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Seraphic Blueはポストモダニズム的セカイ系作品か?

 今年の5月15日に公開からちょうど10年を迎えるフリーゲーム『Seraphic Blue』についての、論考とエッセイの中間のような文章です。

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 昨年病により夭折した三浦玲一が文芸誌『文学界』2013年7月号に寄せた「村上春樹とポストモダン・ジャパン ――リベラル・グローバリズムのセカイ」(2014年4月に彩流社から単行本化された『村上春樹とポストモダン・ジャパン グローバル時代の文化と文学』に所収)によると、90年代アメリカのディザスター映画(『インデペンデス・デイ』や『タイタニック』など)では主人公のヒーロー像がそれ以前の時代とは変化していると言う。90年代のアメリカ映画では、「恋人もしくは家族を守るために」戦うのであって、世界や地球はなんとか救われるが、それ以上に主人公の恋愛の成就や家族の平穏といった、個人的な問題が前面に出される。


 これらの主張は反例を見つけようと思えばおそらく見つけられるだろう。ただここで重要なのは90年代アメリカのディザスター映画の読解というよりは、「セカイ系」の趨りとしてもこれらの作品をとらえられる気がするということだ。

 前島賢(2014)『セカイ系とは何か』によると、セカイ系は元々ポスト・エヴァンゲリオン症候群として出発した概念だという。テレビ版エヴァの、とりわけ後半の展開に対する批判や応答として作られていったいくつかの作品(『機動戦艦ナデシコ』や『少女革命ウテナ』など)に共通して見られる要素や思想といったところだ。

 しかし2000年代に入り、テレビアニメ以外のジャンルから「セカイ系」と呼ばれる作品が登場する。その代表が高橋しんのマンガ『最終兵器彼女』であり、新海誠の短編アニメーション『ほしのこえ』であり、秋山瑞人のライトノベル『イリヤの空、UFOの夏』だ。これらはエヴァに呼応して作られたというわけではないが、ほぼ同年代に発表されたこれらの作品が「セカイ系」の代表作とされるようになったことから、「セカイ系」の定義をめぐる混乱が混沌としていく。

 先ほどの三作品はいずれも2002年までに発表されたものであり、そしてそのあとの時代に続く作品の系譜として2004年に発表された『Seraphic Blue』を挙げることは可能だろう。ちなみに2000年には『Sacred Blue』が、2001年には『Stardust Blue』が天ぷらによって発表されているが、これはまさに「セカイ系」と呼ばれる代表的な三作品が発表された時期と重なる。

 話を三浦玲一に戻すと、90年代アメリカのディザスター映画に見られた主人公像は、ポストモダニズムの一つの特徴でもあると三浦は見ている。大きな物語がなくなったあとの時代、それでもサヴァイブせざるをえない彼らの様子が描写されていること。そしてもう一つ大きな要素、アイデンティティの承認だ。個人と個人しかいなくなった状況では、承認をめぐる闘争に否応なく巻き込まれることになる。

 さて、三浦はウルリッヒ・ベックの「リスク社会」という概念を、「リスク社会」においてはそもそも社会は存在ないと批判しながら、「リスク社会」における社会なき世界を指して「セカイ」と呼ぶ。先ほどあげた三作品がセカイ系と呼ばれたのは、「ぼくときみ」と「世界」の中間としての社会が描写されてないことに対する揶揄もこめた思いから来ている。前島はこうしたセカイ系のとらえ方にいくつかの観点から批判しているが、それでもあえてこの中間がないという見方を参照すると、三浦もまた中間のなさを指摘していると言えるだろう。

 整理すると、三浦の言うセカイは式にすると世界-社会のことであり、社会なき世界すなわちセカイとは「プライヴェートの外に出るとそのまま戦場だったというセカイ系のセカイの語法にも通じている」と三浦は述べている。

 もっとも、この観点も前島ならおそらくセカイ系の作品すべてに共通する要素ではないと批判するだろうが、先ほど書いたアイデンティティの承認という要素は、リスク社会におけるリスクヘッジの一つになりうるのだろう。そしてそれは個人が徹底的に差異化される社会でもあり、まさに「セーフティネットなど存在しない」社会なのかもしれない。

 では、「セカイ系」はポストモダニズムかと言うと、そうした分析は前島は行っていない。これは政治性を読み解く研究をしている三浦と、95年以降のカルチャーの状況の流れを整理し、記述しようとした前島のスタンスの違いであって、「セカイ系」と政治性をめぐる議論を本稿では簡単に展開してみたいと思っている。

 三浦の整理だと、90年代以降のポストモダニズム的な作品はかなり広範にセカイ系に含まれてしまう気がするので(もっとも、三浦は様々な作品に見られるセカイの構造について述べているが「セカイ系」という作品に対するレッテルについては述べていない)前島による「セカイ系」についての整理も、『Seraphic Blue』はセカイ系の観点から分析する上で適宜援用しようと思っている。

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