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宮尾節子賞

2020年も残りわずかとなって来ました。今年はコロナ、コロナに明けて、先行きの見えない不安を抱えたまま、暮れそうです。それでも、何か。みんなで祝えるような、楽しいことをひとつと思い立ち。微力ながら、ちいさな賞を設けました。それが以下の、宮尾節子賞です。

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(追記:奮発して女神盾も付けました!^^)

こうして、言挙げしたのが11月10日のことです。どんな賞かはここに書いた通りです。

「普通に生きてカッコいい表現者」つまり。その人が今いる場所で、そんなに無理をせずに、その人らしく暮らしているそばに、その人の表現が寄り添って、その人やまわりの人を活かしている。その人の姿や、その人の作品や、そのひとの表現活動をおおいに賞賛したい思いからです。

宮尾節子賞は、宮尾個人の自由意志による個人の賞です。特に募集も致しません。だから限りあることも、偏りがあることは、言うまでもありません。同じくわたしも、いろんな欠点を抱えながらここで普通に生きて暮らすものです。そして、ふと目にしたり、耳にしたり、人に聞いたり、偶然立ち会ったり、そんな普段の暮らしのなかでの出会いに。ああこの人は、ああこの作品は、ああこの仕事は、とたびたび感動し、ふかく感銘を受けます。そんな方のなかに、ちいさな賞の対象者を見つけたいと思います。

たとえば海岸の波打ち際にたくさんの陶器のカケラを見つけますが、あえてその小さなカケラを作品として作り上げている方や。家の前の庚申さんに生花を絶やさず飾るお婆さん(彼女はそばの小さな空き地にひまわりを植えては毎夏見事な花を空高く咲かせていましたが、お亡くなりになったようです)。

さまざまな暮らしのそばで、自分なりの表現を活かして、ご自身や周りのひとびとの暮らしを豊かにしている方。また、駅前でいつもひとりメガホンをもって抗議の声をあげている方が通行人に絡まれた時みせた、見事な対応。梅林の剪定に芸術の腕前をはっきして、景色を豊かにする方。畑の畝の仕上げ方が、まるで一篇の詩のように美しい方。交差点に立って交通整理する姿がダンサーのようにカッコいいお巡りさんも、表現者のひとりでしょう。

あるいは。偶然その場所に居合わせて目撃した、そのひとのたった一度の表現も、例外ではありません。毎日変わらぬ積み重ねで作り上げた表現や、たった一度だけの奇跡的な輝きの表現も同じように、尊いと感じます。

見渡せば、世界は表現に満ちています。表現はくふうだったり、表現はあいじょうだったり、表現はそのひとらしさだったり、します。そして、表現はそのひとの生き方だったり、人生だったりします。つまりは、表現とは誰にも等しく与えられた「ここに居るよ」の命のサインであり、「そこに居るね」とわかってもらう、命の信号ではないでしょうか。生きてる限り、ひとはみな表現者だと思います。

宮尾節子賞が多くのひとと出会えますように。思いつきから出た賞ですが、いまわたしは贈らせていただく喜びにあふれています。この喜びが、だれかの喜びにと広がっていくものであれば、これ以上の幸せはありません。
わたしは、ひとつ大きな幸せをみつけました。みなさんの、おかげです。
ありがとうございます!


あなたと出会えることを、いきがいに。
あなたと出会えたことを、よろこびに。
これからも、未熟な宮尾ともども宮尾節子賞も精進いたします。
何卒すえながく、たのしく温かく、見守って頂ければ幸いです。

◎募集はしませんと書きましたが、ひとりの力では限りがありますので、自薦・他薦はおおいに参考にさせていただきます。われこそは、または、かれこそかのじょこそは、のご紹介はどうぞ、sechancono@gmail.com まで。

メリークリスマス、そして、よいお年を!

宮尾節子賞、今夜発表となります!3名と明記しておりましたが、
おめでたい第一回とさようならの最終回にかぎり、4名の方に賞を贈ることに致しました。なにとぞよろしくお願いいたします。


2020年12月24日

                        宮尾節子拝

           ***

*宮尾節子賞の全責任はわたし本人にあります。間違っても秘書のせいにはいたしません。なので、いない秘書もご安心くださいませ。



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