(https://transformer.co.jp/m/stray/intro.html)

この作品はトルコのイスタンブールで暮らす野良犬たちを半年間にわたり追いかけたドキュメンタリー映画です。

この映画に特徴的なのは「犬の世界」を追体験できるという点です。
ほぼ全編を通して犬の目線であるローアングルで撮影されており、また音声も犬の聴覚を映画的に表現したものとなっています。
「人間以外の視線を中心に世界を視覚的、聴覚的に再構成しようという試み」が積極的になされているそうです。

実際はじめから終わりまで、人間の言葉によって語られたことはごくわずかでした。それも示唆的な言葉ではなく、日々の生活の中で表出する何気ない言葉ばかりです。
この映画には、人間が期待するような筋道の立ったストーリーはありません。かわりにあるのは、普通は体験できない特別な旅行をしているような感覚です。この映画で表現されているのは、言葉で表し切れない複合的なリアリティなのではないかと思います。


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❗️以下は感想となります。映画の具体的シーンについて多く触れておりますので、鑑賞予定の方はご注意ください。
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ゼイティンの心は理解できるのか

映画は「ゼイティン」という1匹の犬を中心的に追っています。ゼイティンは2歳前後の雌で、筋肉質で毛並みの良い犬です。街の人々とは近すぎず遠すぎず絶妙な距離を取って暮らしています。
路上に座り堂々としているゼイティンを「強く、美しい」と評する街の人もいます。街の喧騒や人々の静かな鬱憤をものともせず、歩き、座り、食べ、眠るゼイティンの姿には気高さのようなものを感じました。
友好的な人には大人しく撫でられ、きつい言葉を投げかけてくる人からは静かに去る。ゼイティンは「生きる」という強固な軸のもと、何にも動じないのかもしれません。

映画を通して考えていたのは、ゼイティンはどんなことを思って生きているのか?ということでした。
ゼイティンについての印象的なシーンはいくつもありました。
車が激しく往来する別れ道で眠るゼイティン。散歩中の小型犬の飼い主から「咬み殺されたら困る」と冷たくされるゼイティン。楽しげなシリア難民の少年たちに手を取られ、二足歩行で踊るゼイティン。そして、モスクから流れる詠唱に合わせて遠吠えをするゼイティン。
ゼイティンも怒りや悲しみ、喜びという感情を持っているはずですが、その凛々しい表情にはほとんど表出してきません。

ひとつだけ、ゼイティンが幸せを感じているのではないか?と特に思ったシーンがありました。
ゼイティンが仲間のナザールと一緒に、シリア難民の少年たちと行動を共にしているシーンがありました。少年たちの根城の工事現場で、みんなで体を寄せ合って眠っています。あたたかさのなかにいるゼイティンとナザールは、リラックスして幸福そうに見えました。少年たちが幸福そうにしていたからかもしれません。
ゼイティンはナザールや少年たちとはたびたび行動をともにしているようです。他の存在との触れ合いに価値を、ひいては幸せを感じているのではないかと思いました。

しかしそうした考えも所詮は外部からの推察であり、本当にそうなのかは当人にしかわかりません。それは人間にも同じことが言えます。口では幸せと言っていても、それが本当なのかどうか、外部からはわからないのです。

自分とは他の存在の幸せや悲しみというものは、自分には理解できないものであり、そして理解しようとしなくてもよいものなのかもしれません。
自分だけの幸福があるように、別の存在にはそれぞれの幸福があるのだと思います。
ゼイティンがシリア難民の少年たちのもとをふらりと訪れ、あたたかさを共有し、また去っていくように、自分は別の存在に対してできる時にできることをすればいいのかもしれません。

ゼイティンの「ありのままを受け入れる」とでもいうような生き方に、学ぶべきことがたくさんあるような気がしました。
薄暮のなか、風を感じながら遠吠えをするゼイティンの姿が、深く印象に残っています。

トルコの現在

トルコでは20世紀初頭に大規模な野犬駆除が行われ、その反省から現在では安楽死や野良犬の捕獲が違法とされているそうです。国民の動物愛護に関する意識も非常に高いようです。こうした状況から、イスタンブールが人と犬が共存する街として成立しているのでしょう。

しかしエリザベス・ロー監督のインタビューによれば、トルコのある町でピットブルが人を襲う事件が発生したことをきっかけに、エルドアン大統領が「すべての野良犬たちを捕獲せよ」と言う命令を非公式に下したようです。世界的パンデミックやトルコ経済の悪化から国民の目をそらすことが目的ではないかとのことです。
実際にトルコ各地で犬たちが捕獲され、監督はゼイティンの身を案じ、映画で関係した方に飼い主になってもらったそうです。「正直、それがゼイティンにとって幸せなことか分かりませんが、この状況では、そうするしかなかったのです。」と仰られています。

野良犬たちは法律で保護されているといっても、「人間社会からはみ出した存在」であり、その立場は常に危うさに晒されています。
社会が混乱した時、私たちは自分の身を守りながら、他の存在を助けることができるのでしょうか。監督は映画の撮影を通して、「トルコの人たちの犬への深い愛と、野良犬たちを守ろうとする姿勢」を見たと言います。そして「その愛を信じたい」と言います。
トルコの人たちが、さらには全世界の人たちが、この非常に難しい問題にどのように向き合うのか。
私も自分の国でできることを考えながら、決して他人事とは思えないこの事態を、注視していきたいと考えています。

エリザベス・ロー監督のインタビューは、映画のパンフレットで読むことができます。他にも作家、映画評論家、動物応用学科教授、現地在住ツアーコンサルタントなど、様々な立場の方の論考を読むことができ、映画に対して様々な視点を得ることができます。
「犬と人」というトピックに興味のある人には非常におすすめの内容です。ぜひ読んでみてください。

お読みいただきありがとうございました!

町並すいこ

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