見出し画像

(浅井茂利著作集)同一労働同一賃金の論点

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1600(2016年3月25日)掲載
金属労協政策企画局長 浅井茂利

<情報のご利用に際してのご注意>
 本稿の内容および執筆者の肩書は、原稿執筆当時のものです。
 当会(一般社団法人成果配分調査会)は、提供する情報の内容に関し万全を期しておりますが、その正確性、完全性を保証するものではありません。この情報を利用したことにより利用者が被ったいかなる損害についても、当会および執筆者は一切責任を負いかねます。


 「同一労働同一賃金」の具体化に向けた動きが、加速しているようです。労働組合はこれまで、ILO憲章で基本原則とされている「同一価値の労働に対する同一報酬」を支持し、その実現を主張してきました。しかしながら現実には、その具体化がなかなか進展してこなかったことは事実です。本稿では、同一労働同一賃金、あるいは同一価値労働同一報酬を実現するに際しての、論点整理をしてみたいと思います。

同一労働同一賃金のイメージ

 本稿執筆時点では、安倍内閣のめざす「同一労働同一賃金」の具体的な姿は明らかではありません。しかしながら新聞報道によれば、
*どのような賃金格差が正当でないと認められるか、政府が指針で事例を示す。
*同一の職務内容であれば同一の賃金が原則であることを明確にする。
*非正規社員が正社員と同じ仕事で同じ勤務形態なら、通勤手当や出張経費に差をつけない。非正規でも社員食堂を利用できるようにする。
*指針を守らない企業には説明を求める。
*同一労働同一賃金の例外として、資格や勤続年数、学歴などで賃金に差を付けることは容認する。
*賃金差に合理性が認められない場合は、差をなくすよう求める。
*社員の技能など「熟練度」を給与に反映する仕組みを盛り込む。
*熟練度を賃金にどう反映するかは労使交渉や賃金格差を巡る判例が目安になるため、政府の指針で具体例を示す。
といったイメージになっているようです。

同一労働同一賃金と同一価値労働同一報酬とは違うのか

 政府が進めようとしている同一労働同一賃金が、ILOの基本原則である「同一価値労働同一報酬」とどう違うのかはあまりよくわかりません。ILOでは、「同一価値」の労働かどうかを判断する基準として、①知識・技能、②負担、③責任、④労働条件の4つを掲げています。「労働条件」というのはわかりにくいですが、労働環境という意味だと思います。
 「同一価値労働同一報酬」は、女性差別などにおいて、そもそも「同一労働」に就くことができない中で、同等の賃金水準を確保するための概念から始まったようですが、正社員と非正規労働者の賃金格差についても、同じような業務に従事していても、会社から、責任の重さが異なっており「同一労働」ではない、と抗弁される場合が多いと思われることから、「同一価値労働同一賃金」の概念を活用することが重要だと思います。
 新聞報道から判断する限り、安倍内閣のめざす「同一労働同一賃金」は、「同一価値労働同一報酬」とかなり似ているように思われますが、それであれば、最初から「同一価値労働同一報酬」を基礎に据えた制度設計を行うべきだと思います。

同一労働同一賃金は職務給を前提とすべきではない

 「同一労働同一賃金」の言葉を用いる最大の問題点は、賃金制度を従来の職務遂行能力を基準としたものから、職務を基準としたものに変えなくてはならない、と早とちりする人が出てくるかもしれない、ということです。
 職務給というのは、就いている職務によって賃金が決まる制度ということになりますが、2015年7月25日号の本欄で触れているように、
*多様な業務に対応しにくい。
*生産性向上にとってマイナスである。
という欠陥があるにも関わらず、それを承知の上で、「黙って静かに決められた仕事を行う」という「職場秩序」を維持するために導入される賃金制度であると指摘されています。
 従って、どのような肩書き、立場であろうと、みんなで協力し、知恵を出し合い、工夫し合い、チームで成果をあげていく仕事のやり方にとって、職務給はなじみません。現場の従業員がカイゼン提案を行ったりするのは言語道断、生産プロセスのカイゼンはエリートの仕事であり、現場の従業員は黙々と指示に従っていればよい、職務給はそうした発想に立ったシステムだと言われています。
 職務給を導入すれば、長期にわたる経験によって蓄積された従業員の技術・技能やノウハウ、判断力と創意工夫、それらを発揮することによる技術開発力、製品開発力、生産管理力などといった、日本企業の強みである「現場力」を損なうことになるわけです。
 日本型の「現場カ」を維持しつつ、欧米型のエリート経営に転換し、総額人件費の抑制と人件費の変動費化を図ろうとしたのが、1995年に旧日経連が提唱した「新時代の日本的経営」ですが、そのような経営者にとってだけ都合のよい仕組みが成立するわけはなく、結局、競争力を失った企業も見られました。
 筆者が懸念するのは「同一労働同一賃金=職務給でなくてはならない」と早とちりをして、再び日本の競争力を損なうような賃金制度の見直しが行われることにならないか、ということです。
 先述の新聞報道でも、資格や勤続年数、学歴などで賃金に差を付けることが、「例外として」容認される、とされていることについては、強い違和感を覚えます。
 もちろん、筆者は資格や勤続年数、学歴などで賃金に差を付けることを推奨しているのではなく、職務遂行能力を基準とした賃金制度が、「資格や勤続年数、学歴など」を基準とする制度であるとみなされ、それが「例外」とされることを危惧しているのです。

一億総非正規化が進む危険性も

 留意点の第二として、同一労働同一賃金だから、ということで、非正規労働者の正社員化にブレーキがかかってはいけないということです。
 労働力需給の逼迫に伴い、非正規労働の拡大には歯止めがかかっており、正社員化の流れが強まってくることが期待されるところです。正社員の職を望んでいるのに非正規で働いている、いわゆる不本意型非正規労働者は、2015年10~12月期で302万人となっていますが、現実には、例えば短時間正社員のような仕組みが整備され、一般化すれば、正社員の職を望む人は増大するだろうと思います。
 非正規労働者が正社員として働きたい理由の大きな部分として、賃金格差があると思いますが、同一労働同一賃金となったからといって、正社員化への圧力が弱まってしまってはいけません。
 それどころか、解雇規制の緩和をセットで導入することにより、ほとんどの勤労者を非正規化するということも考えられます。これは決して荒唐無稽な話ではなく、旧日経連の主張した「雇用のポートフォリオ」は、正社員は一部の幹部社員のみ、技能職、一般職、専門職は非正規労働という仕組みですから、まさにこれが完成する、というわけです。

総額人件費の抑制を前提とすべきではない

 先月号でも指摘したとおり、経団連の今年の『経労委報告』では、「非正規労働者の処遇改善については、正規・非正規で区分することなく、自社における総額人件費管理のもとで考えるべきである」としています。わかりやすく言えば非正規労働者の賃上げはするけれど、正社員を含めた総額人件費は抑制する、ということになります。
 春闘では、さすがにこうした考え方は通用しないと思いますが、同一労働同一賃金が実現すれば非正規労働者の賃金はかなり引き上げる必要が出てくると思われますので、正社員の人件費に対する抑制圧力は強まってくるかもしれません。
 しかしながら、そもそも1990年代後半からリーマンショックに至るまで、わが国の労働分配率は低下し続けてきました。賃金水準の低い非正規労働の拡大と、正社員の賃金水準の低下が原因だと思いますが、そうしたことからすれば、非正規労働者の正社員化とその大幅な賃金引き上げは、正社員の賃金とバーターではあり得ないと思います。日本全体の総額人件費を拡大させることなしに、デフレ脱却と経済の好循環による持続的な成長など、望むべくもありません。

わが国の現場力を強化する同一価値労働同一報酬に向けて

 読者のみなさんは、ここまで読まれて、筆者は同一労働同一賃金に反対なのか、正社員のことだけを考える守旧派か、という印象をお持ちになったかもしれません。企業と勤労者の配分の問題を、「労労対立」に持っていこうとする人々がいますので、それに乗せられては困りますよ、とまずは申し上げたいですが、筆者としても問題点を指摘するだけでなく、私見ではありますが、具体的なアイデアを掲げてみたいと思います。
 まず第一に将来的には、他に本業があるのだが、生活費の補助や学費、活動費の捻出のために働きたい人(学生、登山家、写真家、劇団員など)以外は、すべて正社員であるべき、というのが筆者の基本的な考え方です。パート労働は短時間正社員、労働者派遣は派遣元ですべて無期雇用とすべきです。
 とはいえ、そうした考えがすぐ実現するわけではありませんし、実現するまで正社員と非正規労働者の賃金格差を放置してよいわけがないので、非正規労働という働き方を前提とした、同一価値労働同一報酬実現のアプローチが必要です。
 まずは、正社員であろうと非正規であろうと、初任賃金は同一にする。現在の賃金制度では、技能職、事務職、技術職といった職種グループごとに、初任賃金が設定され、それぞれ職務遂行能力の向上とともに昇給していく仕組みが主流だろうと思いますので、非正規労働者も初任賃金は同一にする。もし、当該の非正規労働者に評価すべき職務遂行能力がある場合には、それを反映し、適切に格付けする、これが第一歩だと思います。
 その上で、非正規労働者についても、職務遂行能力の向上を反映させる賃金表を設ける。もちろん、正社員の賃金表と同一のものでよいわけですが、もし正社員と非正規労働者で必要とされる職務遂行能力が異なるということであれば、別の賃金表でも差し支えないでしょう。ただし、たとえば従事している業務が90%同じの場合、賃金は80%を下回らないといったようなチェック基準を設けることも必要でしょう。中小・零細企業では、そもそも賃金制度がない場合が少なくありませんが、そうした前近代性を脱するきっかけにもなります。これは、外国人技能実習生に対し、日本人と「同等額以上」の報酬を支払うために、いま考えられている方策を、きちんとやりましょうということと同じやり方なので、十分現実的な方法だと思います。
 新聞報道された仕組みでは、「熟練度」が給与に反映されるという点については、結構なことだと思いますが、同一労働同一賃金ができているかどうかは、結局、企業の説明責任に帰されることになっています。最終的には、判例の積み重ねが必要という点も不安です。勤労者はそもそも裁判などしたくないので、裁判に委ねる仕組みは、立場の弱い勤労者に不利に働くことになります。結局、正社員の賃金の職務給化が促進される一方で、非正規労働者の賃金はそれほど改善しない、という結果になるかもしれません。
 労働法の改正が行われる場合、名目上は、勤労者の利益が目的として掲げられていても、その実は、勤労者の利益を損なうものになっている、などというのはよくあることです。具体的な制度設計に際しては、労働組合が最初から参画していることが不可欠だと思います。
 「同等の労働に対し、同等の報酬を受ける権利」は、国連の「世界人権宣言」で掲げられている基本的人権です。「ビジネスと人権」が国際社会における主要なテーマとなっている中で、同一価値労働同一報酬を実効的な仕組みとしていかなくてはなりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?