【小説】五月、隣人と

 11年前、2009年の春に書き、私家版で少部数配布した小品ですが、昨今の事情に鑑みて公開します。執筆の経緯などは最後に記してあります。

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五月、隣人と

 五月にはあるまじき寒さのためなのだという噂を聞いた。うんざりするほど人が多いからなのだと言う噂を聞いた。いつまで経っても衛生観念が浸透していかないからなのだという噂を聞いた。乾燥のためなのだという噂を聞いた。自宅近くで乗り込んだタクシーの運転手は得々と語ったものだ、つまるところ山火事と一緒なんだろう? 乾燥が過ぎれば山が燃えて、消えやしないからな。
 どれが本当かなど、男には判断できない。バネやネジやベアリングの品質を試し、それが自動車のどこに収められてゆくのかはなにも見ずに答えられても、そのバネやネジよりも小さいウイルスとなれば男の手には余る。でっぷり肥った運転手はバックミラーからちらちらこちらを眺めてきて、降りしな、こう声をかけてきたものだ。旦那、お節介だがね、マスクを買った方がいいよ。スーペルメルカード・テクスメクスならばまだたっぷり売ってた。なんなら、夕方また車を回してやろうか? かく言う運転手の顔の中央には青いマスクが鎮座していたが、むっちり肉の詰まった顔には役不足のようで、ほっぺたの肉が溢れんばかりにはみ出していた。
 その不格好を思い出してつい男は笑みを浮かべるのだが、やがて首を振って雑居ビルの一室から窓を見下ろす。平日の真っ昼間だというのに、明らかに人通りは少ないようだ。あの運転手のおびえるごとく、この町にもいつのまにか、ウイルスは拡散しつつあるのだろうか。判断などできないまま男はキッチンに立つとコーヒーメーカーに水を入れ、スイッチを入れる。オフィスには誰もいない。それを決定したのは男だからだ。パソコンに向かえば驟雨のようにメールは日本から飛び込んできていた、本社の人間が気を利かせてくれたものだか、あとの責めを負いたくない一心なのか、外務省の勧告に厚生労働省の声明に、地元医師会のメールレターまでが転送されていて、ようやく最後に社の人間の声が聞こえてくる。ティフアナでの状況はいかがでしょうか。従業員に感染者が発生した際には直ちに連絡をお願いいたします。かねてお伝えしていたとおり、五月中旬までの操業停止を厳守下さいますよう。
 男はため息をつく、ウイルス禍の震央であるらしいシウダー・デ・メヒコはこのティフアナからは二千キロ以上の距離があり、いわば札幌にいながら那覇の空模様を心配しているようなものだからなのだが、このことが本社の人間に伝わるとは思えない。もっとも、ウイルスに距離の概念がどこまで通用するのかは分からない。なにしろをそれを拡散させているのは、他ならぬ人間だ。ちっともアテにならないメキシコの新聞にしたところで、ウイルスがシウダー・デ・メヒコから北上し、国境を越えてアメリカ合衆国テキサス州にまで到達していることを告げている。そしてそれは、イベリア半島での感染者が報告されたのと時を同じくしてもいるのだ。あたかも、ウイルスの汚染はメキシコばかりではないのだ、世界が等しく汚染されているのだと言わんばかりに、地元のメディアは感染の拡大を告げ続ける。
 それにしても、と男は考える。果たしてこのウイルスが国境の向こう、あの巨大な合衆国に端を発したのならば、世界はここまで震え上がったものだろうか? 米墨戦争の果てに失った土地ではあるが、いずれアメリカ中西部からメキシコ高原までがひとつらなりの大地であることに変わりはないはずで、ウイルスがそこに敬意を払うとは思えない。オフィスの窓からはすぐそこに連なる岩山が見えて、その手前にはバハ・カリフォルニアからメキシコ湾まで三千キロメートルに及ぶ長大な国境線がある。かなたとこなた、分かつ世界の違いの大きさと来ては、これに匹敵する国境は板門店(パンムンジョム)ぐらいかも知れない。あのウイルスがこちら側ではなくあちら側でその猛威を振るい始めたとしたら、遠く東京品川区の本社の人間たちはここまで慌てふためかなかったのではないだろうか。本社の人間ばかりではなく、あらゆる日本人が。アメリカでならば、大丈夫ということになるのだ。こちらでならば、そうではなくとも。
 ぼこぼこと音を立ててコーヒーができあがる。なみなみと注ぎ、啜り、小さく笑う。皮肉めいた顔をしているだろうなと、自分でも分かるような笑みである。しかしまあ、降って湧いたような災禍ではあるが、本社の連中には絶好の騒ぎでもあっただろう。これで大手を振ってこちらでの事業を縮小できるだろうから。考えてみればあれも唐突に過ぎる事件だった、世界中に激震を走らせた点ではこのたびの騒ぎに勝るとも劣らない。昨年九月の恐慌、あの震源となったのは、他ならぬアメリカではなかっただろうか? そしてその被害の拡大はウイルスよりも早く、メキシコにも、日本にも、及んでいたはずだ。そればかりか、ヨーロッパにも、中国にも。罪のないメキシコの豚のせいではなく、あちらは明らかに度を超した投機の繰り返しが産んだ人災であったはずだ、なのに、国境の向こうが今のメキシコほどに憎まれているとは思えない。ウイルス禍を押さえ込むためには今この瞬間にも世界のあちこちで医師が、看護師が、研究者が、忙しく手を動かしているのだろうが、いっぽうであちらの恐慌には未だに処方箋すら出てこない始末だ。ある者は貧困に転落し、ある者は迫り来る貧困に怯え、いずれ車を買おうなどとは思わない。車が売れなければ、ネジが売れない。バネが、ベアリングが売れない。出荷を待つばかりのところでベアリングの箱はサンイシドロの倉庫に屋根に迫るほど積まれているはずだが、あのままどの自動車にも迎えられなければ、ベアリングにもまたウイルスがひたひたとまとわりつくだろうか。メキシコ産のベアリングを、工場労働者はおそるおそるつまみ上げるだろうか。
 ティフアナの繁華街の雑居ビル、人気のない平日のオフィスに座っていると、つい考えが繰り言めいてくる。遅い昼食を採りに行こうかと考え、少々迷う。マスクをしていなければ、罪もない町の人々をいたずらに怯えさせはしないだろうか。それでなくともあのでぶちんのタクシードライバーの言うごとく、奇妙な噂は町に溢れているのだ。
 病院が混んでいる。薬やマスクが品薄になった。チリが、テキーラが、メスカルが、ウイルスを殺傷する。貧者の信頼を集めるシウダー・フワレスの祈祷師が発熱している人間への加持祈祷を断固として拒んだため、大いに面目を失った。噂は口から口へ伝わる、時にはメディアやネットが後押しをする。本当かどうかも定かではなく、どれもこれも尻尾のない蛇の如く、たどっていけばその先にはなにもないのかもしれないのだが。
 傑作だったのはマルティナ・カマラが教えてくれたことだが、サンミゲルのビールがウイルスに著効ありというメールが飛び交っているという。どう見てもガセなのにね、ママったら本気にしちゃって。普段ビールなんか絶対に口にしないのに、半日も探し歩いてようやく半ダース買ってきて、あんたも飲んでおきなさいだって。信じらんない、家でじっとしていた方が安全なのにね。
 そのマルティナも、ここにはいない。大学がついに閉鎖されてしまって自宅待機なのだそうだ、こちらとてアルバイトを雇い続ける道理はなくなってしまった。あの俊敏な、溌剌とした、英語とスペイン語をくるくるとお手玉みたいに操って見事なタイプの腕を見せてくれた、マルティナは、もういない。黒い巻き毛、深い瞳、細くぴったりと腰を包むジーンズ、サンダルの上の白いかかと。思い出されるのはしだいに不埒な映像ばかりになってゆき、男はひっそりと苦笑する。サンミゲルでウイルスが癒されるのならばまたとない誘い文句になっただろう、しばらくバイトも休みになるなら、ウイルスのために乾杯しないか? 俺は四十路で君は二十歳(はたち)、俺は黄昏を迎えつつあるけれど君の人生は今が甘い春、そんなことをぬけぬけと歌うホセ・ホセが国民的歌手と讃えられる土地に今なお自分が馴染んだとは思えない。顔を上げれば午後の西日が窓から斜めに差し込んできていて、埃が微粒子のごとく宙に舞い、しかしこれよりもはるかに微細な、極小のものどもに五月の午後が包み込まれてこの大気澄みわたる土地が正気を失っているのかと考え、男はいらだたしげに立ち上がる。これ以上なにもすることはあるまい、一人孤塁を守っていても誰も誉めてはくれないだろう。
 立ち上がりかけたところで、携帯のメールに気付く。懐かしい名前だ。ティフアナはどう? ウイルスは大丈夫かしら? 日本は大騒ぎ、一人の死者も出ていないのにね。貴方の健康を祈ります。ハシンタ・アルバラド。エミリアの姉、そしてかつての義姉。あのころから情の厚い女だった、なにくれと世話を焼くことを苦と思わない人間は、この世界に一定数存在するものだ。それは今でも変わってはいないのだろう。もう五年、いや七年か、顔も会わせていないというのに。ありがとう、そちらは元気ですか。俺は元気だよ、心配なく。商売は順調? 五月の横浜はさぞ人が多いことだろうね。ところで今は、エミリアは……? ここまでスペイン語で打ち、しばらく迷い、窓の外に顔を向け、国境を擁する山塊に目をやる。そのすぐ向こうがわにいることはわかっているのだ、横浜へ空々しいメールを投げる必要もあるまいが、それでも迷い、コーヒーを空になるまですすってしまい、ぐったりと疲れ切ったような気分になり、ジャケットを羽織ると雑居ビルの外に出る。タクシーを拾うべきか歩くべきか、しばし迷ったのちに歩き出す。まだ日も高いし、そう危険なこともないだろう。なにしろ人通りはこのありさま、そしてなによりも、犯罪が目に見えて減っているらしい。悪党どももウイルスを恐れているのだか、かつあげにかっぱらいには日が悪いと踏んでいるのだか、それは分からない。ともあれ、確かなことは、この二つだけだ。ウイルスがティフアナに及ぼした影響は二つきりだ。
 傾きかけた夕日の中を小一時間歩き、マーケットでマスクを買い、家に帰った。缶詰を空けて簡単なパスタをこしらえた。買い置きのビールはテカテだったが、ウイルスが居るとしたらどう思ってくれるだろうかと思いながら二缶を流し込んだ。バスタブの中で眠りこけそうになってしまい、慌ててベッドに移ると明け方まで眠った。メールを送信していないことに気付いたのは、朝ぼらけの中でのことだ。書きかけた文章を一つ削り、書き足して、送信する。

「ありがとう、そちらは元気ですか。俺は元気だよ、心配なく。商売は順調? 五月の横浜はさぞ人が多いことだろうね。くれぐれも体に気をつけて。サダユキ・モリタ。」

 携帯が振動し、懐かしい名前の返信があったことに安堵する。なにしろあらゆるメディアが浅ましいばかりに騒ぎ立てているのに、当のメキシコの様子はさっぱり伝わってこないのだ。
 テレビをつければ、ネットをのぞき込めば、日本人の狼狽ぶりが至るところから漏れ出てくる。WHO(世界保健機関)が警戒度をフェーズ5に引き上げたのを受け、成田空港での検疫体制が強化されたのだとか。連休を前に、観光業界はがっくりと肩を落としているらしい。豚肉の価格急落に伴って牛肉と鶏肉の価格が高騰している。のみならず、どういう理屈でなのか豚肉料理そのものまでもが忌避され、とあるファミリーレストランは七十五度で死滅することがわかっているウイルスを恐れて、全店で豚肉のメニューを一斉に販売停止にしたとやら。まるで微気圧計のような鋭敏さだとハシンタは思う、気圧の降下がすぐさま雨天を意味するわけでもあるまいに。
 おかげで店はこのありさまだ。五月ともなれば港の遊園地に、外人墓地に、中華街に、人は群をなしてやってくる。この店から二辻ほど行ったところの古びた建物を見にも、やってくる。しかし、このありさまだ。去年、友人のヤン・ウェイがこぼした愚痴をどうやって慰めていいものやら分からなかったが、今ならばウェイの気持ちがよく分かる。ひどいもんだよ、世界中の餃子に毒が入っていると思っているんだろうな。そうね、よく分かるわ。豚に罪はないのにね。まして、メキシコに罪はないのにね。ひどいものだわ。そう、今ならば言ってやれる。昨年の騒ぎが忘れ去られ、今ごろ中華街のウェイの店は繁盛しているのだろう。妬んではいけないと思っているが、がらんとした店を見渡すに、焦燥感は募るばかりだ。休日ならば設けないランチをやることにしたが、それでも常連のマツダさんが昼過ぎにケサディーヤを食べにやってきて、それ以来一人の客も訪れてこないのだ。ことによれば入口のドアの札を「Cerrada 閉店」から「!Bienvenidos! ようこそ!」に裏返し忘れているのではないか、そう思って、また何度目かドアを確認しにゆく。外に出れば夕方近い空は晴れ渡り、若いカップルがちらりとこちらを一瞥して、歩き去ってゆく。あの早口の会話、あれがうちの店のことを言っているのだか、埒もないおしゃべりなのだか、自分の日本語では聞き取れない。
 店に戻り、カウンターの前にまた腰かけて、ため息を付く。コロンビア娘のベンディシオンとペルー青年のマウリシオ、結局連休はすべてお休みにしてしまった。相模原のカーペット工場が三月に潰れ、途方に暮れていただけに、本当に喜んでいたのに。心が痛む。
 仕方のないことなんだろうか。マツダさんはケサディーヤを頬張りながら慰めてくれたものだ、まあ、気を落とさないで。人の噂も七十五日。知ってる? この日本語。マツダさんの態度には励まされるが、話を聞くに、事態は深刻だと思わざるを得ない。マツダさんの学校でも、噂は様々に形を変えてささやかれているらしい。スペイン語を学んでいる学生にして、そうなのだ。私にしたところで、メキシコの様子は、サダユキのメール一本から伺い知るばかりなのだが。
 エミリアは元気だろうか。いつもの気まぐれを起こしていなければ、今でもカリフォルニアにいるはずだ。ロサンゼルスなどメキシコの目と鼻の先じゃないか。あの子にメールを出してすぐに返ってきたためしなどないんだけれど、それでもなにか様子を窺ってみようと携帯を取り上げたところで、店の電話が鳴る。もしもし、お電話ありがとうございます、メキシコ料理の店「エル・ソル・メヒカーノ」です。若い男の声だ、早口で聞き取りにくいが、言いたいことはほどなく伝わる。そっと首を傾げ、ため息が漏れ聞こえないように苦労する。ハシンタは話す、ええ、はい。わかりました。確かに。

「すいません、あの、予約入れてたタカハシなんですけど。……あー、はい、今日の六時。そうです。……すいません、急に予定が変わっちゃって。ええ、はい、すいませぇん、どうもぉ」

 実は店の目と鼻の先、桜木町の駅にほど近い路上で若い男が携帯を切って友人たちを振り返る。あ、オッケーだって。あっそ。なんかドタキャンって気が引けね? 俺だってやだけどさぁ、セキグチおめーだろ? いちばん気にしてたの。いや、悪ぃけどさ、おれ外食じゃん? だからさあ、いまメキシコってのはちょっとなあ……。言い訳がましくつぶやくセキグチ青年と携帯を切ったタカハシ青年、他に似た年格好の青年が全部で五人、桜木町の周辺をうろちょろしたあげくに結局は駅近くの雑居ビルへと吸い込まれてゆく。日本中のどこにでもある居酒屋が、三階から七階まで詰め込まれているビルだ。
 ピッチャーでビールを頼む、たっぷりすり切りまで注ぐ。勢いよくジョッキを中空でぶつけ、すいすいとビールを流し込む。どれもこれも若いのだ、一人を除いて大学を出たばかりだ。四月の一日から自分のあらゆる生理を組み立て直し続け、社会とやらいう場に適合させようと奮闘して、疲れ切っての一カ月だった。どうよハラダ、銀行は。あー、きついわ。研修センターが幕張にあってさあ、遠いんだよ。周りなんもねえし。研修とかあるだけいいじゃん、俺、いきなり外回りよ。なんかさあ、組まされた先輩がすげえ微妙な感じで。なんかさあ、デキル人らしいんだけどさあ、人の目見て話さないんだよなあ。マジ? アサノんところってマンション販売だろ?それで営業ってやばくね?
 騒ぎ立てながらビールをあおり、場が落ち着いたころには一同の顔は赤らみはじめていた。なんか食いもん頼むか。メニューとって。あ、俺タコわさ。なんか串ねえ? こないだ同期で飲み行ってさ、すげえうまくて、俺セセリとか知らなかったよ。店の若い衆を呼びつけて口々に頼む、そのさなか、店員の顔が曇る。申し訳ございません、ただいまイベリコ豚の香草焼きは販売中止とさせて頂いておりまして。え? マジ? じゃあ豚トロとアスパラの鉄板焼きは? 申し訳ございません、そちらの方もちょっと……。おいおい、マジかよ。お兄さんちょっとさあ、この店、豚肉どっから買ってんの? あ、ええ、その。おいちょっとセキグチ、止めとけよ。すいませんねお兄さん、じゃあ地鶏の軟骨揚げで。
 困惑した店員が立ち去ってからハラダがセキグチを小突く、お前ちょっとペース早すぎ。バイトくん苛めんなよ。いや、でもさあ、俺外食だろ? なんかすげえ過敏になってるんだよなあ。セキグチ青年はくたびれきった顔を伏せる。うち、基本はファミレスなんだけどさ、系列は居酒屋とパスタ屋もやっててさ。西多摩地区統轄本部って、抱えてる店がすげえ多いんだよ。豚もさあ、ハムが入ってるだけでクレーム付けてくる奴とか居やがってさあ。
 今まで無口だったサトウ青年がそっとビールを啜り、つぶやく。なんつうか、騒ぎすぎじゃないかって俺的には思うけどな。取り立てて悪性度の強いウイルスってわけでもないだろ。なのにさ、この連休、病院も混みまくりだ。なにお前、もう患者診てんの? あーいや、病院実習。三月からね。あ、俺もそう思うわ、タカハシが顔をしかめる。メキシコでもそこまで騒いでないらしいぜ。俺の知り合いがブログで愚痴ってた。なにそれ。留学してんの? いや、ミクシィの知り合いでさ。ルイス・ブニュエルのコミュで知り合いになったんだけど、日本のサラリーマンで、もう十年ぐらいメキシコに住んでるんだって。へえ、相変わらず変なことやってんなおまえ。いまティフアナって町にいるみたいなんだけど、仕事に影響でまくりだってさ。その人の仕事、自動車会社なのにな。ヒステリーだな、サトウが肩をすくめる。ゆっくりとビールを啜り、つぶやく。結局、ウイルスだろ? 逃れられやしないのにな、俺たち、みんな。
 一同がサトウを注視する。あちらさんもRNA残すのに必死だろうからな。ウイルスって自力じゃ増殖することすらできないんだ。人間だろうが、豚だろうが、鶏だろうが、自分の揺りかごになる生き物ならばなんだって取り付くさ。へえ、そうなん? タカハシが驚く。最悪だな、ハラダがつぶやく。しょうがないよ。ウイルスによっちゃ、感染したら死ぬまで人間と共存するのだってあるんだから。げ。マジかよ。やばくねえの、それ? セキグチが顔をしかめる。結構あるんだぜ、水ぼうそうのウイルスだってそうだ、ヘルペスだってそうだ。たぶんお前ら、全員もう感染済みだよ。俺もこないだ抗体測ったけど、ばっちり感染してた。
 サトウは淡々と語る、一同はちょっと落ち着かない様子で自分の体を眺める。そんなもんなんだよ。歴史が始まる前からそうだった、これからもそうだろうな。共存してかなきゃいけないんだ、俺たち。

(了)

"Mayo, con Fraternidad", Shin Segawa
2-3 de Mayo de 2009, Tokio


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 2009年春、メキシコで豚に由来する新型インフルエンザが発生し、その後、世界的な流行を引き起こしました。作品の背景はそのときのものです。なお、作中で言及されている米国の事件はリーマンショックを指します。これもまた一種のパンデミックと言っていいような重篤な影響を世界中に及ぼしましたが、それぞれから得た印象というのは全く異なったものであったように思います。また、ヤン・ウェイの言及しているのは2008年に起こった中国産餃子への毒物混入事件です。10年以上が経過し、それぞれの事件にもこのように注釈が必要なほどの時間が経ってはしまいましたが、いま起こっている新たなウイルス禍に対して我々の考えかたやふるまいかたにはなにか変化があったでしょうか。そんなことを考えつつ、旧作を公開いたします。いま人類の直面している新たなウイルス禍が一日も早く終息することを祈りつつ。

2020.2.3. 瀬川深

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