見出し画像

母親の私が子供の教育を「諦めた」結果、私たち親子が得たものとは

子供を英語圏で育ててもうすぐ丸々4年になる。息子はシンガポールに連れてきた当初はABCを全部書けなかったが持ち前のど根性とどこから来たのか全くわからない人たらし体質ですっかり生活に馴染み、日英ネイティブになった。そしてかなり良い成績を取ることができた。その結果私たちは現在母子留学というスタイルでマレーシアに滞在している。息子は現在インターの中学1年生だ。

母子留学というと英語の勉強?とよく言われるが息子さんがもう「英語の勉強」の段階を超えた。現在は英語で勉強し、日本語での勉強を継続し、授業として中国語とスペイン語をやっている。

1週間で4ヶ国語。私だったら絶対できねえ。

この状況はとてもじゃないけど私にはついていけない。そこで私は子供の教育を(自分主観の物差しで測ることを)「諦めた」。なぜって彼のやってることがもう私ではとてもじゃないけどわからなくなったからだ。

その結果、息子の学習環境は格段に改善した。

母親の私が息子の教育について(自分の物差しで測ることを)諦めたことで、彼は親という絶対存在から状況を分かっていない見当違いの指摘を受けることがなくなった。もちろんほおっていたわけではない。私は信頼できる個人教師を探し、契約を交わし彼と私に教えを請うた。息子は勉強や語学を教える信頼できる大人ときちんと学習環境を作ることができた。(ちなみに私もその「信頼できる教師」ときちんと契約を交わした上で有益な助言をもらっている。)

何より一番良かったことは私が諦めたことで彼と私の力関係が対等になったなったことだ。息子は私の英語が本当にどうしようもないことを受け入れ、そして自分の方が流暢に話すことが出来ると母親の私が認め、私が自分を純粋に尊敬していることで人間としての大きな自信を得たようにみえる。

これは私が子供の教育を「(自分一人では到底手に負えないと)諦めた」からできたことだ。

その結果、息子は私のことを「出来ないんだから助けなきゃ」と助けてくれるようになった。私たちの議論は対応になった。もちろん親として私が持っている環境の方が強いわけだけど、私もその強さを振りかざすことをやめた。だって、助けてもらうことも多いんだから。

トラブルがあったら素直に話すようになった。失敗を隠すことをやめた。だって隠せないような失敗も沢山あるから。親の私が話すようになると子供も失敗が大きくなる前に話すようになった。小さな失敗の供給は取り返しのつかない失敗を回避する原動力になっている。

対等に話すことを心がけた結果、息子は純粋な自信を会得し、自分のやらなければならないことを理解する力と自分のやりたいことを相手に話す勇気を得たように見える。

子供の教育を親が主導でナビゲートできるのは正直小学2年生までではないかと個人的には思う。それからは複数の大人が多角的にアクセスをした方が子供も息苦しくないし、そもそも親もその方がやりやすいと感じる。それは私が自分自身が尊敬すべき大人に程遠いと認識しているからかもしれない。

ほんと、思うもの。こんな変な母親で恥ずかしいよね。すまないねえって。

プライドを捨てると楽だ。教えてほしいが言いやすくなる。そのためには「知らないんだものしょうがないね」と皆が言える環境だと言いやすい。

自分のプライドが邪魔して多角的に子供に関わることができない親は母子留学は有効な手段だと思う。たとえ数ヶ月でもいい。自分一人では無理!と親が「諦める」ことによって親も、子も世界が多面的に見えてくる。この諦めのきっかけは「コミュニケーションが親の母語ではない環境」だとより掴みやすい。

諦めたら見えることがある。勇気を出して子供の教育を「(自分主観の物差しで測ることを)諦めてみよう」。