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『自分史のホームページ』の制作事例

こんにちは。
坂本です。
写真と文章のホームページ制作をやってます。

この制作事例をUPしたのは、「自分で自分のホームページを作ってみたい」という方のためです。
参考になれば幸いです。

すでにホームページはあるけど「長く残るコンテンツを増やしたい」とか「読むコンテンツを増やしたい」という場面でも、なにかしらのヒントになれば幸いです。


私が初めて、料金をいただいて作ったホームページが、この『自分史のホームページ』です。

もう20年以上も前に制作して、まだ現存しています。

このホームページがあるから、プロフィールに『貴方の人間像が浮かび上がってくる文章で、10年でも20年でも、いや、生涯残るホームページにします。』などと書いているのかもしれません。

いえ、きっとそうでしょうね。

それから、小さいのも失敗作も合わせて、100以上はホームページを作りましたが、グルッと回って原点に戻ったという思いです。

で、この制作事例では、個人情報は伏せてあります。
制作で知りえた個人情報は洩らさない、という約束があります。

それに失敗作の制作事例もUPしますし、けっこう言いたいことばかりなので、無用な心配やご迷惑をかけたくないという配慮もあります。

その代わりといってはなんですが、依頼の経緯や制作のポイント、料金の算出の基準などを詳しく記載してます。

依頼内容

依頼者は、昭和一桁生まれ。
もう定年してました。

彼から、自分史となるホームページを制作してほしい、という依頼がありました。

とくに誰かに読んで欲しいわけではない。
自己満足が目的なので、時間がかかってもいいから良く書いて欲しい、というのです。

商用利用の依頼を見込んでいた私は、正直いって、ずっこける思いでした。
しかし、そういわれれば制作します。

でも、そういうのって、普通は自費出版の本ではないのか?
なぜ、ホームページなのか?

それは、その人、仮名で『Tさん』としますが、Tさんが新しいものが好きだったからでしょう。

SNSもブログもない当時、定年者が個人でホームページを持つなんて、まずありませんでした。

そして私は、そのような趣味の類のホームページを作ったことがありませんでした。

というか、そこまで文章を書いたことがない。
自信はない自信はある。

しかし、依頼を受けておきながら「やっぱできません」とは言いたくない。
「これは作れる!」と確信するまでは受けれない。

迷う一方で、こういうホームページこそ、個人だから制作できると気づいてました。

ヒアリング

まずはヒアリングです。
十分すぎるほど時間をかけました。
とはいっても、鍋などもご馳走になりましたが。

ヒアリングは、どのホームページにしても同じです。
ホームページ作成というのは、依頼者との共同作業ともいえます。

貴方がいないと作れない。
あくまでも貴方。

私はセカンドについてコンテンツを作ります。
なので『セカンドコンテンツ』と名乗ってます。

話を戻します。

Tさんは独り暮らしでした。
奥さんと息子さんは、もう10年以上も前に病気で他界。

結婚している娘は寄り付かず、1年に、2回か3回ほど連絡がくるだけ。

そんなこともあり、ホームページを読んで欲しい人は、特に思い浮かばないとのことです。

「でも、強いていえば誰かいませんか?」
「そうだな」
「なんでもいいので」
「同年代の女性のお茶飲み友達ができればなぁ」

非常にアグレッシブなTさんでした。
さらには「冥土の土産にもなるかも」と笑っていました。

ビジネス目的でないとなれば、数字が圧しかからない分だけ私にとっては気楽ともいえる制作ですが、文章は気楽には書けません。

構成

私は、まず箱書きをしました。
話の組み立てです。

そのときは、箱書きなんて語句は知りませんでしたが、やってることはそれでした。

軸となる話は、大手町にある石油元売会社で勤め上げたサラリーマン生活です。

大学卒業をして大手企業に就職し、定年まで勤め上げた。
昭和では、いえ今であっても、王道となるサラリーマン生活でした。

そこに石油問題が絡みます。
日章丸事件、オイルショック。

高度経済成長を経て、やがて訪れたバブル期のなどの実際の体験談も興味深いものでした。

山場としては、Tさん自身が手がけた大きな仕事の話でしょうか。

赤字部門として、本社から分離したその子会社は、誰が出向しても立て直せない。

赤字は累計で100億円に達している。
私は「100億円!」と声をあげました。

とにかくも。
Tさんは、その子会社の社長として出向する。

分析してみると、赤字を解消するためには効率化しかないとわかる。

そのためには、海岸のすぐ近くに、石油精製設備を建設しなければならない。

簡単な話ではあります。
が、海際の石油精製設備の建設は危険が多すぎる。
どの競合他社もやってなかった。

が、Tさんは、虚偽となる資料を作成。
やってはいけない石油精製設備の建設を実行した。

「いいんですか!そんなこと!」
「坂本君」
「はい」
「大きな仕事をやるには、大きな嘘が必要なんだよ」

自信満々に答えられて、妙に納得したのを覚えてます。

で、効率化された子会社は、100億円の赤字は解消する見通しが立つ。

大功績だった。
本社に戻ったTさんは、ゆくゆくは役員になれると余裕でいたが、そっちは思うようにいかなかった。

誰かが役員までの道を作ってくれるだろうと待っていたが、派閥に熱心ではなかったTさんは、役員レースに取り残されてしまったのだ。

そういうときは自分から動かなければならない、と気がついたときには、もうすでに遅い。

結局は、再び子会社の社長に出向して、定年を迎える。

子会社の社長になってからは、どうでもいい会議ばかりが多くなって、くだらない仕事が多くなったとも。

「くだらない仕事ってなんですか?」
「んん、宴会の席順を決めるとかな」
「くだらないっちゃぁ、くだらないですね」
「そんなことを1日かかってやるんだよ」

定年退職してからは、いつまでも会社の元上司が先輩ズラするから面白くない。
なんか1人で怒ってました。

Tさんという人は。
仕事はバリバリとできたのだろけど、元々が会社という組織には馴染まない人なのだろうな、とはヒシヒシと伝わってきました。

それは本人も自覚しているようです。
「サラリーマンとしては失敗した」と自嘲してました。

ただ愛社精神は、すごくありました。
創業者への尊敬の念も、話の節々で感じました。

本心を書きたい

「サラリーマンとしては失敗だった」と、Tさんは笑って話します。

しかし「家庭の父親としても失格だった」と明かしたときは苦しそうでした。

息子は、若くして白血病で亡くなっている。
奥さんは、ガンで亡くなっている。

「息子が白血病になったのは俺のせいだ」と寂しそうに上のほうを向いてます。

私としては、いえ、私でなくても、Tさんと白血病の因果関係はないとするのが普通ではないでしょうか。

でもまだ、若年者だった私は、率直に訊きました。
だってヘタすると、いえヘタしなくても、孫くらいの年の差だから、ついそうなってしまう。

「それ、関係あるんですか?」
「うん、俺が息子にプレッシャーをかけていたからだ」
「プレッシャーで白血病になるんですか?」
「うん、息子の味方は、誰もいなかった」

Tさんは、会社ばかりで家庭は顧みなかった。
いってみれば亭主関白で、奥さんはいいなりだった。

息子の味方は誰もいなくて、でなければ白血病にはならなかったと、本心から思っている様子が印象的でした。

疑問も書く

じゃあ、なぜ?
息子にプレッシャーをかけていたのか?

Tさんは、とある地方の本家の長男として生まれた。
本家は、なんやらゴタゴタが続いていた。

ゆくゆくはTさんが安定させるようにと、幼少から周囲から言い聞かされて育てられた。

私は知りませんでしたが、戦前は、長男相続が法令で定められていたそうですね。

そんなわけで、父親が戦争で亡くなったあとは、なにかと本家の長男だからと、さらに言い聞かされるようになる。

が、戦後には農地改革がはじまる。
昭和22年には、長男相続の法令が廃止。

本家の長男が嫌だったTさんは、大学に進んで東京でサラリーマンになる。

そのことで、家督を弟に譲ったときは、本当に肩の荷が降りた思いで清々した。

ところが。
あれだけ自分が家に縛られたのが嫌だったのに、今度は息子に対しても同じことをしていた。

息子が死んでから、それに気がついたとのことです。

けっこう深刻な話です。
今だったら、多少は世知にも長けているので、なにか言葉をかけるでしょう。

が、まだ若年者だった私は「へぇ~」なんて言いながら、たしか、メシをご馳走になりながら聞いていたのを覚えてます。

制作者としてでなく、人間性が失格ですね。

失敗も書く

見積もりする前に、試しで書いた文章は、なんだか堅いタッチでレポート風になっていました。

でも書けたのです。
文才なんてものは全くない私が。

そして、Tさんは「これは良く書けている!」と、その文体をえらく気に入ってくれたのです。

いま思うに、Tさんが失敗している人だったから、書けたのかもしれません。
成功している人だったら、私ごときに書ききれなかった。

「文は人なり」とまでは言いません。
そこまでは、未だによくわかりません。

が、Tさんの失敗は、私の文体との相性がよかったのでしょう。
続きも書けたのです。

あとは、個人の制作だからよかった。
主観で作りこめた。

これが制作会社だったら、効率が求められて、おおよその平均を作りがちになって、ぼんやりとしたコンテンツになっていたかも。

個性が滲んできた

主観を持つことで「キャラクターが立つ」という体験をした、と今は思います。

主観でコンテンツを制作すると『個性』が滲んでくるのです。

この個性は、やがて作り手から自立して、まるで別人格のように確立してコンテンツに現れます。

この状態を『キャラクターが立った』または『キャラが立つ』といいます。

アニメやゲームのクリエイターがよく使いますが、ホームページの作成でも同じです。

ですが、ホームページの作成の現場では、まず通用しなくて、必要ともされてない語句です。

その証明として、ホームページ制作会社では「写真と文章はお客さんのほうで用意してください」というのが通常のようにしてアナウンスされてます。

とにかくも、ホームページであっても、キャラクターを立たせるから個性を表現し、伝えられるということを覚えました。

そうそう。
コンテンツとは『書物の中身』との意味があります。
そうなんです、コンテンツとページはセットといえます。

経験上、早くて30ページ。
遅くても50ページで、キャラクターが立つという感覚です。

50ページでもキャラクターが立たないようでは、そのあと100ページ、200ページとオリジナルのコンテンツは拡大しない。

もちろん上記は、このときに1度でわかったのではありません。
この先5年ほどかかって段々とわかってきました。

ちなみにですが。
ホームページでSEOの効果を得るには、最低でも100ページは必要とされてますし、私もそう感じてます。

50ページほどでキーワード検索の流入が出はじめて、100ページからはアクセスは安定して伸びていきます。

もちろん、コンテンツにもよりまが、最低ラインとして以上の数字を挙げられます。

逆にいえば、30ページでネタ切れとか、50ページまでいかずに更新が止まってしまったという状態は、キャラクラーが立ってないからといえます。

これらも、この後に失敗を繰り返してわかってきました。

ホームページの価格

■ 他社と比較した価格 ■

まずは、他社と比較した価格。
A社もB社も100万だったら、うちは90万にしようという価格。

しかしこれは、パッケージ版のホームページに限ります。
テンプレートがあって「10ページで100万です」「5ページだと50万です」といったパッケージ版のホームページ。

ストックされている写真と画像と文章を、手際よくテンプレートに組みこんで、見栄えよくスペースを埋めていくだけのコンテンツ。

コンテンツを重視してホームページは手間がかかるので、このパッケージ版の基準で価格を比べられたらちょっとキツイ。

まずはこの価格がひとつ。

■ 費用対効果の価格 ■

あとは費用対効果の価格。
専門的には、ちょっとちがう語句かもしれません。

正しい語句の使い方はおいといて、ホームページの価格の考え方としては。

そのホームページを制作したことにより、例えば月1000万の売上が2000万になるのだったら・・・、いや、その規模だったら制作会社に依頼したほうがいい。

もっと規模を小さく。
例えば、月100万の売り上げが200万になるのなら。
ホームページ制作の価格は、仮に100万でも安い。

無形資産という視点でみると、その100万で制作したホームページには3000万の価値がつく。

素人の目検討の、極端さもあります。
もちろん、状況や業種によっても違います。

が、増加した年間売上の3年分弱、この場合だと3000万の価値を挙げて、半分の1500万円を見積もるのも、まあ、商売の世界の常識に適った価格ではないでしょうか。

相手が了承するしないは別にして、と付け加えておきます。

■ 出来高の価格 ■

とはいえ。
制作する前に、費用対効果は量れないものです。

予算がふんだんにある事業者だってそうそうはいない。
だから出来高の価格もあります。

出来高ではなくて、カタカナのかっこいい専門用語がいくつかあったけど忘れました。

出来高で十分に通じますし、検索しても思ったのが出てこないので、ひっくるめて出来高の価格とします。

簡単にいえば、一種の後払い。

例えば物販だったら、制作は0円でしますよ、でも売上の15%を頂戴しますよ、というもの。

物販で売上の15%だったら妥当でしょう。
20%でもいい。

当然、パーセンテージは、前払いがあるとか、相手から便宜があったなどの条件によって変わります。

■ 対比の価格 ■

価格についての前置きが長くなってしまいました。
この『自分史のホームページ』の制作の価格は、対比で決まりました。

本の価格との対比です。

自費出版すれば最低でも100万はかかる。
だから、ホームページも100万だろう、と依頼者のTさんがいうのです。

若年の私は、価格設定など全くわかりませんでした。

ただ「ちょっと手間がかかります」と大変なフリ、いえ、実際に大変そうだったので頭を抱える仕草をすると、Tさんのほうから100万という価格を見積もりました。

もしTさんが。
10万だろう、といったなら10万でした。
20万だろう、といったなら20万でした。

そんな感覚でした。

見積もり

ひとつひとつホームページというのはちがいます。

同じ人が2人いないように、ホームページもひとつひとつ異なります。

当然に料金も異なるので、この限りではありませんが、なんにしても見積もりは以下になりました。


テーマ: 自分史のホームページ
内容: 私小説風の文章とスナップ写真
ページ数: 100ページ

料金: ¥1,060,000(税別)
支払い: 前払い金¥200,000・月額¥86,000×10ヶ月


納期は6ヶ月くらいと曖昧でした。

結局は、110ページとなって、制作期間は10ヶ月。
すべてをUPするのに1年ちょっとかかりました。

制作途中で

ここで前出の「キャラクターが立つ」に戻ります。
Tさんの過去を客観的に見れると、変化が出てたのです。

まずは、読んで欲しい人が見つかりました。

息子が生きていれば50代。
もし息子がサラリーマンをしていれば、いろんなアドバイスをしたい。

それだったらと。
読み手は50代の男性向けにとなったのです。
サラリーマン生活の仕上げにかかっている世代です。

サラリーマンの処世術を、こと細かく織り交ぜて。
昭和の空気をリアルに感じるように。

Tさんが生まれてから、今までの70余年間をテンポよく。
とはいっても、だいぶ、はしょりましたが。

文体は私小説風に。
事実に基づいたフィクションとして。

どうせだったらと、恥ずかしい失敗談も、認めたくはない反省も、Tさんは暴露しました。
また、それが面白い。

ここまできたらと、誰にも話したことのないというTさんの女性体験も聞き出して、官能小説みたいにも書きました。
Tは怒張した一物で仁王立ちした、みたいに。

写真も沢山撮りました。

自分史に関連がある建物や場所を、実際に出向いてスナップ写真に撮り、30年前はこうだった、50年前はこうだったというエピソードとともに載せました。

いくつもの思い出の品も写真に撮り、しまい込んであった昔の写真もスキャンして300枚ほど載せました。

ホームページ完成後に

ホームページでなにがいいか。
それは、後で修正がきくこと。

UPしてからが本番みたいなところがあります。
修正と加筆は繰り返しました。

じっくりと作りこんだ甲斐もありました。
当初の目的だった自己満足は、どうにか達成できたようです。

アクセス数こそ多くありません。
が、リピーターに、じっくりと読み込まれているのは確かです。

Tさんが1番に喜んでいたのは「このホームページを読んで頑張ろうと思いました」と知らない人からメールがきたこと。

残念が点がひとつ。
ホームページをきっかけにして、同年代の女性のお茶飲み友達はできませんでした。

ただ以外だった点もひとつあります。
娘にホームページを見てもらったところ、娘とその家族と話す機会が増えたそうです。

Tさんのお言葉を借りますと「冥土の土産にはなった」とのことです。

後記

私から見れば立派な経歴のTさんを、つたない文章で書いてもいいのかな、という戸惑いもありました。

契約をする前に、それを正直に伝えました。
すると全く問題がないとのことです。

サラリーマンのときでも、部下を集めるときは「秀才はいらない」と「出来がわるい社員だけを集めて仕事をした」と笑ってます。

私は気が楽になったのです。

やる気が出たのは「若いのに個人で営業しているから依頼した」と言われたことです。

まだ『フリーランス』というという言葉が、まったく通用しない頃でした。

そんなこんなで。
一応の完成までには、1年以上にもなりました。

その間には、失礼なことも生意気なことも随分と口にしましたが、鷹揚に笑いながら応えるTさんでした。

とても勉強させて頂きました。

現在そのホームページは、娘さんが管理しています。

最後に

ご不明な点があれば、お気軽にメールをください。

「自分でホームページを作成したい」という方には、無料でアドバイスします。

私としては、ホームページを持たない人が、どこに疑問や要望を感じるているのかを知るというメリットがあります。

でもそうすると「なんでも無料でやってくれる」と誤解される方もいるのが常です。

私が時間を割いて教える、あるいは私が何かをつくる、私が何かを考える、という部分は有料という点は事前にご了承ください。

また、私はフリーランスです。
ホームページ制作や、webライティングを生業としているご同業様には、いささかの参考になればとも思います。

ここがヒントになった、ここはこうしたらいいと思った、等々。

そのような、うれしいお知らせが来るのを、楽しみに待っています。

セカンドコンテンツ 坂本太郎
sakamoto@second-contents.net