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広栄工業株式会社(岩美郡岩美町浦富)

 昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年6月15日号より、広栄工業株式会社をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。


【事業所めぐり25】広栄工業株式会社(岩美郡岩美町浦富)


文房具の大手メーカー「コクヨ」の協力工場。東大阪市の広栄紙工㈱の系列会社として昭和37年10月、岩美郡岩美町の国鉄岩美駅裏に進出。約一年間の準備の後、翌38年7月から営業を開始した。社長は広島武之助・広栄紙工社長が兼ねている。

複写簿(請求書、領収書) 、スクラッフプック、ジョイナーアルバム、厚表紙ファイルなどを生産しているが、岩美町に企業立地した最大の目的は労慟力の確保の問題だった。高度経済成長華やかだったころ、あらゆる事業所が経営規模の拡大を競い、労働力を求めて地方へ分散して行ったが、当時、企業誘致に積極的だった岩美町当局の要請もあり、工場進出が実現した。

操業は地元採用した60人でスタートしたが、直後に40人増員するなど順調な経営の伸びを反映して従業員数は一時、215人にまで達した。しかし、48年暮れのオイルショックの影響は甚大で、現在は180人と規模縮小を余儀なくされている。操業当初は、中央から進出した企業にはありがちな農村地帯の人々との考え方のギャップの点で、割り切れない面もしばしばあったようで「なじむことに苦労した」と、管井脩専務は当時を振り返る。しかし、都会人にはない純朴さ、人の良さ、親切さなどではいい勉強になったそうだ。

1万6000平方㍍の広大な敷地に事務所、食堂、工場3棟、倉庫1棟があり、見事に整備された工場内で最新鋭の省力設備が目をひく。

同社は、「買う人の身になって製品を作る」をモットーに、また、「いかなるところ、いかなるときにも役立つは率直と判断と人との調和である」を社是として、”人の和“を重視しているが、その成果が現れて、昭和48年10月の全国労働衛生週間で鳥取労働基準局長表彰を受けた。また、ことしの家内労働旬間では5月27日に「家内労働者の労働条件の改善向上に貢献した」ということで再び鳥取労働基準局長から優良事業所として表彰された。

「当然の事をしていて、表彰を受けるなんておこがましいような気がします。ただでさえ名誉なことなのに、優良事業所第一号というおまけ付きで」と管井専務は謙虚な口振り。

内職という仕事は、どうしても就労時間が不規則なうえ長時間労働になりがちだが、同社では、ノルマ的なことはいっさい避けて、内職者の希望を取り入れ、それに合わせて仕事量を出し、納期に間に合わなければ工場で処理する―という方針をとっており、こうした経営姿勢が表彰に結びついたといえそうだ。

年商は51年度が2億8000万円で、52年度は3億5000万円を見込んでいる。農村地域にうまく溶け込んだ誘致企業の”お手本“ ともいえそう。(昭和52年6月15日号)



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