なぜ教師を目指すのかPart.4~教師から独立リーグを目指すまで~
昨日は、なぜ「体育」の教師なのか。を書きました。
体を動かすのが好きで、体育の授業をやりたい。
そして、体育大学へ進学。
大学卒業後には、埼玉県内の特別支援学校へ勤務します。
まだ正規採用ではなく、臨時的任用教諭(※1)としてですが、教師としての第一歩を歩み始めることになりました。
高校野球の指導にも携わりたいと思っていたので、土日など空き時間には母校の野球部の手伝いにも行っていました。
何不自由なく、社会人生活を過ごしていました。
しかし、僕は2年目の冬には採用試験の合格を目指さなくなります。
今日は、そのことを書いて行きます。
4.いざ、教師となって
臨時的任用教諭としてではありますが、いざ教師となり、淡々と働いていました。
与えられたことはそれなりにこなしても、自発的には何も行動できない人間でした。
採用試験だって、何回かやってたらそのうち受かるだろう。
指導者だってできて、何一つ不自由なかった。
批判覚悟で言うと、給与だって入って当たり前。
大学4年間を寮で過ごし、全国大会も経験し、なんでもできる気になっていました。プライドの高い、ただただウザいクソ野朗でした。
今振り返ると、本当に当時の自分を恥ずかしく思います。
きっと、やりたいと思っていたことが実現し、それだけで満足していたんだと思います。
5.兄からの一言
そんな日々に、違和感はありました。
何を子どもに伝えても、客観視すればこんな自分。
死ぬ気で何か成し遂げたわけじゃないし、なんで卒業して教師やってんだろ。と。
高いプライドはあっても、自信はありませんでした。
そして、社会人2年目の元日、兄に言われた一言が、人生を変えるきっかけになりました。
「お前も『普通』になったな。」
という言葉。
兄に普通になった、と言わせる弟もどんなヤツだったんだと、ツッコミを入れたくもなりますが(笑)、置いておいて、その言葉は衝撃でした。
卒業後、流れで教師になっていたことに気付かされます。
もちろん、
「やっぱりオレ、変だったんだ!」
とも素直に思いました。(笑)そして同時に、
「じゃあ、普通じゃなくて良いじゃん。」
と、開き直りました。
この言葉を受け、普通に人と同じように生きるのを辞め、「独立リーグ」の選手になることを目指します。
野球をやりたい。という想いではなかった。
①職業として、野球をやりたかった。
②自分の価値を知りたかった。
③「プロ」になるという、小学生の頃に抱いていた夢を叶えたかった。
この3つをハッと感じたことは、今でも鮮明に覚えています。
とは言え、僕は大学3年の夏で選手を引退し、学生コーチとなりました。この時点で既に3年半のブランク。
でも、関係なかった。
やらなきゃわからん。
そうとしか、思いたくなかった。
きっと、自分を変えたかったんだと思います。
だから、自分を変えよう。と。
ここから約10ヶ月間、鬼のようにバットを振り続けます。
この続きはまた次回。
ご精読、ありがとうございました。
※1 臨時的任用教諭とは、一般企業で言う契約社員です。
採用試験には合格していなくとも、契約期間中は正規の教諭と同等の待遇を受けながら働きます。
ご精読ありがとうございました! まだまだ未熟者ですが、スキ、コメント、フォロー、シェアしていただけるよう、これからも頑張ります! こちらもぜひ! Twitter https://twitter.com/nozoe_seigo また遊びに来て下さい!