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第121話 シルクロード1週間の旅を一円も使わずに果たして来た【夢夢日本二周歌ヒッチ旅 回顧小説】

シルクロードの旅はほんの概略に留めよう。

ぼくは初めて使う愛知中部国際空港から上海経由で西安に渡った。

そこからまたすぐに飛行機で敦煌(とんこう)へ。

7月18日、敦煌で陽関、鳴砂山などを見学。

鳴砂山
鳴砂山
鳴砂山(ここをそりで滑り降りれる)

19日、莫高窟、シルクの絨毯工場などを見学した後、夜行列車でトルファンへ。

莫高窟
莫高窟
莫高窟

20日、トルファンで高昌故城、アスターナ古墳、ベズィクリク千仏洞、火焔山(かえんざん)、交河故城などを見学。

21日、バスでウルムチへ行き、飛行機で西安へ。

22、23日と西安で2泊。西安では華精池、兵馬俑、碑林博物館、西安西門、舞踊を見学。そして上海経由で中部国際空港へ。

ぼくはシルクロードに点在する地名が好きだ。「トルファン」「敦煌」「サマルカンド」「ゴビ砂漠」などなど。

その響きだけでぞくっとする。

なんというか、ロマンチックというか、ノスタルジーというか、幻の地というか、異時代というか。

なかでもぼくは「サマルカンド」という響きが一番好きだ。

ドラクエとかにもこんな地名が出てきそうな気がする。

だが、サマルカンドには行けていない。いつか行ける日が来るのだろうか。

でも敦煌に行けたのはよかった。西田敏行さん主演の映画「敦煌」を知っていたから、なんとなく昔からあこがれていた。

あと火焔山は西遊記に出てくる有名な山で、山肌が確かに火が燃えているような筋になっていた。

火焔山
火焔山

ちなみに「ゴビ砂漠」は「ゴビ」(モンゴル語)が「砂漠」という意味だから、「ゴビ砂漠」と言うのは間違いで、「ゴビ」とだけ言ったり「ゴビ灘(たん)」と言うのが正しいのだと、中国人のガイドさんが言っていた。

「甲州街道ロード」と言ったら変なのと同じだろう。

また、ゴビは決してやわらかい砂の砂漠ではなく、どちらかというと硬い砂利の平原だ。

そして夏のシルクロードは暑かった。最高気温が40度以上が普通。
 
暑さゆえか昼寝が習慣。でも昼寝があるのは、日照時間が長いことも関係があると思う。
 
空が暗くなるのは夜の九時半頃。
 
夕飯を屋台で食べていると、その辺で子供が沢山遊んでいるのだが、時計を見ると夜9時とか。
 
日本ならもう寝る時間だ。
 
中国は横に広いのに、細かく時差の調整がされておらずこういうことになる。
 
なかでもトルファンの暑さはすさまじかった。ぼくが行った時トルファンは46度だった。

それくらいの気温になると汗はかかない。なぜか?汗が蒸発してしまうからだ。

だから気づかないうちに水分が失われているので、汗をかかなくともまめに水分補給をする必要がある。

また、暑すぎて雨が落ちてくる前に蒸発してしまう地域なので、年間の雨量が非常に少ないそうだ。

それでも天山山脈からの雪解け水による川があり、その水がきれいだった。

もちろん川があるところには敦煌とかトルファンなどの街ができるし、要するにオアシスだが、ウルムチという都市にあっては、人口200万の大都市となる。

巨大なオアシス都市ウルムチ1
巨大なオアシス都市ウルムチ2

かつてシルクロードの要衝として栄えたその威厳というか、揺るがない自信というか、不動の栄華を感じさせた。
 
オアシスの外は遠く目をやると竜巻がいくつか出ているような砂漠で、見渡す限り地平線なのだが、一歩中に入ってしまえば、ウルムチは近代的な高層ビルが立ち並ぶ大都市だ。
 
観覧車は2つ見た。名古屋より大きい都市なのではないかとさえ思った。

日本では絶対に見られない都市の在り方だ。

また、天山山脈の雪解け水は、実は川にならずとも、地下水脈になっているところがある。

地下水脈にそって人々は一定の間隔で井戸のように穴を開け、その水を利用してきたらしいのだが、その穴がいろいろなところに点在していた。

これをウイグル自治区ではカレーズという。

このカレーズは、天山山脈から約300km、幾筋も続いて掘られ、トルファンの川につながっている。

そしてぼくにとって特に新鮮だったのはウイグルだ。

新疆(しんきょう)ウイグル自治区はウイグル族を中心とした中央アジア系、宗教はイスラム教系の少数民族の住む地区だ。

街ではいろいろな複雑な人種や漢字とアラビア文字が見かけられる。ここは中国とは思えない。

ここの自治区の西はカザフスタンやウズベキスタンやトルクメニスタンで、だから顔つきは中国人ぽい人もいるが、もはや西洋系だ。

ウイグル自治区を旅すると、360度何もない砂色の世界に、ポプラ並木で囲まれたロマンチックな地名の街があり、そこに入るともはや顔が中国人ではない人たちと出会う。

まさにザ・シルクロードだ。

ウイグル族の女の子

このポプラの木というのがなかなかよいシルクロード的雰囲気を出している。

作家の宮本輝さんはそのシルクロード紀行のタイトルを「ひとたびはポプラに臥す」としているくらいだ。
 
それくらいシルクロードの風景にポプラは欠かせないと言ってもいい。

ぼくはパキスタンのカラコルム山脈で、その景観にぴったりだったポプラの木の魅力を知り、そのポプラがシルクロードにあることで一層ぼくの心はくすぐられた。

そして、そういえばパキスタンとウイグル自治区はそれほど遠くないのである。

ウイグル自治区はパキスタンとも接している。

カラコルム山脈の山あいにあるパキスタンのカリマバードに泊まったときには、その山脈を北に越えたらすぐ中国だと言われていた。

つまり、このウイグル自治区のことだった。

シルクロードを旅した方は、ぜひ「ひとたびはポプラに臥す」を読んでいただきたい。

まさに「そうそう、そうだった!」と思わせてくれる。

さて、敦煌やトルファンやウルムチもこの自治区にありウイグル人たちとたくさん出会うことができた。

ところが「自治区」というのは名ばかりで、実際は中国人つまり漢民族がウイグル人に圧政をしいている。

モンゴルやチベット自治区も同様で、近年彼らのアイデンティティは急速に失われている。

また、このウイグル自治区は宗教的にはイスラム圏と中国圏の境目にもなっている。

莫高窟(ばっこうくつ)に描かれていた仏像の顔がイスラム系ぽかったり、西洋系ぽかったりするのだが、

何千年も前からここは東西の行き来が盛んで文化の揺らぎがあったということだ。

顔の違う人々がいくつもの時代をまたがってここを行ったり来たりし、ここに留まって、仏教という宗教に命を懸けていた人々がいた。

その変遷が仏様の顔に表れてるというのが面白い。

しかし、現在の話となれば面白くない。

この大陸で幾万年、幾千年もの間戦いが繰り広げられ、血が流されてきただろう。

この中華の端の地域ではなおさらだ。

そう考えれば今ウイグル人たちが圧政の中にいることも珍しいことではないのだろう。

ただ、この現代で、ある民族をほろぼすなどということはもう許されることではない。

命を奪わないまでも、言葉や文化を奪う。それはある意味命を奪っているのと同じことだ。
 
そしてそれはまさに日本が台湾や満州などでしていたことと同じことなのだが。

なぜ圧政をしいているのか。弾圧をしているのか。

歴史をさかのぼれば、むしろシルクロードの中央アジアの人々によって中華は恩恵を得て来た部分もあるはずだ。

しかし、豊富な地下資源があることが、ウイグル自治区を独立させない理由のひとつとされている。

また、独立を許した場合、近隣のイスラム国と手を結ぶ可能性もあり、勢力的にマイナスになる。

ぼくはその後モンゴルにも行ったが、内モンゴル自治区のモンゴル人は「50年後、モンゴルはなくなるよ」と言っていた。

理由はウイグル自治区とほとんど同じである。

ウイグルの人達の文化がどうか失われませんように。

このようにシルクロードはいろいろとぼくを感傷に浸らせた。

それに比べ西安ではザ・中国という名所を見た。

楊貴妃の入った浴槽だったり、兵馬俑だったり、劇だったり。

楊貴妃の像
浴槽
兵馬俑
西安の城壁

それ以外にもたくさんの観光名所を見させていただいた。

このシルクロードの旅は高齢者が中心の檀家さん十数人の観光ツアーだったから、当然一人旅と違って快適でスムーズだ。

移動は常に観光バス。レストランの予約、ホテルの予約、どこにいって、どのルートで行くのか、全て用意してもらった上での旅行。

安全第一。

だからアクシデントや予定外のことは起きない。地域の人々とのふれあいは少ない。

何か、修学旅行のようで、体重は3キロ太った。

アジアの放浪の旅や、日本二周の旅とは全く違う。

ぼくは「自分が変わる可能性」を求めていた。

今の自分を越えることを目指して。

だから「旅行」ではなく「旅」を求めていた。

安全第一の旅行を物足りないと言えば物足りないが、ぼくはこれもいいと思った。

ちょっと違った視点で旅をすることも必要なのもかもしれないのだから。

たとえば中国大陸という大地の壮大さや、シルクロードという歴史の壮大さを体で感じることができた。

それは地球というものを見る視野を広げるのに役立つ。

それに、もう一方で「今しかできないこと」も求めていた。

このシルクロードの旅は、まさにその「今しかできないこと」であった。

こんな旅行を日本二周の最中にできるなんて、これはまったくの奇跡だった。

こんなぜいたくな旅ができるなんて、もう一生ないかもしれない。

しかも、シルクロードという行きたいと思っていたところに行けたのだ。

かりに旅先で出会えた人はいなくても、一緒にツアーをまわった人たちとは出会えた。

ぼくのような人間がいることが、何かみなさんにプラスに働いてくれたらそんな嬉しいことはないし、ぼくはこういう旅行があるということを知っただけでも勉強になったと思っている。

そして何よりも、ぼくをこの旅行へ連れて来てくれた和尚さんの心に出会えたことが一番の学びだった。

無償で人に施すということを、ぼくは身をもって味わったのだった。

つづきはまた来週

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