見出し画像

「がん」について思うこと/呼吸器内科医が死と生を考える話



①「がん」とは何か


 
 細胞が不死性を獲得して無限に増殖するようになった状態「がん」と定義します。細胞分裂を繰り返すほど設計図にエラーが蓄積し、本来の役割を果たすための機能を退化させながら、がん細胞は増え続けます。

 例えば「肺がん」の中で最も多い組織型の「肺腺癌」の多くは、肺に必要な物質を分泌する腺組織の細胞が癌化したものです。正常に近い構造でゆっくり増えるケースもあれば、腺なのか何なのか分からない塊が異常な速度で増殖するケースもあります。

 肺がんの中でタチの悪いものの代表格は多形癌、次点で小細胞癌と思います。前者は細胞の設計図が崩壊して色々な種類のよく分からない細胞が恐ろしい速度で無限に増えます。後者は神経細胞に似た性質を持つ小さくて丸い細胞が、驚異的な速度で増殖します。

 がん細胞は増殖するだけにとどまらず、やがて「転移」します。血液やリンパ液の流れに乗って遠隔地に辿り着いたがん細胞が、そこに定住して増えて塊を作ることを「転移」と定義します。がん細胞の巣にみえますから、転移巣てんいそうといいます。これに比して初めの発生場所を原発巣げんぱつそうと表現します。


②不死実現と個体死の矛盾


 なぜ細胞は不死性を獲得するのでしょうか。

 最新の遺伝子研究で「がん」の発生機序が次々と解明されています。

 簡潔に述べると「設計図の複製エラー」です。細胞の設計図たる遺伝子、ヒトの場合にはDNAがこれに相当しますが、細胞が増えるときにエラーが起きたとき、偶然「不死性」を獲得することがあります。
 
 不死性を獲得した細胞は死にませんが、無限に増殖して周囲を喰い潰します。周りから栄養を奪うべく異常血管を構築し、遠隔地に赴き居住地域を増やしながら世界が崩壊するまで増え続けます。それはやがて宿主たる生物の死を招きます。(とすると、もし人間が不老不死を実現したら宿主たる地球や宇宙は死を迎えるのかもしれません。)
 
 がん細胞を放っておくと個体の死に至りますから、これを抑制する防御機構が存在します。細胞内の防衛機構が「がん抑制遺伝子」であり、細胞外のパトロールを行うのは「免疫細胞」です。

 がん抑制遺伝子にも色々ありますが、概ね「異常になったら自死する」というプログラムです。江戸時代の火消しのように、異常な部分を破壊してしまうという戦略です。
 このプログラムが破綻すると、がん細胞が成立してしまいます。不死性の獲得において、アクセルたる「がん遺伝子」の発現よりも、ブレーキたる「がん抑制遺伝子」の異常の方が頻度が高いと云われています。

 細胞内のプログラムを潜り抜けて誕生した「がん細胞」は、しかし珍しいものではありません。プログラム細胞死を含めれば相当数の、それを含めずとも全人類の身体の中では、毎日複数のがん細胞が誕生しています。誕生、という言葉を使いましたが、いわゆる「がん」を本邦の統計では「悪性新生物」と命名しておりますから、このように表現するのが妥当かと思います。

 がん細胞を駆逐するのは免疫細胞の役割です。

 がん細胞は「異物」ですが、元々は自分の細胞ですから、分かりにくいことも多いのです。悪者じゃないよ、というような仮面をつけていることもあって、警備隊と逃亡犯の戦いが繰り広げられているようなものです。


③がん治療の基本


 がん治療の基本は「囲むこと」です。

 狭い範囲で囲めれば、完全切除することができます。手術で取り除いたり、放射線で焼灼したりします。
 中くらいの範囲になってしまったら、放射線と薬を組み合わせるのが定石です。放射線で殺しきれないがん細胞を薬で消滅させるという戦略です。
 囲めないくらい広い範囲に及ぶと、すなわち転移の状況によっては、がん細胞を全て消滅させることが困難になります。この場合、薬を使って身体全体に治療効果が行き届くようにするのが標準的な治療戦略です。

 薬には幾つか種類があって、(広義の)抗がん剤と分子標的薬は「がん細胞を直接攻撃する薬」です。一方の「免疫治療」は、現時点で実用化されているのは「自分の免疫細胞ががん細胞を攻撃できるようにする薬」です。正常な細胞のフリをしているがん細胞の正体を暴き、活性化した免疫力でズバーンと倒す戦略です。

 それぞれに甚大なデメリットがあり、抗がん剤は正常細胞も破壊して老化を早めますし、分子標的薬は標的に似ている組織にも障害を起こし、免疫治療は免疫が暴走するリスクが伴います。もし免疫の暴走が起きれば、あらゆる自己免疫疾患を発症する可能性があります。いずれの薬も内臓に負担をかけます。

 
 

④がん治療の実際


 ここから先は私見ですが、臨床経験を交えた考察をまとめてまいります。

 治療については、この20年ほどで西洋医学的な抗癌治療が劇的に進歩しましたから、まずは医療機関で推奨される「標準治療」を考えるのが良いと思います。検査でみつかるほど大きくなってしまった「がん」は、切除できるならしてしまった方がいい。それは外科医療や放射線医療の領分です。

 問題は「切除できない場合」です。手術や放射線治療で「完全に治すこと」を期待できず、「薬で治療しましょう」という場面では、極めて慎重に考える必要があります。多くの場合、薬に期待する効果は「がんを小さくしたり進行を遅らせたりすること」ですから、手術と薬とでは治療目標が異なります。

 特別な理由がなければ、担当医師から分子標的薬やホルモン療法が「良い」と勧められた場合には、一度は試してみるのがよいと思います。私や私の大切な人が「がん」になったときにも、そういう選択を取ります。それは高い治療効果が期待できる上に、副作用が比較的少ないと想定されるからです。

 抗がん剤や免疫治療は、個別に慎重に考える必要があります。特に副作用のリスクがありますから、ある種の博打のようなものです。

 nivolumabを先駆けに一気に治療の最前線に躍り出た免疫チェックポイント阻害薬を含む治療方法には、劇的な効果が出る場合もあれば、突然致死的な副作用に見舞われることもあるという事実を忘れてはいけません。



 肺がん診療をしていると、「抗がん剤はやりたくない」という方も度々いらっしゃいます。そういうとき、私は無理に勧めないようにしています。もちろん必要な医療情報提供は行いますが、がん診療に絶対的な正解はありませんから、当事者の人生や価値観を尊重しながら相談していかねばなりません。
 
 抗がん剤を拒否して放射線治療のみで元気に長生きした人もいますし、生きるためなら受けられる治療はなんでも受けたいと最新の免疫治療を受けた結果、致命的な副作用を発症して早くに亡くなってしまった方もいます。抗がん剤を途中でやめて、そのまま治った人もいます。どのような選択をとる場合にも、自分の価値観や人生観、治療の目的や目標を明確にすることが重要です。

 がん治療における漢方医学の役割は、現実的にはサポートが主体になります。抗がん作用のある生薬も存在しますが、それは中医学の領域であって、日本国内で安全に使用することは困難です。一方、東洋医学的な不調を解決することで、体力がついたり食欲が増えたりしながら体調が改善して、それに付随して西洋治療の効果が増強したり副作用が減ったりすることを度々経験します。西洋医学と東洋医学の融合は、がん治療の現場でも役に立つことを実感します。




⑤予防が肝心な話


 色々と述べましたが、がんになってから治そうとするのは非常に大変なことです。発症前に予防できるなら、それに越したことはありません。

 がん発生のリスクについては色々なことが言われていますが、生活習慣を気をつけていてもなるときはなるし、ヤンチャな生活習慣を続けていてもがんにならない人もいます。

 漢方医学的には、がんの誕生する背景には「冷え」や「瘀血」が存在します。同時に気の異常も関与するものの、根本的なところには「冷え」や「瘀血」に伴う老廃物の蓄積や免疫力の低下があるのでしょう。西洋医学的な検査に異常の出る前の「なんとなく不調」な時点で健康に向けて養生すれば、多くの悪性疾患を予防できるのではなかろうか。私はそう思います。

 と、ここで締めるのが今までの渡邊。
 
 今年の渡邊は閑雲野鶴かんうんやかくをテーマに、社会通念など無視して問題の核心にもう一歩踏み込みます。

 「禁煙」とか「禁酒」とか「生活習慣」なんて、無味乾燥な話は他に任せましょう。
 それはきっと効果的なのでしょうけれど、私はそういう教科書に載っているような話をしたいのではありません。

 愛煙家が禁煙を強要されたら人生が空虚になるかもしれませんし、禁酒なんて恐ろしい言葉は素晴らしき人類の飲酒文化への挑戦としか思えません。生活習慣なんて個人の好きにしたらいいのです。なんのための人生ですか。医者がどれだけ偉いのか私にはよく分かりませんが、誰かの人生に何かを強要する権利など、どこにもないだろうと思います。稀に「健康のためなら死ねる」という方もいらっしゃいますが、それならどうぞご自由になさったらよろしい。

 蕎麦つゆにちょっとしか付けずに蕎麦を食べていた江戸っ子は、それが粋だと強がっていましたが、病に伏せた晩年に「死ぬ前に、そばに、つゆをたっぷりつけて食べたかった。」と言い残しました(古典落語『そばせい』の枕に十代目金原亭馬生が使用した小話より引用)。

 そんな人生は幸せでしょうか。

 私は蕎麦つゆをたっぷりつけて食べたい。

 内閣府のアンケート調査によると、本邦では延命治療を希望しないと回答する人が多いにも関わらず、実際に自分や家族がそういう場面に直面すると、延命治療のレールに乗ってしまうことが極めて多いという現実があります。意識も曖昧で好きなこともできず、機械に生かされる命のごうはどれ程のものでしょう。

 ありきたりな「予防法」や「健康法」よりも重要なのは、今に集中して人生を楽しむことであると私は考えます。


⑥今に集中すること

 そもそも人は死にます。生老病死は不可避です。がんを忌避しても他の要因で亡くなりますから、ならばある程度の予測ができて覚悟と準備の時間を設けられる「がん」は、そんなに悪いものではないと私は考えます。じわじわと迫り来る苦痛こそ忌避すべき症状ですが、近年の緩和医療の発展は目覚ましく、色々な手段が選択肢にあがります。実際に義父が悪性腫瘍で他界した際、積極的抗癌治療を終了し緩和医療に切り替えてから、苦痛が激減し穏やかな最期を迎えることができました。

 もっと生きていて欲しかった。

 私は聖人君子でもなければ悟りも開いていませんから、死をひどく悲しいものと感じます。しかしながら、50年も100年も宇宙から見たら瞬きにも満たない閃光です。ここで「何のために」という視点が重要になります。がん予防の目的は一体何でしょうか。

 がん、もっと言えば「死」に対して私たちが準備できる唯一のことは、今に集中して人生を楽しむことであろうと私は結論を下します。享楽に没頭して死を忘却の彼方に追いやってもいい。どうせ完全に忘れることなどできません。一瞬の隙をついて死の恐怖は再訪します。ならば死を正面から受け入れた方が、安寧の日々に至ることができるでしょう。

 本文の冒頭で、がんの本質は細胞の不死化であることを説明しました。言い換えると、不老不死という人類の願望が細胞レベルで実現したものが「がん」です。がん細胞は自ら死ぬことができず、ひとりの人間という小宇宙が消滅するまで永遠を生きる存在です。部分的に壊死えしすることはあっても、いいえ、壊死しながらも全体が死ぬことは叶わず、無限に増殖するのです。

 不老不死などという願望は棄ててしまえばいい。

 いつか必ず到来する死を受け入れたとき、生命の輝きは強靭なものとなり、今に集中する人生は華やかに彩られることでしょう。生まれるから死ぬのではありません。死があるから生が存在するのだと私は考えます。

 逆説的ですが、がんの恐怖に苛まれながら予防法をアレコレ考えるよりも、いっそ開き直って楽しく笑いながら生きた方が、運気と免疫力は向上します。その方が却って予防になるでしょう。

 過去も未来も幻想。
 今に集中することは、全ての始まりです。



⑦結語

 さて、ここまで執筆して5000字を超えていることに気付きました。サラッと読むには重いテーマかと存じますが、何処かで誰かのお役に立てるかもしれないと思い、投稿させていただきます。本文には私見が大いに含まれること、また現在闘病中の方ならびに御家族の方々には、診療方針は主治医と相談するのが最善であることを明言し、結びとさせていただきます。

 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方の人生が貴方だけのもので在り続け、輝きと幸せを咲き誇りますように。




#今年学びたいこと #死生学
#仕事について話そう #呼吸器内科医 #漢方医
#エッセイ #この経験に学べ

この記事が参加している募集

この経験に学べ

仕事について話そう

ご支援いただいたものは全て人の幸せに還元いたします。