見出し画像

欧米の男尊女卑の時代をちゃんと見てみましょう

最近、「欧米の男尊女卑は女の子をお姫様扱いすること」なるツイートが万バズしていた。はっきり言って「んなわきゃない」なのだが、典拠をつけつつ否定していこう。


ごく近代まで、女性は家父長制の中で重労働していた

産業革命が進むまでの人力・畜力が中心の農業主体の時代、人が生きる糧を手にするには人力が必要であった。当然女性も重労働をする戦力だったし、農繁期には子供も労働力として駆り出されていた(欧州の学校が夏休みが長く秋に始まるのは、小麦の農繁期である夏の間子供を農作業に駆り出す必要があったからとされ、今の欧州の夏の長いバカンスは農業主体で無くなった副産物である)。

「女性は家に閉じ込められ仕事を許されていなかった」という話を農業時代まで敷衍することをデータで否定したのが、今年のノーベル賞のゴールディン氏の学者人生前半の研究であり、専業主婦は白物家電の普及や女子教育が浸透するまでの100年程度の存在にすぎないことを示している。

Goldin, Claudia. "The U-shaped female labor force function in economic development and economic history." (1994).ノーベル賞解説

女性が重労働を当たり前にしていた時代において、男尊女卑がなかったかと言えば、当然あった。古代は「兵役を負ったものだけが参政権がある」思想から女性は参政権がないことが多く(スパルタは女性に軍務があったので参政権もあった)、ローマでも基本的には女性は従属的地位だった

中世において顕著な例は、「父なる神」を信仰し、男のみが聖職者となって「パパ」「ファーザー」と呼ばれる宗教、キリスト教を信仰していたことであろう(日本のサブカルチャーでは修道女が聖職者として扱われることが多いが、彼女らは霊的指導者ではなく修行者で、懺悔を聞いたりすることはありえない)。このために19世紀の女性の権利活動家が"The Woman's Bible"という本をわざわざ書いているほどである。ミレーの「晩鐘」に描かれる女性は、当然の責務として重労働を行い、父なる神に祈っているのである。

ミレー「晩鐘」(1857-1859)

人力・畜力が中心の農業が産業の主体であった時代に、子供も労働力と見なされ、女性も重労働のための戦力としてカウントされていたのは、世界中どこも変わらない。日本も昭和前期——「おしん」の時代まではまさにそういう時代であり、宗教的に家父長制が強く女性に対する戒律が厳しいイスラム圏のエジプトやイランにおいても「おしん」がヒットしていることから、男尊女卑の文化の文化圏でも普通に女性が重労働をしていることが分かるだろう。

家事が法的義務であった欧州の主婦の時代

主婦が当たり前だったのは100年程度の範囲の話と書いたが、その時代も別に女性がお姫様扱いされているわけではなかった。例えばドイツでは既婚女性には家事の義務があって働けないことが法律で規定されていた上、財産も夫が管理して妻には小遣いだけを渡すのが主流で、日本のように妻が夫の所得を管理して小遣いを出すのとは逆の関係であった。今の日本の女性が戦後の欧州に嫁いだら発狂するレベルの男尊女卑だったわけである。

既婚女性が仕事をする場合、ドイツの法律では1977年までは「夫の同意」が必要でした。既婚女性が働く場合は職場に「妻が働くことに同意します」と書かれた夫からの同意書(証明書)を提出しなければなりませんでした。それというのも、ドイツには1977年まで「既婚女性は家事をする責任がある。既婚女性の仕事は家事や家庭に差し支えない範囲でのみ可能」という法律があったからです。
ところで先ほど「専業主婦である妻に微々たるお金しか渡さないドイツ人の夫」の話を書きましたが、1958年までは法律上、夫のみに妻や子に関する決定権があったため、妻が外で働いている場合も「妻の給料は夫が管理する」ことが普通でした。

サンドラ・ヘフェリン「専業主婦に憧れる女性」がドイツにいない理由 1977年まで「働く自由」なかった既婚女性たち 東洋経済オンライン 2020/07/12

翻って現代は、共働きが多く財産も共同管理が多いが、一方で外で働かない専業主婦は「雇ってもらえないほどの無能」というスティグマが付くほどになっている。

つまり、非常にフラットに言ってしまうと、専業主婦という響き自体が、時には『能力が低く、仕事が見つからないから家にいるんだろう』とみなされる場合があるのだ。
日本では『専業主婦』という単語を聞いて、真っ先に『能力がないから仕事が見つかっていない人』などとイコールで紐づけるような価値観は、まずないと思われるが、どうだろうか?

ドイツで女性に『専業主婦』と言ったらものすごく怒られた話

お姫様扱いしてもらえる男尊女卑ってどこの話?

以上のように、欧州の中世から現代までをたどっても、元のツイートにあるような「お姫様扱いする男尊女卑」がどこにあったかという話になる。

筆者としてはそれはないことはなかった、と答える。というのも貴族や富豪、ガチのお姫様はそういう扱いのことがあったからだ。貴族の間では、しばしば肉体労働をしないことが地位の誇示になり、働くのは下賤の民がすることであって、働いたら負けという価値観が存在した。それは古代ギリシアなどでもそうだったし、blue bloodという語も肉体労働をせず肌が白いことを誇示する意味合いで貴族の別称になっている。ヴィクトリア期の英国において家事使用人(メイド)が盛んに雇われたのも、働かないことが上流階級の証とされたことによる。

ヤスパースは、「ギリシァ人は、あらゆる肉体労働を、つまらぬ人間のすることとして軽蔑した。したがって、彼らにとって完全な人間とは貴族であり、労働をせず、閑暇をもち、政治を動かし、闘技に明け暮れ、戦争に参加し、精神的な作品を生み出す人間である」と規定しているが、このような人間はローマ人においてもまた同様であった。

朝倉文市「中世初期における修道制と手の労働」

女性が男尊女卑の価値観の中にあり、かつ働かず何もしないお姫様扱いをよしとされていたのは、身分格差が公的なものだった時代のガチのお姫様くらいに限られる。

現実として欧米で専業主婦が主流だった時代には、同時に財産権も実質的に夫に握られているような状態だったし、家事が責務とされていたし、現代は専業主婦にどうしても単なる怠惰と無能というスティグマが付きまとう時代である。「欧米の男尊女卑はお姫様扱いが当たり前」なんて時代は存在しなかったことは、断じて述べておきたい。


個人的にはこれが万バズしているのに非常に失望しており、女のことを「何もできない生き物」呼ばわりしているツイートに女性が拍手喝采しているこの状況を、本当に絶望しながら眺めている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?