見出し画像

日清ハム株式会社(米子市夜見町)

 昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年3月25日号より、日清ハム株式会社を紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。

5103250 のコピー


【事業所めぐり10】日清ハム株式会社(米子市夜見町)


日清製粉グループの一員として好調な業績を示す同社は、境港に通じる産業道路沿いにあり、周囲を閑静な松林に囲まれている。

同社の営業品目は、鳥取・島根両県で生育される豚を主原料にしたハム・ソーセージなどを中心とする「畜産加工品」。昭和16年、日清製粉㈱が大山山ろくに「大山農場」を開設したことに同社の沿革は始まる。

16年 日清製粉㈱が大山山ろく(現名和町※昭和51年当時)に320町歩の大山農場を開設し、酵母菌培養用でんぷん搾取するイモ類の栽培およびでんぷん工場を経営。併せて京大の大木原教授を所長とした小麦研究所を開設したが、当時の経営主体は日清粉の傍系、オリエンタル酵母㈱であったもよう。

21年 日本醸酵㈱が設立され、それらの事業を譲り受けでんぷんかすを利用して養豚に着手。同時にハム・ソーセージの加工に乗り出す。

27年 ハム工場を皆生に移転、坂口合名会社より「大山ハム」の商権を譲り受ける。

29年 農博、橋谷義孝・沢田退蔵•佐伯中義の諸氏(いずれも故人)により、大山食糧㈱(資本金450万円)が設立され、前記事業を継承。

35年 オリエンタル酵母㈱の資本参加を得て現在地(夜見町)に屠場を開設。

36年 社名を「大山ハム㈱」に変更。同時に日清飼料㈱の資本参加も得る。

38年 加工工場を屠場に併設し一貫体制の確立を図る。

49年 西ドイツ国立食肉研究所技師長・フェーディッシュ氏を招待、ニヶ月間の技術指導を受ける。

47年 月産380トンの加工工場を現在地に増設すると共に4月1日を期して社名を「日清ハム株式会社」と改称し日清製粉企業の一員となる。

このように、さまざまな変遷を経て成長した同社の経営基本理念として、渡辺譲社長は、①より良きものを、より安く供給する。②従業員の生活保障を図る。③利益を生み出し、納税と配当の企業責任を果たす―を拳げ、年商50億円を見込んでいる。(昭和52年3月25日号)


画像2


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?