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写真撮影の安心感と達成感

川沿いの木が芽吹き始めている。

今朝も近所のカワセミを撮りに出掛けた。いつもカワセミを見かける止まり木に目をやると緑色の小さな葉が見えた。

週末は完全に春の陽気で、花粉の飛散が悲惨な程だった。ファインダー越しに見る朝日を浴びた鳥たちは溢れる涙に滲んでいた。
目が痒い。


午後は久しぶりにLeica M9を持ち出して近所をスナップしてきた。
無人の野菜販売所
埃まみれのカラーコーン
古い理髪店
野良猫
明るいレンズをf8に絞ってノールックでシャッターを切る。エモくもなければこれといった物語性もない写真。
この写真の価値は僕と、せいぜい僕の家族くらいにしか分からない。それでもプリントして「〇月〇日」とタイトルを付けてアルバムにしたいくらいだ。
3月9日だって歌にされるまでは一部の人を除けば何てことない365分の1の普通の日だったわけで、〇月〇日にどう意味を持たせるかは自分が決めるものなんだろう。

テクニック的なものじゃないから上手く言語化できないけれど、鳥を撮り始めて身についた感覚がスナップに表れている気がしている。
奇を衒った構図やわざとらしい演出に頼ることなく、今まで以上に何を残したいかを明確に表現できるようになった気がする。
その感覚はプリントした時に強く感じる。そうだ、もっとプリントしよう。

スナップ撮影には目で見た風景を記録に残せたことに安心感がある。
野鳥撮影は撮れた写真に達成感がある。
同じ写真を撮るという行為でも芽生える感情の性質が違うことが面白い。

街頭スナップ、風景、ポートレート、植物、野鳥、何を撮っても楽しい。
機材を一通り揃えた後に訪れるこの感覚。物欲から写欲に欲求の次元が上がっている状態。こういう時は無性にシャッターが切りたくなる。
物欲も十分あるんだけどね。

その証拠に新しいカメラとレンズを買ってしまった。
衝動買いって怖い。

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