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特急・古代への旅 3 

日本の古代は謎に満ちている。
私たちの日本の成り立ちと始まりはどのようなものだったのか。
その謎を解き明かす旅へ出発する。
東京駅9番線21時50分発、最後の寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」で、
私たちはまず出雲へ向かった。
その第3話である。

その3 出雲神話の現場へ

須佐大宮(須佐神社)
スサノオは「須佐の男」であるともいわれる。
この須佐の盆地に伝えられた神格だとする説がある。
静かな里だ。
スサノオノミコト終焉の地とされている須佐大宮は、静かで落ち着いた質素な神社である。
日本書記や古事記の神代巻の3分の1は、出雲神話で占められている。
その記紀に大きな存在感を示す「荒ぶる神スサノオ」の宮とは思えない、しっとりとして清涼な雰囲気がある。
余り知られていないことだが、戦前は、西出雲からこの須佐まで鉄道が走っていた。
一畑電車立久恵線である。
それだけ人や物の行き来があった、重要な土地であり、要衝だったのであろう。
ここから神戸川に沿って中国山地を越え、安芸や吉備へ行くことがもできる。
戦前の時刻表の復刻版を購入し、思いがけなく須佐行きの鉄道を見つけた時は、思わず声を上げてしまった。
尋ねると、役場の横まで来ていたのですよ、と、おだやかな宮司さんに教えていただいた。
須佐国造稲田家が代々宮司を勤める須佐神社。スサノオの妻・稲田姫の名を継いでいる。
須佐大宮という名が示すごとく、ただごとではない神社である。
現地に来て驚くのが、須佐大宮の中を流れる川の名が、「素鵞(そが)川」であること。
出雲大社の背後にあった「素鵞社」と同じ驚きがある。
スサノオと蘇我、いずれも日本書紀には悪しざまに書かれた「悪役」同士である。
しかし、出雲の地を訪れると、スサノオはこよなく優しく、また愛されている。
天照大神(アマテラス)に乱暴狼藉を働き、天上界から追放されて出雲の髪上の峰に下り、ヤマタノオロチを退治し、助けた稲田姫と結ばれる。
出雲の地、ここではスサノオは、愛情あふれる勇者として存在する。
 
「正史」である日本書紀は、何故にスサノオや蘇我氏を、かくも敵視したのだろうか。

加茂
須佐大社から東に「おろちロード」を車で上り、山を下ると三刀屋(みとや)川に出る。
この川沿いに出雲から安芸・広島へ抜ける幹線・国道52号線は「出雲神話街道」と名付けられている。
出雲神話に登場する地名が次々に現れるが、平成の大合併で歴史ある町名がほとんど消えてしまった。
いまはまとめて雲南市となったが、その入口が旧加茂町である。
山陰本線宍道駅を起点とするJR木次(きすき)線は、出雲の山奥深く分け入って進む、いわば「出雲神話線」だ。大事に残したい鉄路である。
その木次線で宍道から15分。旧加茂町は、前述の「加茂岩倉遺跡」で一躍脚光を浴びた。
荒神谷遺跡の裏山にあたる大黒山麓の農道工事中に発見された39個の銅鐸。中に小さい「入り子」銅鐸が入っているものも多い。
ここの銅鐸は、近畿のみならず地元出雲で製造された可能性が高い。
それまでの常識を覆す、大発見であった。
加茂はしかしそれ以前から、神原神社古墳や松本一号墳などの遺跡で有名な町だった。
赤川の改修工事で移築された神原神社の下に前方後円墳があり、そこから三角縁神獣鏡が発見されたのだ。邪馬台国の卑弥呼が魏からもらった、と魏志倭人伝に記述のある百枚の三角縁神獣鏡の一枚ではないかといわれ、議論が百出した。
加茂は、出雲風土記に「神々の財置き賜いし処」と書かれた所、と多くの先学が指摘する。
出雲の財とは、まさしくこれら銅鐸や鏡のことを指すのでは、というのは自然な解釈であろう。
 
ここからさらに、スサノオノミコトの神話を追って奥出雲へ、木次線に乗って斐伊川をさかのぼろう。
 
木次
斐伊(簸川)神社
木次線木次駅の裏山に登る細い階段を上がると、小さな神社がある。
斐伊神社である。出雲国風土記には「樋社」とある。
スサノオがヤマタノオロチを切り刻んだという八本杉も近い。
社伝には「本社の創立は甚だ古く孝昭天皇五年にご分霊を元官弊大社氷川神社に移したと古史伝に記載している」。
なんと全国にある氷川神社の発祥の地、大元なのである。
埼玉県の大宮は、氷川神社があるので「大宮」という地名になった。
東京都内には数十社に及ぶ氷川神社があるといわれている。
出雲のスサノオを祀る神社が、関東をはじめ全国にこれほど多く存在するとは。
山あいを流れる斐伊川にへばりつくような木次の町、この小さな町の小さな神社が、日本中に勧請されていった訳は何なのだろうか。
 
 横田
稲田神社
木次線をさらに進んだ横田の町は、斐伊川上流の山あい、まさに奥出雲の里である。
小盆地には豊かな稲田が広がり、製鉄遺跡も残る、出雲・吉備ルートの拠点の町でもある。
この里の中心には稲田神社があり、稲田姫と両親の足名槌、手名槌が祀られている。
 
スサノオノミコトは母イザナミノミコトが禊(みそぎ)をした時、姉のアマテラス、弟の月読命(ツキヨミノミコト)とともに生れた、と記紀は書く。
海の国を治めるはずが、泣いてばかりいて従わなかった。
その後、田の畦を切ったり、アマテラスの部屋に馬の皮を剥いで投げ入れるなど、狼藉の数々を重ねる。怒ったアマテラスが岩戸に隠れて、世の中が真っ暗になった。天岩戸である。
そしてスサノオはついに、髪を剃られ爪を抜かれて、天上界を追放され、奥出雲の髪上の峰に天降る。
川上から箸が流れてきたので訪ねると、年老いた足名槌、手名槌の夫婦が泣いていた。
聞けば、大蛇が毎年やって来ては娘を一人ずつ食べてしまう。今年もその時期になり、最後に残った稲田姫が食べられてしまうのだという。
そこでスサノオは、「八折の酒」を用意させ、八重垣に姫を隠して大蛇を待つ。
酒に酔って眠った大蛇を、みごと切り刻んだところ、尾から刀が出てきた。
これが草薙の剣で、いま尾張の熱田神宮に収められているという三種の神器の一つである。。
そしてスサノオは稲田姫と結ばれ、多くの子神をもうけ、木の種を国々に蒔いて歩く。
記紀にあるヤマタノオロチの神話である。
 
その髪上の峯が、横田の船通山であるとして、稲田姫のふるさととされているのだ。
横田の稲田神社には稲田姫の古い像があり、稲穂が実る静かな横田の山里は、いかにもロマンチックな神話の舞台にふさわしい。
大和の記紀には粗暴な神の象徴とされるスサノオが、まさに出雲では打って変わって、愛とロマンあふれる神格となる。
 
横田から木次線は険しい山道を登る。
2023年秋に老朽化のため廃止となってしまったが、休日には、「おろち号」という観光トロッコ列車が走っていた。奥出雲はオロチずくめである。
三段式スイッチバックで人気の出雲坂根駅を過ぎると、国道314号線の「おろちループ」が見える。
天をつくような山の上を、真っ赤な鉄のループ橋が昇っていく様子は、まさに、ヤマタノオロチを彷彿させる。
自然の風景を破壊する土木建設物は多いが、ここまで見事な人工物には感嘆すら覚えてしてしまう。
その山蔭をへばりつくように登った木次線は、中国山地を越えて吉備に入り、終点の備後落合で広島から来た芸備線と出会う。
まさに出雲・吉備・安芸をつなぐ重要ルートである。
しかしいま備後落合駅は、1両だけの気動車が人知れず出会っては別れて行く山間の無人駅で、廃止の瀬戸際にある。
 
古代出雲はその後、この道を通じて吉備、そして大和の侵攻を受けることになる。





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