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自己紹介…も苦手なもののひとつ

子どもの頃から自己紹介が苦手でした。

人前で話すのが苦手というのも理由のひとつですが、与えられた時間内に自分のすべてを話せるわけないじゃん、というのが大きな理由です。なので、自己紹介してといわれると、「〇〇です。よろしくおねがいします。」しか言えなかったなあ。で、「無口な人」「取っつきにくい人」ってイメージがいきなりついちゃうという(笑)そのイメージを覆す努力もしなかったしね。

そんな人生だったので、さあ、もう還暦も手前なんて年齢になっちゃうと、ちょっとやそっとじゃ語れない人生ですわよ。どう自己紹介しようかしら。出来るだけ簡潔に、それでも少しだけ詳しくやってみますか。

中学卒業まで

1961年3月に神戸に生まれて、1歳になるかならないかでちょっとした大病にかかってしまって、ひ弱なお嬢だったので、幼馴染の男子たちから「姫」扱いされてきたのが小学校1年まで。

小学校2年になる年、新興の団地への引っ越しに伴って転校。姫扱いがなくなって途方に暮れる。なかなか馴染めずに、休み時間は校舎の裏で毛虫を木の枝に這わせてそれを見て過ごすという静かな日々を送る。

小学校4年になる年、学校のマンモス化による新設校に転校。「今日は天気がいいから、校庭に出て詩を書いてみましょう」「今日は霧がすごいから、みんな窓開けてごらん」っていう担任と出会って、詩や文学が大好きになる。今思い出しても破天荒ないい先生だったなあ。

中学校は、同じクラスに同じ小学校から行く子がいないという環境で、これまた馴染めない。かなりエグめのいじめを受ける。放課後は図書室、帰りは本屋に立ち寄るのが日課となる。本はいい。いつも私を受け入れてくれる。

中3の時、中島みゆきさまを知る。デビューしたてで、ゲストとして出てたのかな。偶然聴いて、当時はまだボソボソしゃべりだった彼女と「アザミ嬢のララバイ」のカッコいいお姉さまとのギャップに瞬殺される。この出会いは私の性格形成に大きく影響するのだった(マル)

高校卒業まで

高校は、祖父母の家から通うことになったので、私ひとりが家族と離れて広島県の山の中へ。中学の時、アホな部類だったはずなのに、田舎の高校では中の上だったことに気をよくして(友だちもいなかったし)、暇つぶしに勉強をする生活になる。部活動は新聞部。紙面を構成して記事を書いて。あまり誰にも理解してもらえないけど、楽しかった。ほんとに。

暇つぶしに勉強してると成績がよくなって、大学進学が現実的になる。高1夏に読んだ三島由紀夫の「金閣寺」に魅了されて、「大学行ったら『金閣寺』が理解できるかもしれない」とアホな夢を描く。ついでに「これだけ本が好きで国語はそこそこできるんだから、国語の先生になればいいじゃん」と思い始める。ウチの高校の国語や古典の先生がすごく好きだったのもある。ちなみに、一番好きだったのは数学の先生だったけど。

大学卒業まで

大学行けちゃったけど、思ってたような感じではなかったので、講義は極力出ずに、バイトとサークル(学生赤十字奉仕団)に明け暮れる。「学奉」では養護施設(なんらかの事情で親と住めない子どもたちの施設)で勉強教えたり遊んだりしてた。寮の門限破りなんかも経験したw

卒論は悩んだ挙句、三島にしたけど、読めば読むほど道に迷ってしまって、結局「豊饒の海」論という、思ってもいない所に辿り着いて泣きながら仕上げる。

教育実習で母校に行って、とにかく楽しくて仕方なかったので、即校長に手紙を書く。「もし今年の採用試験に落ちたら臨時採用で雇ってください」と。思ったとおり採用試験に落ちたので、母校の臨採として教員生活スタート。

退職まで

教員生活は楽しかった。エキサイティングだったし。

臨採を渡り歩いて3年もやったんだけど、ええ加減受からなきゃヤバいと思ってた頃、尾崎豊の「卒業」を聴いて「高校生にこんな思いをさせちゃダメだ」と心から思って、ほんっとに真剣に採用試験用の勉強をして、なんとか本採用に。

本採用になるのとほぼ同時に、同僚と結婚。2年の通い婚を経て1年同居。出産して1か月で子どもとヘソクリ持って出奔。それから婚家には戻ってないw 子どもが1歳になる頃に調停離婚成立。

仕事の方は、進学校にも行ったし、いわゆる「周辺校」にも行った。後者の方が楽しかった。全身全霊で、いろんな子たちとぶつかってきたと思う。

やがて、広島県に文科省からの「是正指導」ってのが入る。詳しく書くとめんどくさいので。入る。居心地がどんどん悪くなる。子どもたちは切り捨てられ始める。今まで築いてきたものが片っ端から「是正」される。子どもたちの居場所がなくなるにつれて、教員は機械になることを強いられ、私のこころが壊れた。

壊れかけてた頃、仕事がらみのイベントで14歳年下の変わり者の青年と出会う。

今まで

2010年に「適応障害」で退職。パワハラも受けたけど、完全にこころが壊れてたから何の証拠も取ってない。そこは今でも悔しいけど、まあそんなもんでしょう。

退職きっかけで、ずっと付き合っていた14歳年下の変わり者と事実婚に踏み切る。その後、扶養の手続きとかでやむなく婚姻届を出すに至る。

2011年、最愛の父が亡くなったことと、抗うつ剤の関係もあって、わけのわからない日々を送る。

現在

数年前から、なんとなく、いろんなことが吹っ切れてきて、塾講してみたり家庭教師してみたり。中学生メインで数学や英語と、定期テストは全教科なんとなく。あと受験対策で主要5教科。その子たちの性格ややる気や環境やいろんなものを見ながら、個別に計画立てていくんだけど、基本勉強が苦手な子たち相手だから、知恵比べっぽくて楽しい。

充実した人生送ってると思うし、人並みではない人生送ってると思う。それはエキサイティングで良い。

何だかとめどがないけど、まあ、こんな感じでしょう。お読みいただいてありがとうございます。ついでに、youtubeもチャンネル登録していただけると、泣いて喜びます♪


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