見出し画像

幸せの青い鳥

息子が鳥を撮りたいと言い出したので、車を走らせて都立桜ヶ丘公園まで行ってきた。
多分僕が野鳥撮影の動画を見ていたせいだろう。カワセミ、ドットサイト、プリ連写……うなされるように検索する姿は何かに取り憑かれたようだった。そんな僕の雰囲気にあてられたのかもしれない。

家の近所にも沢山の鳥がいる。カワセミだっている。
鳥を撮るためだけなら敢えて遠くの公園まで行く必要はなかったけれど、こういうものは気分の問題だ。
リュックサックに水筒と軽食を詰めて歩きやすい服装で出かける。
妻は「休みの日までお父さんを疲れさせないで」と僕に気を使っているのか家から労働力がなくなることを懸念しているのか真意不明なことを言っている。
気遣い(推定)は嬉しいけれど休みの日くらい外出させて欲しい。
僕は働くために働いているのではない。週末の自分こそ本当の自分であり、週末こそが人生だ。
遠くへ行くことが楽しい。
それは大人も子供も同じだ。

息子は自分のカメラ(Nikon FM)を持って行こうとした。28mmの単焦点レンズでは広大な公園にいる野鳥など米粒くらいにしか写らない。
鳥を撮るなら望遠レンズがあった方がいいよ。それに野鳥を撮るならデジタルの方がいいと思うな。
何も写っていないフィルムを現像するのは精神的に辛いものがある。

説得の結果、僕のファースト一眼であるOLYMPUS E-520を使うことになった。レンズはZUIKO DIGITAL ED 40-150mm f4-5.6というキットレンズ。フォーサーズマウントなので35mm換算で80-300mmというちょっとした望遠レンズだ。
僕も昔はこの組み合わせで色々なものを撮っていた。野鳥を撮った記憶はないけれど、さてどうなるものか。


息子が撮った写真を見て300mmの焦点距離と15年以上前のカメラのオートフォーカスでよくここまで撮れたなと感心している。
レフ機の大きなシャッター音を隣で聞きながら若干の不安を感じていたけれど、さすがOLYMPUSの手ブレ補正。被写体ブレはあるけれど手ブレは殆どなかった。1000万画素の控えめな画も雰囲気があって良い。E-520は発売から17年経った今でも現役で使える良いカメラだ。

一方の僕は鳥を見つけても一脚を立てレンズのロックを外して構えている間に撮り逃してしまうという失態を繰り返していた。
即応性が悪い。
システムに身体が慣れていない。
Leica DG VARIO-ELMARIT 50-200mmに2倍テレコンをつけて運用していた時は35mm換算800mmのレンズをスナップ撮影のように振り回せていた。
重く長いレンズは見た目のインパクトは強く所有欲も満たせるけれど、フィールドワークは修行でしかない。手放してしまったOM-D E-M1やG9を想う。

広大な桜ヶ丘公園での野鳥撮影はライトな兵站訓練のようだった。
公園をまるっと一周するとそれなりに疲れた。それでも普段は見られない鳥を写真に収めることができたので僕も息子も満足だった。
家に帰ると息子が撮った大量の写真のセレクトが待っていた。
デジタルもデジタルで罪が深いと思う。


アオジ



モズ



コジュケイ

鳥を見つけるのは息子の方が上手だ。
目線が低いのと単純に視力が良いからだと思う。
「いた!」と言って近くに走って行ってしまうので僕が撮る頃には鳥は逃げてしまっている。撮れ高も羽を生やして飛び去っていく。


ムクドリ



見返りムクドリ



ガビチョウ



コゲラ



逆さコゲラ



ジョウビタキ



ジョビオ



ルリビタキ(300mm)



ルリビタキ(840mm)

最後の最後にルリビタキに会えた。
ビギナーズラックだろう。駐車場に戻る手前で目の前を横切る青い影。なるほど、これが幸せの青い鳥か。確かに幸せな気持ちになれた。

僕は息子の運動会でしっかり写真を撮れるように動体撮影の練習として鳥の写真を撮り始めたんだけど、事ここに至っては息子と二人で楽しむために野鳥写真を撮るようになった感がある。
幸せの青い鳥はそんなことを考えている時に現れた。青い鳥が幸せを運ぶのではなく、幸せがある場所に青い鳥がやってくるのかもしれない。

また鳥を撮りたいという息子。
次はどこへ行こう。

この記事が参加している募集

カメラのたのしみ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?