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心がぎゅっとなることって(2/7)

今日は初めて目の見えない犬に出会った(と言ってもカフェの一角で偶然隣になっただけだが)。最初、飼い主さんえらく厳しく指示してるな、そんな怒らなくたって多少吠えてもみんな平気なのに(犬同伴OKのカフェなので)と思いながら本を読んでいた。視界の先で薄っすらと、犬の紐を引っ掛けるのにも四苦八苦していたり、念入りに声をかけている背中を見ていると、「もしかして飼い始めたばかりなのかもな」と、ひとりごちた。

飼い主さんが少し席を離れた瞬間のこと。その子は突然強い動揺に怯えたように足を震わせて、足の爪が床にカタカタと細かく当たって音を立て始めた。ふらふらとこちらに近づいてきたので初めて犬の顔をちゃんと見たのだが、どうやら両眼が見えないらしい。
不用意に触れることで、逆に恐怖心を煽るのだろうか?むしろ触れてあげれば、置いてけぼりになったような寂しさから多少は解放されるのだろうか?
数分間必死に考えてみたが、素人が余計なことをして怯えさせたり、飼い主さんの普段の努力を台無しにすべきではないと判断。

何せ私は、こういう時に機転が利かない。

めちゃくちゃ考えに考えて、できる限り優しい声で「お母さんはすぐ帰ってくるよ〜 一緒に待とうね〜 お利口さんだね〜」と、ゆっくりとお話をする。何にもならなそうなアイデアだが、それでも、震えが少しおさまったように見えたので少しホッとしたところ、程なくして飼い主さんが戻ってきた。

ちょうど小さな四角形を描くように、目の見えない犬と飼い主さん、私、赤ちゃん連れの女性二人、それからしばらくしてやってきた子犬連れの女性が一人、それぞれ座っていた。

赤ちゃん連れのお母さんが、お隣の犬に向かって「わんわん大好きだもんね?この子、犬が大好きなんです!ちょっと触らせてもらおっか?」と、この世にベストほのぼの大賞ってのがあったら絶対グランプリだな、みたいな雰囲気で大いに盛り上がっている。
さっきから目の見えない犬のことはチラチラと見るだけで、何も言わなかったのにな。単純にタイミングの問題かも知れないし、飼い主さんの纏うオーラかもしれないし、何の理由もないのかもしれない。でも私は(勝手に)寂しい気持ちになって、少し落ち込んだ。

同じような距離感のところに、何かを求めるようにふらふらと、そして少し震えてオドオドしている犬は完全に無視されていた。飼い主さんも終始、周囲の人に申し訳なさそうにひっそりとして、口を開けば周りの方々に「すみません、すみません」と言っていた。少しばかり吠えてしまったけれど、目の見えない犬はとても静かでお利口なのに。うちの子は迷惑をかけているという申し訳なさを抱いて生活しているのかな、と想像したら辛かった。

この世界がもっと自由になるにはどうしたらいいんだろう。生きている歓びを、誰のことも気にせずに誰もが表現できる社会を作るには、どこから何を始めたらいいんだろう。

私は、自分"が"幸せでありたいという強い気持ちを持っている。とてもエゴイスティックだけれども、他人だって同じ強さで自分の幸せを願って当然と思っている。自分が幸せになりたいように、他人だって幸せになりたいはずだ。(該当しない人も広い世界にはいるのかも知れないが… )
でも、人の幸せや不幸せを決めることは絶対したくない。目が見えないから不幸だと思うのははっきり言って相手に失礼だ。それでも私の心がぎゅっとなってしまって、この子には絶対に幸せになって欲しい!と一人で熱い心を燃やしたのは何故だろう。不安になって自問自答のループにはまってしまい、本の隙間から彼らをチラチラと見ながら悶々としていた。

すると、飼い主さんがたまに愛犬の写真を撮る様子に、とても愛おしく大切に思って一緒に生きているんだなぁというのが滲み出ていて、今度はそれが嬉しくて、また心がぎゅっとなった。少なくとも、私はとても幸せな気持ちになった。

心がぎゅっとなる瞬間には色々な種類があると思うけれど、いずれも、生命が確かに生きていることに心が震えているということなんだろう。
なんだか胸がいっぱいになりすぎて外の空気を吸いたくなり、歩いて帰った。

うちからそこまで遠くない距離に、まるでそこだけシチリアの風景かしらと思うような素敵なお宅がある。いつも美しくお手入れされた木が風に揺れる様は嫋やかで、大切にされているであろう古い国産車のクリーム色とよくマッチしている。今日は玄関先にて"ご自由に"と剪定されたパールアカシアをお裾分け下さっている様子。ならば私も喜んで、と何本か頂戴し、早速テーブルに飾る。そして今、パールアカシアの目の前で日記を書いている。

目の見えない犬とパールアカシアとは全く別の場所で出会って、(おそらく)彼らはお互いの存在を知らない。でも、生きている誰かがこうして断片を繋ぐことで、同じ世界で共に生きている。それってすごくワクワクしない?私は、そういうのにすごくワクワクする。

一人一人が生きていること自体にとてつもない価値があり、全ての命が尊いのだという証だと思う。

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