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このへんはスリも多いから、なるべく人と距離を置くようにした方がいい。あと日本語で話しかけられてもスルーした方がいいよ。

ん?なんでって、そりゃ、ここの人たちから見たら日本人は金持ってる、って共通認識があるからさ。俺みたいにボロボロのTシャツで、短パン履いてて、手ぶらでフラフラ彷徨ってる国籍不明のヒッピーは溶け込めるんだけどね。

んー、そうだなぁ、一番多いのはオーストラリアとかアメリカかなあ。彼らは未だにシルクロードの旅への憧れや、モラトリアム信仰の熱い国だからね。まぁ、そういう俺もピーターパンシンドローム一歩手前ってとこだろうけど。

さぁ、ここがブルースカイカフェだよ。このあたりじゃ、比較的マシな店だ。注文は俺がしてくるから、いくらかくれるかい?

適当に座っててよ。あ、荷物は前抱きにしといた方がいいよ。


さて、どうしたものか。日本人の青年に会い、ここまで連れてこられたものの、わたしはここが伝説のサダルストリート、そしてあのパラゴンホテルとは思えなかったのだ。まるで、実感が沸かない。『深夜特急』をはじめて読んだ、あの時の冒険心が全く呼び起こされなかったのだ。


おまたせ、中華料理だけどいいよね?で、なんだっけ?

あぁ、そうそう。とっておきの話ってやつね。

まぁまぁ、まず食べようよ。実は俺2日ぶりの食事なんだ。ありがたいです。ゴチになります。

そうだよ。パラゴンホテル。伝説の日本人宿。うんうん、わかるわかる。俺も正直なんじゃこりゃ、って。もはや見る影もないよね。俺たちからしたら観光でコルカタに来てるわけだけど、コルカタって街は観光というサービスをするような街じゃないんだ。ここで生まれ、ここで生きて、ここで死ぬ。ただそれが脈々と受け継がれてるだけの街。


淡々と語る青年はどこか悲しげで、わたしと同じような憧れの情景ではない現実に打ちひしがれているように見えた。だが、その考えは数秒で覆る。


でさ、とっておきの話、ってやつなんだけどさ。コルカタには世界でも最低最悪の売春窟があるのは知ってるよね?名前は言えないけど、そこに行った時の話をしようか。

いやいや、まさか!行っただけだよ、ほんと。怖くて無理だよ。70歳ぐらいのお婆ちゃんとその孫か知らないけど小学生ぐらいの女の子が、どっちか選べ、とか言ってくるんだよ?信じられる?

すごいんだ、本当に。あの場所に足を踏み入れた瞬間、何か透明な壁でもあるのかってくらい、空気が違う。立ってる男たちはみんなギラついた目で睨んでくるし、まさに自分がウイルスかなんかで、体内に入り込んだみたいな感覚、っていうのかな。とにかく自分が異物で、ここにいてはいけない、っていう危険シグナルが常に発信されるんだ。

本当に、一周だけして出てきたんだけど、今までに味わったことのない違和感があそこにはあるんだ。多分俺は一生忘れられないだろうな、あそこにいた少女たちの目を。


青年は小声で話していた。そこは名前を発するだけで、現地に住まう人たちですら忌み嫌う禁忌の地なのだ。タクシーはもちろん、リクシャですら連れて行ってくれないらしい。わたしはコルカタに来てはじめて興奮を覚えていた。



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