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❖読書:1984年

この作品は映画にもなった。
エイリアンで体内にチェストバスターが寄生してしまったケイン、エレファント・マンを演じたジョン・ハートが主役だった。
三十代の頃だったか、予備知識なしで1回映画を観たがよくわからなった。
四十代の頃だったか、本屋さんで偶然原作本を見付け、購読した。
五十代の頃だったか、レンタルビデオ屋さんでDVDを見付け、再度鑑賞した。

全体主義のビッグ・ブラザー政権による監視社会、ディストピアの話だ。
ビック・ブラザーの意にそぐわない行動や考えを持つと、思想警察に逮捕されてしまう。
現政権・国家に不都合なことは書き換えられ、人の存在すら無かったことにされてしまう。
監視社会とナショナリズムの拡大した社会、その恐怖が描かれていた。

現代、人はカメラや人そのものに監視され、言動や行動もチェックされる。
同調性を強要され、同調できない人を協調性が無いと侮辱している。指導者達は自らの管轄する範囲の最大利益を優先し、社会全体・地球全体のことなど考えなくなる。
映画や小説の社会の規模感とは異なるものの、1984が描く社会によく似てはいないだろうか。
今後、AIなどのテクノロジーが加速しながら発展し、人の方が置いて行かれるような社会になるのだろう。AIが作った写真・絵画・ニュースが本当のものなのか、本当のことなのかすらわからなくなっている。
人は一体全体どんな社会を構築しようとしているのだろうか。

誰とは言わないが、わかりやすいことを大声で訴える人に同調する社会になってはいないか。間違っていることに対して、間違っていると言えない社会になっていないか。
近い将来、ビッグ・ブラザーになるかもしれない人が自分の隣にいるのかもしれない。

そんなことを考えながら、何かになびくのではなく、他人の考えをよく聞きながらしっかりとした自分の考えを持ち、強要することなく自分の考えを他人に説明できるような人になりたいものだ。
口で言うのは簡単だが・・・がんばってみる。

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