見出し画像

成城学園がつくった「はじめて」の軌跡 ~前編~

「個性尊重」の理念のもと、子どもたちの個性を生かし、伸ばすことを目標に、従来とは違った独自の教育カリキュラムを採用し、教育実験校として誕生した成城学園。実はここで発祥した(といわれている)ものも数多くあります。成城学園がつくった「はじめて」を前編・後編に分けて紹介します。

「個性尊重」と「自主学習」

成城学園は、1917年、文部官僚として日本の教育制度を整備してきた澤柳政太郎の下で創立しました。日本の教育は、欧米諸国と対等になるために教育水準の向上を目的とするのが一般的でしたが、大正時代に入ってからは人間らしさや個性を重視した教育にも重きが置かれるようになりました。その考えを早くから示したのが成城小学校、後の成城学園です。

現在では、多くの教育機関が「個性尊重」をうたっていますが、成城学園はまさにその先駆者でした。創立当時の世の中では「個性尊重」という理念は大変新しいもので、その理念を盛り込んだ「私立成城小学校創設趣意」が新聞で発表されたのも極めて珍しいことでした。

1917年発表「私立成城小学校創設趣意」、
上段の中程に「個性尊重の教育」の一文が見られる

澤柳は成城小学校でさまざまな実験的教育手法を採用しました。その一つである「自学学習」は、学習指針に従いながら、生徒が自ら学習を進めていくもの。規定の単元を修めるなら、生徒はどの教科から学んでもよいとされていました。現在の「自由研究」や「アクティブ・ラーニング」の先駆けといえます。

「自学学習」では、生徒が自ら学習計画を立てて進めていった

最初の児童図書館

1931年、成城小学校に児童図書館が誕生しました。『成城学園五十年』には「日本における最初の独立した児童の図書館」とあります。創立以来、読書教育に尽力し、学級文庫や読書室、児童図書館と、より良い環境を目指してきました。「読書」の授業は、現在も初等学校、中学校で受け継がれています。

読書室で本を読む児童たち
1931年に落成した成城学園児童図書館。
広さは約46坪で、蔵書数は約3000冊だった

大正時代から生きた英語を

世界各国を訪問した経験を持つ澤柳政太郎にとって、成城学園に英語教育や国際教育を取り入れることは当然の流れでした。1922年、成城小学校はアメリカからブリッジス教員を招き、本格的に英語教育を開始。授業では読み書きよりも、実際に話すことや聞き取りに重きを置き、対話を重視しました。

当時使われた英語の指導書
英語教師、アルシーア・ブリッジスと子どもたち

次回の後編では、成城学園で発祥した課外活動や情操教育についてもご紹介します。

文=sful取材チーム
本記事の無断転載・複写を禁じます。
※『sful-成城だより』vol.8(2016 Winter)を再編集しました。

sful最新号はこちら