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カバー曲で楽しむ「甘い囁きParoles Paroles」



ダリダとアラン・ドロン ―スターの世界


世に流布しているのは、ダリダとアラン・ドロンのバージョンですよね。
たしかに素晴らしい。完璧です。
これ以上いじりようはないのではないかと思わせます。
 
アラン・ドロンが女性を口説こうと、美辞麗句を並べ立てます。
それらの言葉はあまりにも甘美なので、真剣なようでいながら、どこか滑稽でもあるかのように聞こえます。
アラン・ドロン以外の誰が囁いても、真剣さか、滑稽さかの、いずれかが勝ってしまうのではないでしょうか。アラン・ドロンは、どちらとも受け取れる、微妙なニュアンスを見事に表現しています。
 
またそのアラン・ドロンの囁きを、突き放すダリダの神々しさ。
「おまえの甘い言葉なんか、私の心まで届きませんよ」と、堂々とはねつけるのですから。
それだけ言えるのは、ゴージャスなダリダならでは、です。
そう。彼女は美しく、圧倒的なパワーを発散するスターです。
スフィンクスを従える女神のような、その威厳ある、目、鼻、唇、顎。
バービー人形も脱帽の、豊かな髪。
 
かくも完璧な世界を、いかにカバー、アレンジすればよいのか。
たとえるならば、イタリア料理には隙がある。だからテリヤキ・ピザは可能。でもフランス料理は完璧なので、アレンジできない。青のりをかけたクロック・マダムは、ありえない。
 
ダリダとアラン・ドロンの楽曲のカバーが可能だとは思われませんでした。


Maxime Manot' ―人間の世界に舞い降りた天使の歌


ところが、Maxime Manot'さん。やってくれました。
まずアラン・ドロンのパートを全面的にカット。
ドロンにこだわらない。
誰もマネできなければ、マネしなければいいだけのこと。
その結果、ドロンに対峙するダリダの神々しさも、必要なくなりました。
 
そしてMaxime Manot'さんは、この歌を、スターの世界から、人間の世界に戻してくれたのです。
 
たしかにダリダとアラン・ドロンが表現したのは、あまりにも眩しいスターの世界でした。
その結果「人間離れ」が発生していました。
凡人は歌に共感するのではなく、ただただ神託を伺うように拝聴していた。
 
そんなスターの歌を、Maxime Manot'さんは人間に返してくれた。
けれどもそれはMaxime Manot'さんが凡人だということを意味しません。
神々の伝説の世界にまで行き、人間の世界に帰ってくる―、そんな芸当ができるのが、ふつうの人間のはずはありません。
彼はまた天使だったのです。

以下抄訳。
 Encore des mots toujours des mots
(また言葉いつも言葉)
Les mêmes mots
(同じ言葉)
Rien que des mots
(それだけ)

Des mots faciles des mots fragile

(あさい言葉、はかない言葉)
C'était trop beau
(美しすぎた)
Bien trop beau
(あまりにも美しすぎた)


Caramels, bonbons et chocolats
(キャラメル、飴玉、チョコレート)
Merci, pas pour moi
(残念だね、興味ない)
Mais tu peux bien les offrir à une autre

(他のひとにあげたら)
Qui aime le vent et le parfum des roses
(風とか薔薇の香りとかが好きなひとに)

Moi, les mots tendres enrobés de douceur
(私には、甘く優しい言葉は)
Se posent sur ma bouche mais jamais sur mon cœur

(唇のうえにとまっても、決して心までは届かない)


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