集団主義の完璧合理主義おじさんが絶滅するまであの国は持ちこたえられるのだろうか
私の携帯は、今、4つの言語が飛び交っている。日本語、英語、マンダリン、マレー語である。マンダリンとマレー語は正直意味の理解に時間がかかるし情報量としては少ない。基本、流れてくるのは日本語と英語である。
本日4月27日、英語とマンダリン、マレー語の情報では南北首脳会談の情報が飛び交っていた。こんな時代が来るとは正直想像していなかった。素晴らしいと思う。私は韓国、北朝鮮の政治情勢は不勉強なので踏み込んだコメントは出来ないが、今日のこの会談が歴史的なことくらいは理解できる。心から御礼申し上げたい。
しかし日本語のニュースは最近読んでいて悲しいニュースが本当に多い。
私のようなおばさん世代はTOKIOも好きだったし、おじさんのセクハラをあしらってOLをやっていた。そしてサッカー日本代表が大好きだった。若貴兄弟だって応援していた。そう、そういう時代だった。
女子高生を酩酊状態で呼び出してセクハラして書類送検や、TOP省庁のTOPが女性記者を呼び出してセクハラして、確かに強面でコミュニケーション取りづらそうだけど実力がある外国人監督(この言い方嫌いだけどのちの展開のためにあえて記載)をいきなり首。ちょっと前は明治からの伝統ということで明らかな女性差別を大っぴらにする相撲協会。
マレーシア人の友人はもちろん英語のニュースでこのようなことはみんな知っていて、特に相撲協会のことはとても面白おかしく「なんであんなことするの?」と私に聞いていて返答に困ったこともあった。
しかも今日の南北首脳会談について信じがたいコメントを官房長官がしているのを読み深いため息が出た。(あえてリンクは貼らない)
最近の日本の心理状態は一体どうしてしまったんだろう。
そこでこの文章を読んだ。
ここではセクハラのことが触れられてるけどここでぜひ注目してほしいのは筆者の「おじさん、A氏」のことだ。彼がどんな人なのか、引用する。
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A氏は人間を肩書きでしか判断しない。例えば男性であれば、大卒でなきゃ価値がないと容赦なく切り捨てる。女性の場合は美人じゃなければ生きる価値がないというスタンス。一事が万事その調子で、自分が定めた基準に達しない人間は、当然のごとく人間扱いなどしない
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筆者の描くA氏を読み、私は何人も「あ、あの人も。。」「そうそう、あの人も。。」と思い浮かんだ。おばさん世代の人は特に思い浮かぶ人が多いのではないだろうか。
集団主義、数値での把握、そして前年度比較。はるか昔に決められたビジョンの変化を恐れ、まず自分たちの団体の保身を第一に考える。
そこで気がつく。
この「集団主義の完璧合理主義おじさん」が今までの日本式発展の力の根源だったことを。そしてこの力の根源は多くの犠牲を払って培われて来たことを。犠牲を排除を前提としたエネルギー。今まではそれでよかった。
そして時代は変わった。
この日本式しら知らない「集団主義の完璧合理主義おじさん」は今、自分たちの行動が閉じられた自分たちの目に見える場所のみではないことを根本的に解っていない。彼らの行動が集団の外で、組織の外で、日本の外で瞬時に見られる時代になっていることに気づいていない。
もうルールは1つではないのだ。
今、日本から聴こえてくる聞いていて本当に悲しくなるようなニュースはこの「集団主義の完璧合理主義おじさん」が自分たちの思いのまま行動して「えっなんでいけないの?」と不思議に思いながら「行動を直そうとしない」ことから来ているような気がしてならない。彼らはわざとやってるのではなく、本当に「わからない」。だから直しようがない。
「集団主義の完璧合理主義おじさん」が絶滅するまで待たなくてはならないのだろうか。絶滅するまで、あの国は国として持ちこたえられるのだろうか。
子育て世代の私たちは待ってはいられない。少子高齢化だけでなくこの「集団主義の完璧合理主義おじさん」の思想を絶滅させないとあの国はあらゆる面で信用を無くしてしまう(すでにその傾向が見える)。
では自分たちは何ができるのか。
まずは自分を自分で発信できるような体制を整えることが急務だ。英語は大前提。もう1つくらい言語があってもいい。そしてその人を表すテーマを持ちたい。ちなみにテーマはどんどん変わってもいい。発信を続けること。これが大事。日本語思考だと継続や集中にこだわりすぎる。これからはマルチタスクでいくべきだ(言語も、そして対象も)
沈みゆく船にてセクハラトークを我慢して聞いている場合ではない。行動しないと間に合わない。