マガジンのカバー画像

佐渡

5
半年間すごした佐渡の時間。文化、食事、人、絶景。 ー佐渡は、生活していますー
運営しているクリエイター

記事一覧

佐渡の両津港周辺について #4

佐渡のホテルで働きだして初日の休み。 ….とここで話はそれて、両津港周辺について物申したい記事にする。ディスります。 半年以上過ごした佐渡島で、もっともオススメしない、気に入らない町はどこかと聞かれれば間違いなく両津だ。 これは”両津港周辺”という意味。島外者がイメージするのは両津=両津港だが、実はめちゃくちゃ広い。 カンゾウの花が広がる大野亀も、昇竜のような岩首棚田も「両津」なのだ。といっても祭りの紹介や、各パンフレットでも集落名が使われるため、あくまで行政区間の「両津

佐渡初日の夕陽 #3

両津は他のエリアと比べて「昭和感」が強い。いわゆるシャッター商店街を抜けて佐渡の中心部へ向かう。茶色く錆びたシャッターの殆どは閉まっていて、小路には寂れたスナックがいくつか見えた。 昭和35年、佐度島にはなんと11万人もの人がいた。金山で働く労働者を含めればもっと人がいたことになる。 いまは5万人弱。過疎は珍しくないが、小さな島の中で6万人が消えるというのはかなり違った風景だと思う。 両津から中心部の金井までは何もなかった。というより本島の田舎を走ってるのとまるで同じだった

カーフェリーで佐渡へ向かう #2

カーフェリに初めて乗ったのは2009年ニュージーランド。フェリーに乗ったこともなかったのにハイエースを乗せて渡る時は本当にドキドキした。それからは何度も新日本海フェリーを利用しているが、この佐渡汽船はローカル社風が非常に強い。 山の下埠頭とは違う小さな埠頭で、小さなラインに車を並べてすぐに出発した。飛行機も船の出発時のドキドキが大好きだ、新しい世界に行く気分になる。 おけさ丸 往路はおけさ丸3代目。初代は昭和7年から米軍に襲撃を受けるまで運航していた。 予想通りバブリーな

そうだ佐渡へ行こう、と思った理由

もともとは4月から富山に行くあてがあったが、乗り気じゃない。能登へ行こうか、東北へ行こうか迷っていたとき「佐渡」が浮かんだ。ここ数年、春になると調べていた佐渡島。 散々調べた挙げ句、行くのをやめるのは決まってフェリーが高いから。2022年までハイエースに乗っていたので、往復で4万以上かかる。佐渡に行くのをためらう観光客の多くは佐渡汽船のフェリー代が要因と思う。 花の佐渡を縦走したかったこと、佐渡の金銀がイギリスやオランダに多く輸出されていた歴史を知りたかったこと、意外と海が

noteに書きなぐる

10年以上旅をしながら生活している。生活しながら旅をしているのか、旅をしながら生活しているのかよくわからない。東京の会社生活を辞め、長野県に移住したが、ほとんど家にいない。 そんな自分の生活(旅)を、ブログ(wordpress)に書こうか、SNSでアウトプットするか、無料サイト(noteなど)に投稿するかをいつも悩んできた。悩んでるうちに次の旅が始まる。収集のつかない情報・記憶・写真を抱えて重ねて放置している。 wordpressかnoteかという比較これはいろんなブログで