見出し画像


#KENMAYA です。


本日は『道化師』について掘り下げてみたいと思います。

『道化師』とはつまり、ピエロ。サーカスなどで滑稽な格好や言動などをして他人を楽しませる者たち。おどけてみたり、観客を驚かせることで対価を得る人たちです。

近年ではホラーやサイコパスとして描かれることも多く、『ピエロ恐怖症』などという精神疾患まで登場しています。実際にピエロに扮したシリアルキラーがいたことから、題材として用いられることが増えたのではないか、と考えていますが、実際『道化師』とは本来観客を楽しませるためのスパイス的な重要なポジションであり、サーカスなどでは多芸に秀でる者(※空中ブランコやジャグリングの達人)が【怪我をしないようにあえて失敗をすることで、観客に安心感を与える】という側面もあるとされています。


そんな『道化師』は過去には宮廷道化師(ジェスター)という、王族や貴族に仕える高貴な存在であった時期もありました。(吟遊詩人的な側面も。)トランプにキング、クイーン、ジャック、ジョーカー、があるように文化的、芸術的にも非常に大きな存在感があったことがシェイクスピアの戯曲などでも描かれています。

彼らはルネッサンス期以降は、見世物小屋(のちのサーカス)で奇形児やなんらかの疾患を抱えた者が笑い者になるという非遇の時代もありましたが、現代においては「人を楽しませること」を生業とする大道芸人的立ち位置を確立させています。


そんな『道化師』が人を悲しませるような事件を起こすことは基本的にあってはならないことです。クラウンとピエロの違いは顔のメイクにあって、ピエロにはクラウンにはない涙のメイクがついているというのが通説です。なぜ、人を笑わせる人が泣いているのでしょう。

それは笑いものにされることの悲しみを表現しつつも、観客に笑顔を提供する者の葛藤を描いているとされています。つまり、泣いていいのはピエロ本人であって観客であってはならないのです。

観客を泣かせるピエロは自己存在の否定になってしまうからです。ここが面白いところでもあり、哲学的でもあります。人を笑わせるとき、それは自分が笑い者になっていることでもあり、その悲しみは自己表現によるものなのか、それとも人の蔑視、嘲笑によるものなのか、ピエロ本人には分かりようもないことなのです。


こうして考えると『道化師』を演じることは、ビジネスと割り切って演者として舞台に立ちつつ、狂人と常人の狭間のような複雑な心境を持つことでもあり、深淵に最も近い演者とも言えるでしょう。

ちなみに余談ですが現代の『道化師』のギャラは比較的高い方とされています。これは恐らくビジネスとして割り切って『道化師』を演じるために必要なことなのでしょう。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
Twitter、YouTubeもやってます。よかったらチャンネル登録も是非。
🔽Twitter
https://twitter.com/sechica1

🔽YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCeAh6Y8B3DwKRqChlCgnwpA


サポートは不要です