見出し画像

幼女趣味、サイコウ

なるべくシンプルでありたいこの時代に、
私はセボンスターを持ち歩きたいのです。

 コードレス・シームレス・ペーパーレス・キャッシュレス……

「レス」で溢れる現代日本。単線的なシルエットや彩度の低い色調がもてはやされるようになったのはいつからだろうか。無くなることは進化であるはずなのに、鞄が軽くなる度どこか寂しい気持ちが混ざる。

 幼女趣味という言葉にはやや危なっかしさがあるが、私の指す幼女趣味とは、幼稚園児から小学生の女児に向けてつくられたモノやコトのすべてである。実例を挙げてみればプリキュア、シール帳、ジュエルペット、香り玉、セボンスターなどなど枚挙にいとまがない。明るい色調とラブリーなモチーフで彩られたグッズたちは実用性とか、コスパとかそういう言葉の居ないところで輝く。
実例をみて懐かしさに悶えたあなたも、そうでないあなたも一度このnoteを読んでみてほしい。金属の箱に揺られ、薄い板にかじりつく日々がほんの少しだけ、ビビットに潤うかもしれない。

 私の幼女趣味への扉が開放されたのはほんの数年前のことである。きっかけは祖母の家に置いたままにしていたおもちゃのアクセサリーケースをたまたま発見したことだ。ピンクと白のレース柄の地に少し色褪せた5人のプリキュアが描かれた箱は私の扉を開けるどころか、爆破した。
可愛い、可愛すぎる。
ビーズの入ったシャカシャカヘアゴム、大きなハートのラインストーン、意味も規則もなくただ紐に通されただけのビーズネックレス。
どうしてこれを忘れていたんだろう。

キラキラした蝶や花のモチーフを可愛い!!と純粋に愛でる時間のなんと素敵なことよ。
とにかく癒される。

大学生になって、お金と時間に余裕ができると、思い出を眺めるだけだったのが収集もするようになっていた。そうして集めた沢山のキラキラたちを鞄に忍ばせたり身につけたり。いかにも軽そうな宝石や、爪で擦ったら剥がれてしまいそうなチープなゴールドが手の中にあるだけで口角が自然とあがる。
本物の宝石が欲しいのではない。
幼い日の私が持っていた「選ばれた女の子」への羨望とか、子供っぽいと一度手放した時の少しの寂しさとか、そういった今までの私の心のグラデーションがプラスチックを宝石に変える一因だと思う。

1日の始まりにも、疲れた日の帰り道にも、カバンの中で小さなキーホルダーがちらりと見えるだけで元気が出る。私にとってときめきはなによりも強い御守りである。

幼女趣味、とはじめたものの、このときめきの気持ちは幼女だった人たちだけのものではないだろう。センチメンタルな気持ちが混ざらなくたって、プラスチックは宝石になり得るのだ。

ものは試し、お菓子売り場の小さな六角形の箱を手に取ってみてはいかが。