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「15%ってなんだろう」から「15%を変えていこう」と思えるように〜パラ開会式で感動した人は「#WeThe15」キャンペーンを自分ごとにできる、そして次にやるべきことはこれだっ。


先日のパラリンピックの開会式には、本当に心が揺さぶられた。あまりに感動したので速攻でnote書いた。

今回は、この開会式の余韻を感じながら考えたことを整理したい。


このパラリンピック開会式で知ったのが「#WeThe15」キャンペーン。

抜粋。

Launching at the Tokyo 2020 Paralympic Games, WeThe15 plans to initiate change over the next decade by bringing together the biggest coalition ever of international organisations from the world of sport, human rights, policy, communications, business, arts and entertainment.
At a time when diversity and inclusion are hot topics, the 15% who have a disability want effective change to remove the inequality and inactivity. Like race, gender and sexual orientation, we want to have a movement all persons with disabilities can rally behind. A global movement that is publicly campaigning for disability visibility, inclusion and accessibility.
WeThe15 will shine a light on 15% of the world’s population. It will build greater knowledge of the barriers and discrimination persons with disabilities face on a daily basis at all levels of society. By doing so we will break down these barriers so all persons with disabilities can fulfil their potential and be active and visible members of an inclusive society.

ざっくり言うと

「世界の15%の人は何らかの障害を持っている。この人たちがより活躍できるように、より輝けるように世界を変えていく10年を始めよう」

ということなんだろうけど、ここで私は思う。


何らかの障害って何?そして15%の母数っていくつ?


私は今、東南アジアに2014年から住んでる。そして私はこの地域で「自分はいわゆる健常者ではない存在」ではないか?と思うことがある。
なぜなら私は英語を話すことが不得意。マレー語も中国語もしゃべれない。そして運転免許も持っていないので自分で自由に移動もできない。


話せない、動けない。わけですよ。これって健常者じゃないのとある意味一緒。


そして、私がおぼつかない言葉で喋って何かすると、人によっては非常に冷たい視線で「この人は何もわからないのね」と言う顔をする人がいる。


それはその人の「差別意識が前に出てきたわけではない」と私は思う。いや、思いたい。「本当にできないからしょうがない」と思う気持ちがただ前に出てきただけ。だと思っている。


そして同時に、「この人は自分たちのように話すこと、動くことが出来ないからしょうがない」って気持ちを出してると私が受け取ってしまった時、私はとても自分を情けなく感じ、悲しくなり、そして辛くなる。


そしてこの情けなくて、悲しくて、辛いというのは体験しないとわからない。もちろんこれは「あんたがそう受け取っただけやん」でもあるし「そう受け取られないようにもっと努力したら??」と言われたら、はいそうですねほんますみませんとしか、言えない。


同時に、私はこの「この人は◯◯が出来ない」って思われてると感じた時のどうしようもない悲しい気持ちを何度も何度も味わうことで「出来ないことって何?」と「人が人に出来ることって何?」と思うことが増えた。


「出来ない」については何度も考える。それは「出来ない」は工夫によって変えられるのでは?という体験も沢山してるから。


私は英語を話すことが本当に下手だ。読む時だって読み違いも多い(日本語でも多い)。でもそれはテキストのやりとりや翻訳ソフトを使えば全く出来ないから意思の疎通が出来るくらい状態まで状況を改善させることが出来る。実際できている。テキストだと間違いや思い違いも確認できる。多くの人の優しさに助けてもらいながらだけど、やりとりはなんとか出来る状態に持っていける。


そしてこの話せない、読めないって「視力が悪い」とか、「コロナ禍だから直接話せない」も同じことなのかも?と感じる。そう、眼鏡や補聴器と、スマホやPCは同じ役割になりつつある。


そう、「工夫と技術で出来ないを改善できる時代」がやってきたのだ。でも同時に努力をしてもどうにもならないことも継続して存在する。このどうにもならないことに対してどう捉えていくか。どのように向かっていくか、ここについて何度も何度も考える。


パラリンピックに興味を持ったのは、ヨコハマ・パラトリエンナーレを取材させてもらった体験が大きい。

「ヨコハマ・パラトリエンナーレの内覧会がオンライン配信されるから取材しませんか?」と声をかけて頂き参加させて頂いた。


作品や活動の素晴らしさはもちろんなんだけど、私はこのオンライン内覧会にて「出来ないって変われる?」ということに気づけた。そしてその「変われる?」は「変えられる」を信じてそれぞれの活動してきた人たちから多くを学ぶことで「変えられる?」を感じることができるとわかった。


現在、世界中がコロナ禍において今までと違い、動けない状況になっている。そう、健常とは言えない「出来ない世界」である。そして状況の変化によって次の行動をどうすべきか、それぞれ意見が別れてあらゆる層で分断が起きている。お互いが自分と違うと感じてる側に対して「出来ない」と感じ、その感情が敵対心にまでなってる場合もある。


悲しい😭。


この分断から、次に進むためにどうしたらいいのか。誰も明確な答えがわからずに皆が彷徨ってる。そんな迷いの気持ちで見たパラの開会式、純粋な感動の中で、気づいた人は多かったはずだ。


違いを認めれば、それぞれが出来ることがあるのでは?と。そしてそれぞれの違いを繋げる気持ちがあればお互いを認め合って次の段階に進むことができるんじゃないか?って。


パラリンピック開会式では約700人のキャストが参加した。そこには健常者の方も、身体に障害を持ってる方が約160人参加したそうだ。状況はそれぞれ違うので、ステージ演出と演者を繋ぐ役割が重要になる。その方々の違いをそれぞれ認め、繋げるステージアドバイザーを勤めたのが、ヨコハマ・パラトリエンナーレのディレクターを務めた栗栖良依さんだ。

ヨコハマ・パラトリエンナーレの内覧会のみでしか私は栗栖良依さんのお話を聞いたことがない。でも、あの内覧会でのお話は本当に忘れられないものだった。あの時の栗栖良依さんの「オンライン参加が増えて障害のあるなしが見えなくなった」というお話は「出来ないは変えられる」につながるのだ!と感じるきっかけとなった。そしてその違いに向き合い、それぞれを繋ぐことであんなに感動を味わえるのか!って思えた。

そしてその感動は、何か自分でもできるかも、できることがあるかも!と前向きスイッチを見つけるきっかけとなった。今、国を移動どころか州さえ簡単に出れない状況の私には「自分軸で変えられる部分がある」と実際に行動で示して下さったのはとても勇気をもらえたのだ。


そして、あの開会式。泣いた泣いた。そして気づけた。「違いがつながった表現の感動は自身の行動のスイッチになる」って。


今、私たちがそれぞれが今まで出来たことが「出来ない」世界にいる。そう、私たちそれぞれに「出来ない」がある。それぞれ、本当に辛いと思う。時々、こんな先の見えない世の中、生きてて意味あんのかなと思うことがある。

あの開会式には「そこまで悲観することはないよ」と思える気づきがあったと思う。表現の力を全身で伝えてくる人たちを(オンラインだけど)実際に見て、前向きな感覚を実感できた人は多かったはずだ。そして「こんなに落ち込んでる自分でもいま出来ることがあるのでは」と思えた人も多かったのでは。少なとも私は、そう思えた。


表現を感じよう。表現のスイッチは自己の行動の前向きスイッチに直結する。もしかしたらその行動はうまくいかないことが多いかもしれない。でも、でも、前向きスイッチが入っていれば、自分ごととして思いを全身で表現をしてるその場を感じることができれば、相手の表現を受け止めて、そこから自分ごとに考えることが出来る。その気持ちがあれば絶対に前に進める。


そこで最初に戻る。パラリンピック開会式を見て感動したって思った人は、#Wethe15 キャンペーンを自分ごとと捉えよう。そして既に活動してる表現者たちの活動にもっともっと注目していこう。表現に触れよう。体感しよう。そこで違いからの繋がりを感じたら、何ができるか自分ごとで考えてみよう。そしてできることから始めてみよう。


8月31日までオンラインで見れます。ぜひ見ましょう!


WITH ALSの武藤将胤さん、まさにリアル AKIRAで最高でした。デコトラと布袋さんとキルビルってもう最高だった。


こちら武藤将胤さんが主催するフェスのクラファン!もう少しで達成!


今回の演出を味わいたかったらぜひギアを見に行ってほしい。私自身も日本に拠点が移ったら絶対行きたいので、絶対に続けてほしい。


違いを感じることはおかしいことじゃない。出来ないを感じて悲しむことは恥ずかしいことじゃない。そこに心動かされるものがあれば、少しでも変われる。


今は前みたいに飛べないかもしれない。でも、私たちはそれぞれのやり方で飛ぶことを始められるはずだ。


だって私たちには翼があるのだから。