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自分の人生の許可は誰がするのか。

7月に入ってから、新しい挑戦を始めました。

それはモデル業。

前々から興味はあったけど、今までノータッチの分野。

もちろん知識も経験もまったくの0。

あるとすれば「おもしろそう!やってみたい!」の、純度100%の好奇心のみ。

もちろん不安はあります。

・何か収入につながるのかな…
・誰かに反対されたらどうしよう…
・やりたいって気持ちだけで動いて大丈夫?

なんて、足をひっぱる言葉ばかりが頭をよぎる。

そんなときにほしくなるのが「だれかからの許可」

父親や母親、夫などの家族、友達
ビジネスコンサルタントの人。

だれかに「やっていいよ」と言ってもらえれば、気持ちよく進めるのに…!

不安が勝って、ついついそんな気持ちが生まれてきてしまいます。。


だれかの許可がほしくなる気持ち

プロの自由人として働いている以上、何をするか、何をしないかの采配と責任は、すべて私にあるはず。

それなのに「何をするか」を決めなくちゃいけないとき、どうして誰かの許可がないと不安になるんだー!

子供のころを振り返ってみると、私はいろんな場面で親の許可をもらいながら生活してきました。

・ご飯の前にお菓子を食べていいか。
・○○ちゃんと遊んでもいいか。
・進学先はこれでいいか。

小さな子供のころならまだしも、気がつくとずいぶん大きくなってまで、親の許可をとって生きてきたように思います。

大人は大人で、大切なわが子が間違った方向にいかないよう、自分の叡智をかけて正しいと信じる方向へと私を導いてくれました。

それはときには私の願いをストップさせるものも。

もちろん、大事な娘が悲しい思いをしないように、傷つかないようにという愛情でした。

しかし私の行く道を訂正し続けたその愛情は「大人になっても、自分の道を自分で決められない不安な人間」を作り出してしまったのです。

ほんとはもっと、信じてほしかった。

たしかにいろいろな経験を積んだ大人からしたら、子供の判断なんてめちゃくちゃ危なっかしいものです。

どうして失敗するって分かりきってることをやろうとするの?!

と、ついつい口出しばかりしたくなる気持ちは本当に分かる。
(かく言う私も、わが子にはストップをかけてばかりです…)

でも子供からしたら、それは「経験したことのない未知の世界」

いくら失敗すると言われたって、やってみなくちゃ分からない。

たとえ失敗したとしても、それは子どもにとって大事な経験値。

頭での理解を越えた、生身の理解がそこにはある。

どうか、それを止めないでほしい。

大人はうまくいかないって思うかもしれないけど、それをやってみようと感じた私のことを信じて任せてほしい。

そして応援してほしい。

もしも子供に十分な言語能力が備わっていたなら、きっとそう言うんじゃないかなぁと。

大人が子供の人生のレールを引くっていうと…

お医者さんの子供が親と同じく医者にならなきゃいけなかったとか、良家の出身で自由恋愛が許されなかったなんてことをイメージしがちですが、意外ともっと身近にある話だと思うんです。

小さいころから、自分のやりたいこと、自分がしようと思っていることに訂正を入れられてきた子供は、本人も気づかないうちに、親がイエスと言う道をオートマチックで選ぶようになる。

・ママはあの子があんまり好きじゃないから、遊ばないようにしよう。
(ほんとは一緒に遊びたいけど)

・○○高校に行きたいって言えば「いいよ」って言ってくれるかな。
(自分の行きたいところ?そんなの考えるだけムダ)

・結婚相手は絶対公務員!
(これって私の意思だっけ?)

親の顔色を見て、親が納得する生き方しかできない、籠の鳥のできあがりです。

それって、私が生きている意味ある?

なんて、今は思うけれど、私はまさしくそれでした。

成人するころには、立派な「許可待ち人間」。

しかも自分ではそのことに気が付かない重症患者。

私が自分の意思だと思っていたものは、気がつけば親の考えのコピーになってしまっていたのです。

親と子供は違う生き物

そうして、知らず知らずのうちに、親の願いを叶えながら生きてきた私は途中でパンク。

今思えば当然か。

私は親とは違う人間なのに、親が「いい」と思うことを一生懸命選んでいた。

自分の心がどうしたいかなんてムシムシ!

というか、そんなもの存在してる?

心の声を押し殺して、何をするにも母や父にお伺いをたてる始末でした。
(仕事、結婚、子育ての仕方…)

でも、そんなの変だよね。

私がしたいことと、父や母がしたいことは違うはず。

父や母がよくないと思っても、私がしたいと思ったら、私にはそれを実行する権利がある。

そう気がついてから、ようやく自分の人生の選択権をとりもどすことができたのです。

もしかしたら、父も母も「モデル?!そんなこと辞めなさい!」って言うかもしれない。

・そんなことして、お金になるの?
・もっと地に足をつけた生き方しなさいよ。
・危ないからやめておきなさい!

冒頭で鳴り響いていた、私を止める不安の声は、そっくりそのまま、父や母の声だったのです。

自分を行く道は自分で決めるね。

そういう考えもある。

でも、私はあなたたちとは違う道を行くね。

そして、それを応援してくれる人たちとともに行くね。

今は少しずつ、そう思えるようになりました。

だって、私の人生のことを決める権利は、私にある。

何が楽しくて、何を幸せと感じるかは、私の心だけが知っている。

母や父は、自分の人生を決めるだけにしてほしい。

そうじゃないと、また父と母の人生を生きてしまうことになるから。

それはきっと、お互いにとってよい関係ではないはずです。

大げさかもしれないけど「生んでくれてありがとう」と両親に心の底から感謝できるようになるのは、きっと私が自分で自分を幸せにできたとき。

だれかの幸せを生きていくことは、私にとってただの苦しみでしかないのだから。

そう思って、新しい世界に挑戦しようと思います。

とか言いながら「本当に大丈夫なのかな…」という恐怖はつきもの。

それを支えてくれるのが、きっと私の思いに共感して、応援してくださる方々なのだと思います。

この記事を読んでくださっているあなたもそう。

いつも本当にありがとうございます。

これからもプロの自由人として、私の「オモシロイ」を追求していきますね!

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最後までお読みいただきありがとうございます。

誰よりも【心】について思いをよせるmariが
複雑怪奇で形のない【心】について

正面から、横から、ななめから
ためつすがめつしながら考察していくページです。

私が【心】と向き合う日々が

読者の皆さまにそっと寄りそい
ときにははたと立ち止まって考える

そんなきっかけになりますように。

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mari【言葉をつむぐ人】

・36歳、3児の母
・13年間の教員生活ののち、自分らしい人生を求めてフリーランスに転向
・現在はライター、モデル、ソウルフル数秘術®プラクティショナーとして多方面に活躍
・幼少期から生きづらさを感じていたことをきっかけに、心について学び、深く考察する日々を重ねる
・好きな哲学者は老子、好きな言葉は「無為自然」

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