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これから子供が学ぶべき言語を親が選ぶ前に親がやらなきゃいけないことたった1つのこと

教育の話をつらつら書いていると教育関係のTweetがよく目につくようになる。そこで日本語で書かれているTweetでよく見かけるのは

「これから子供達が学ぶべきなのは何語なのか」

というテーマである。

やっぱ英語でしょ、いや中国語でしょ、国際機関で働きたいのならフランス語でしょ。。。

おいおい。何をふざけたことを言ってるのか。

東南アジアで英語をベースに多角的に話す老若男女(若者だけではない!老人だって英語や日本語を使う人いる)の中で生活していると自分が発信できるのが日本語とたどたどしい英語であることだけであることに心底焦る。毎回冷や汗が出る。

やばい。やばい。やばい。

何語を学ぶべきかなんて日本語で流暢に考えてる場合ではないとは複数の言語を操る人が多数派の現場に行けば容易に感じることができる、そう、原則日本語モノリンガルの私たちは子供に何語を学ばせようかとか流暢に選んでいる時間はもうない。

じゃあ学習塾にぶっこむのか?ちょっとお待ちを。おそらくそれでは辛い感情が最初にやってくる、そしてゴールは見えてこない。なぜなら「語学を学ぶ」をゴール設定すると実際はフィニッシュラインは永遠に来ない体。だって語学に「ここで完成」などないでしょ。

ゴールの見えないマラソンに参加したがる子供なんていない。

じゃあどうしたらいいのか。実はとてもオススメの方法がある。

人間が能動的に学ぶには「これを成し遂げなきゃ!という状況設定」が不可欠である。どうしても喉が渇いたらなんとかして水を買うでしょ。言葉がわからなかったら財布を出してでも買うでしょ。で、そこでボラれたら悔しい!って思ってなんて言えばいいか調べるでしょ。この「どうしてもこれを成し遂げなきゃ!」という状況設定に子供を案内すること、これが親が出来る唯一のことなんだと思う。

ヨーロッパでサッカーを学びたい、アメリカで演劇を学びたい、アジアで料理を学びたい。

この「○○したい!」の設定。この夢が大事。そう、要求のスタートラインの方が重要なのだ。

ちなみにこの「○○したい!」は要求を段階的に考えるほうが効果が絶大になると思う。現地に行けないから無理ではない。Youtubeやインターネットからの情報収集力がここで大きな要素になってくる。「実際にやらなきゃ意味がない」と親は考えることが多いけどまずその思考を捨ててみよう。日本人の親が持ちたがる白黒はっきりさせたがる思考は多くの可能性を詰む。

子供の「これをやりたい!」の選択肢を増やすために今できることから始めよう。図書館でもいい、Youtubeでもいい、本屋でもいい。まずは要求の芽を発芽させることを早急に始めなくてはいけない。

え、でもそんな風にしてたらYoutubeばっか見てることになる、漫画ばっかり読んでることになる。。と思う親御さんも多いはず。実は、そこにはものすごいシンプルだけど有効な解決策がある。

まず親が「○○したい!」を見つけて調べ始める。それしかない。

親が自己欲求をベースに調べ物をしたり語学を勉強したりしてる姿を見せよう。その要求を叶えるための旅行に連れて行こう。そこで要求が叶ったぶんは子供が呆れるくらい喜ぼう。そしてなぜそんなに嬉しかったかを話し合おう。

そうなると「なんか楽しそうじゃん」と子供は感じる。「楽しんでいいんじゃん」と気づく。そして親が時間をやりくりしながら自己要求を叶える様をみて自分も「やりたいこと」「やらなきゃいけないこと」「やりすぎてはいけないこと」のバランスを会得していく。もちろん多少に失敗はあるだろう。でもそれがお互いの学びになると思うことができたらその失敗も糧と思えるのではないか。白黒はっきりの呪縛から解放されるきっかけになるのではないか。

まず親が自己要求を叶える姿を見せよう。その自己要求を叶えるための学びをタイムマネジメントしてる姿を見せよう。失敗も共有しよう。

その姿を見れば子供達は「自分も○○したい!」と自然に思え、そして言えるようになる。容易な道ではない、うちだってまだまだ道半ばである。でも「何語を学ばなければならない」という意識のタスクを削除したことは大きい。言語は学ぶものではなく、要求を叶えるためのツールなのだ。ツールは常にアップデートされるものであり、ゲットして終わりではない

言語の取得は決して楽ではない。でも、全部辛いことにしなきゃ取得できないとわけではない。白黒はっきりさせることをやめよう。