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夢見がちなあなたへ

うっかり記録し忘れていたので今から書こうと思う。この前、10年前の自分から手紙が届いた。

正確に言えば、10年前に自分宛てに書いた手紙を、当時私たちの担任だった先生がずっと預かってくれていて、封筒に切手を貼って投函してくれ、それが私の手元に届いた、というかんじ。

私はそのときのことをよく覚えている。小学校4年生のとき、担任の先生が、「みんなは今年10歳で、それは20歳の半分だから、2分の1成人式をやろう」と言った。私たちはそんなものがあるのかと思いつつ、先生の提案を当然のように受け入れた。

みんなで2分の1成人式をする前に時間をとって、10年後の自分に向けてそれぞれが手紙を書いた。自分の当時の住所と宛先を書いた茶封筒にその手紙を入れ、糊でしっかり封をし、やがて全員分の手紙を回収したあと、先生は私たちにこう言った。

「僕はみんなが成人する年に、この封筒に切手を貼ってポストに投函します。そのとき僕が死んでいなければ必ず届くと思う。でももし万が一死んでいたら、死ぬ前に僕の奥さんに頼んでこの手紙を出してもらうように言っときます。だからこれは僕に預からせてくれ」

私たちの先生は、本当にこんな喋り方をする先生だった。優しくてかっこいい、実にさっぱりした言い回しを使う先生だった。

しかし、怒るととてもこわい先生でもあった。理由なく怒ることはないにしても、怒ると普段の穏やかさから一変してしまうので、本当にこわかった。でも、大好きな先生だった。

それは私のことをひとりの人間として見て、扱ってくれたからだと思う。

例えば私たち女の子がお決まりのように交換日記を始めたとき、先生はそれに勘づいて、交換日記はするなと私たちに言った。先生が前にいた学校で、交換日記にクラスメイトの悪口を書いたりする子たちを見てきたから、交換日記はやめてくれと静かに、しかし有無を言わせぬ様子で私たちにさらっと忠告をした。

私は、みんなともだちの悪口なんて絶対に書かないから交換日記をさせてください、と先生に直談判しに行った。周りの女の子たちから見たら、「交換日記なんて先生にばれずにやればいいだけなのに、なんでわざわざ言いにいくの?」という感じだったと思う。

ただ、私は当時ものすごくいい子で(今より頭がはるかにメルヘンだったし、でも同時に大人をとても信頼してもいた)、それなりに真面目な小学生だったので、先生に面と向かってだめだと言われたことを教室で行うようなまねは決してできなかったのだ。自分のすることには正当な理由が欲しかった。後ろめたいことはしたくなかった。

先生は私の話をじっくり聞いてくれ、決して声を荒げたりせずに自分の意見も言い、2人で粘り強く話した結果、最終的に私たちが交換日記をすることを認めてくれた。

私はそのとき、先生が私たちのことを信じて提案を受け入れてくれたことを胸いっぱい誇りに思った。

そして私が幼く、たとえ相手がどんな大人でも、きちんと会話をすれば話を聞いてもらえるということを自分の経験として実感した。対等に話をしてくれる家族以外の大人の存在は私に自信を抱かせ、相手と対話することの希望を植えつけた。私たちの先生はそんな人だった。

だから、10年前の自分から手紙が届いたとき、静かなよろこびで心がひたひたと満ちるのを感じた。先生は10歳の私たちとの約束を守り、手紙を忘れずきちんと投函してくれた。それが嬉しくてたまらなかった。茶封筒には小さく先生のメールアドレスも記載してあって、よければ近況報告してください、と書かれていた。

私はそこにあったアドレスにすぐメールを送った。手紙が届いたことへの感謝のことば、私は今大学で文学を学んでいるということ、小学校4年生のときの楽しかった思い出のこと、先生が担任で本当に幸福だったと思っていること、またいつか会えることを心待ちにしていること。そういったことを丁寧に文字に起こした。

先生はきっとまだ現役で教師をしているので忙しいらしく、返信が来たのは2日後だった。メールにはこんなことが書いてあった。

君たちと過ごした日々は、僕にとっても大切な思い出です。僕はキレて怒ることもよくあって、今思えば、恥ずかしく、ほんとに謝りたい気持ちです。君たちを叱らなきゃいけないことなんて、きっと何もなかったのにね。当時、40歳でありながら未熟でした。でも、みんなを愛しておりました。

私はその言葉を見て、ああ、なんてかっこいい先生なのだろうと思った。過去のことを謝ったり、君たちを愛していたなんてことをこんなにさらっと言える先生がどこにいるだろう。

そして、この人が私の先生であってくれて本当によかったと思った。そう思える先生に出会えたこと、そう思える私に成長したこと、それらはとても素敵なことだと思う。

ちなみに、10歳の私からの手紙には、こんなことが書いてあった。20歳の私は何をしているのでしょう。今の私は大人になってやることがはっきり決まっていません、でもきっとどこかの大学へ行っているのでしょうね。今の友だちと仲良くしていますか?きっと仲良くしてください、と。

手紙の最後の一文は、「赤ちゃんはようやく10歳ですね、今の私と同じ」というものだった。なかなかに格好つけた一文で手紙を終えているな、と思わず笑ってしまった。でも確かにその手紙を書いたとき、私の2人目の妹はまだ母のお腹の中にいて、この世に生まれ落ちてさえいなかったのだ。

それから10年が経ち、私は無事に成人式を終えた。10年前にはまだ羊水にぷかぷか浮かんでいた2番目の妹は、もう小学校4年生になった。彼女は春が訪れるころ、10歳になる。

2分の1成人式は担任の先生のカラーが色濃く出る行事だと思う。

妹の現在の担任の先生は、2分の1成人式にあたって、生徒それぞれの家族に手紙を書いてもらい、それを彼女らに手渡すという方法を選んだので、私たち家族は妹へ向けてひとりひとりが少しずつ、メッセージを書いた。いつかその手紙が彼女を救うように、私たち家族が彼女を愛していることが伝わるように。

小学校4年生というのは、大人が思っているほど子どもではないのだ。

素晴らしい先生に出会えたこと、10年前の夢見がちな私のこと、すくすくと大きくなりつつある妹のこと、それらは全部どこかで確かに繋がっている。今までなんとか生きてきた20年間、そしてこれから生きていく、この20年より長い年月を想う。

そしてまたそのうち、少し先の未来を生きている私に向けて手紙を書いてみようと思った。30歳の私がいいだろうか。それともあえて40歳の私がいいかしら、なんて考えている。もう先生には頼れないので、なんとか未来の自分に手紙を届けなくてはならない。

どちらにしても、未来の私、20歳の私はなかなか幸せに暮らしています。文学という好きなことを見つけて大学でそれを学び、先生や友だち、恋人に恵まれ、ありがたいことに家族もみんな元気に生きています。今の私にとって、未来はただ眩しく希望に満ちたものに見える。

けれどこの日々はきっといつか、よくもわるくも形を変えてしまうから、身体と心を全部使ってこの幸福な毎日を記憶してください。そしてまた暇なときに、20歳や10歳だった夢見がちな私に思いを馳せてください。

そんなことを手紙に書いてみようと思った。

1通のちっぽけな手紙から大切なことをたくさん見つけた、20歳の冬だった。


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