白いシャツと格闘中
子供の頃からずっと私立の学校だったので、制服だった。
当然のことながらシャツは白と定められていた。
その反動もあって、大学に入ってから、白いシャツは滅多に着なくなった。
白に飽き飽きしていたのだ。
そもそも白いシャツは権威主義的な印象がする。
それだけではない。
公務員が着ると、愛嬌の無さが、
会社員が着ると、横並びに安堵感を抱く気持ちが、
政治家が着ると、裏切りと欲に満ちた裏の人生が、
学校の先生が着ると、人間としての器の浅さが、露呈する。
白は、それを着る人間の、内側の色をも浮かび上がらせるのだ。
それに、顔のシミだって目立つ。
そんなわけで僕は白いシャツを避けてきた。
けれども最近、白いシャツをもういちど着てみようと思うに至った。
きっかけはばかばかしいほど単純で、
映画で観たロバート・レッドフォードの白いシャツだった。
「あ、かっこいいな」と。
すぐに真似しようとした。
けれども久しぶりに着るので、明らかに似合わない。
黒いネクタイにサングラスをかければ、要人暗殺の指令を受けたCIAか、親分の葬式に来たヤクザか、といった感じだ。
妙にかしこまっているのがいけないのかな。
くずしてみようと、第1ボタンをあける。
まるでくたびれたサラリーマンだ。
もう少しくずそうと、第2ボタンもあける。
まるでバカンスをエンジョイするロシアのマフィアだ。
ああでもない、こうでもない。
僕と白いシャツとの格闘はしばらく続きそうだ。
爽やかで、清潔な印象がして、透明感がある老人になりたいから。
瀬戸内寂聴さんだって、発展家として若き日を過ごされた後、出家なさったのだから、
僕だって、チョイワルおやじの後、クールな老隠居になれるはず。
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