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「ご存知ですか?荒浜磯獅子踊」(2024.02.11)

経緯

2011年3月11日に東日本大震災後、津波により、仙台市から災害危険区域に指定され、住むことのできなくなった荒浜。「住めないということは、これまでの文化や生活の歴史が途絶えてしまうことになる」と思い、海辺の図書館では、荒浜に関する文献や情報を収集しています。

そうした文献に『仙台市荒浜の民俗(仙台市歴史民俗資料館調査報告書. 第2集)』(出版者:仙台教育文化事業団仙台市歴史民俗資料館 出版年月日:1981.3)※国立国会図書館の個人送信サービスに登録するとデジタル化された資料を閲覧することができます。がありました。
そこに掲載されていたのが「荒浜磯獅子踊り」。1973年生まれの私はもちろん、母や祖母も知らないとのこと。それもそのはず、この伝統芸能は、大正11年(1922年)に踊られたのが最後で、そのあとは途絶えてしまったのです。
荒浜の伝統として残っているものは、それほど多くありません。これまでも何度かこうした分野に詳しい知人に相談したことがありましたが、暗中模索な状況が続きます。

そうした中、昨年末、2023年度 演劇による震災伝承事業 「Voice~仙台市東部沿岸地域の伝承と物語~」のワークショップでお話する機会を頂いた際の打ち合わせで、ふと話題として荒浜磯獅子踊りが出てきたのです。この演劇に横笛奏者として参加している山下進さんと、企画のせんだい3.11メモリアル交流館職員の三條望さんより、名取の「熊野堂十二神鹿踊」と同じ系統の獅子(鹿)踊りなので、それを参考にして再現できるのではないかということでした。
そこから、何度か打ち合わせを重ね、まずは知ることから始めようと企画したのが今回の「ご存知ですか?荒浜獅子踊」です。

せんだい3.11メモリアル交流館職員三條さんデザインのチラシ

トーク

ゲストに元東北歴史博物館館長の笠原信男先生、聞き手にせんだい3.11メモリアル交流館初代館長の八巻寿文さんをお迎えし、そもそも「獅子(鹿)踊り」って何なのか?という基本からお話いただきました。
神楽と異なり、神社との関わり薄く、「訪問芸能」として行われてきたとのこと。そのため、廃絶していたとしても、他の伝統芸能に比べて復活しやすいとの言葉に希望を感じました。
笠原信男先生の著書『明治維新と宮城の芸能』

熊野堂十二神鹿踊の装束について解説する笠原先生(右)

プチ体験会

横笛奏者の山下進さんを進行役に、「熊野堂十二神鹿踊」の映像を観るところからスタートしました。その際、会場にいらしていた熊野堂十二神鹿踊保存会の板橋正春さんが、急遽解説していただくことになりました。その後、映像から楽譜を起こした山下さんによる横笛の演奏があり、会場にきれいな音色が響き渡りました。その後、これまた急な無茶ぶりにお応えいただき、板橋さんが装束と太鼓、鹿頭を着けた状態で実演もいただきました。

横笛奏者の山下さんによる演奏。熊野堂十二神鹿踊の板橋さんが無茶ぶりに応えてくれ、装束を付けた状態で、舞っていただきました。

アフターランチミーティング

終わったあと、関係者にてアフターランチミーティングを予定していたのですが、興奮冷めやらぬ状態で残っていた皆さんにもお声がけし、20名以上の方と荒浜の伝統料理「おくずかけ」を食べながら、自己紹介や感想などを語り合いました。

今回は37名の皆さんにご参加いただきました。第0回と仰っていた方がいましたが、まさにこれからの始まりを予感させるような素敵なイベントになったかと思います。ありがとうございました!

撮影:三浦さん

追記
横笛奏者の山下進さんのブログに当日のレポートが掲載されました。

読売新聞オンラインに掲載されました。

郷土芸能愛好家、音楽家、サウンドアーティストの四倉由公彦さんのブログに当日のレポートが掲載されました。


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