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「おめでとう」



「本日深夜2時8分、第一子が産まれましたー!」


 昼休憩。
スマートフォンを見ると、そんな通知が届いていた。

もう直ぐ梅雨が明ける。
そんな季節の外仕事は、もうじき三十を迎える体には結構堪える。
スマートフォンの液晶に滴る汗を、雑にシャツの裾で拭ってからポケットにしまう。
返信は飯を食ってからだ。


 彼女と俺は十年前、友人の友人として知り合った。
その時は互いの友人も交えての飲み会だったので、ほんの少し話をした程度だった。
四年ほど経った頃、偶然飲み屋で再会し、それから親しくなった。
最初に会った時はどうやら猫を被っていたようで、二人で会話をするようになると、ずいぶん印象が変わった。

とにかく口の動く女で、モノを食べている時以外、黙っているということがない。
俺はあまり話すのが得意ではないので、こちらが黙ってても色々な話をしてくれる彼女の隣は、ずいぶんと居心地が良かった。


「フラれた……! フラれたよ、私。他に好きな女が出来たんだとさっ、なんだよチキショウ、正直に言えよ、飽きたってよぅ……最後まで、良い人ヅラすんなってんだよ……!」


 三年前、家で呑むぞと呼ばれて行くと、そんな告白を受けた。
なるほど、慰みに付き合えということか。
直ぐに理解した俺は、買い込んだつまみ一式をテーブルの上に広げ、「まぁ呑めよ」と話半分で彼女の話を聞いていた。

「私のどこがダメだったのかねぇ……。まぁそりゃさ? 生きていればコンプレックスなんてものは人間誰しも当然のように持っているものだけれども! 多分そういうことじゃないっぽい……っていうか、よく考えたらさ、私と付き合ってる間から女漁りしてたのかもアイツ……! いやまぁ、見抜けない私が馬鹿だったってことなのか……。こっちは割りとガチめにさ、将来のこととか考えようかなあとか、考えてたのにさぁ」


 酒のせいで拍車がかかったのか、いつも以上に良く回る舌だ。
不貞腐れている顔はずいぶんと疲れているように見えた。
彼女から、大きな溜め息が漏れる。


「……なんなんだろうね。大人になるとさ、人と人の距離感っていうか、そういうの良く分かんなくなっていく気がする。や、もしかすると私が馬鹿で気付かなかっただけで、周りじゃもっと色々過激なことしてる人とか、いたのかもしれないけれど。まぁいたんだろうな。あぁ人間不信になるわぁマジで。誰のこと信じればいいんだろ。私だって嘘はまぁ吐くけど、ズルをするのに使うことってあんまりしないし……遅刻の言い訳くらいなものだってのに。いやそもそも、誰かといる前提なところが餓鬼くさいのかな……だからこいつにならいいやってなめられて、騙されたり裏切られたりすんのかな……皆私のことなんて、どうでもいいのかな……一人で生きていけるようにならないと、そういう人間に食い物にされるのかな……」


 彼女を振った男とは俺も何度か会っている。
優しくて気配りの出来る、こいつには勿体ない人間だと思った。
何の前触れもなく別れ話をされれば、こんな状態にもなるだろう。
陰鬱な言葉ばかりが並ぶのは、こちらとしても気分が良いものではない。
何か気の利いた言葉でも言うべきだろう。


「それじゃあなんだ、お前は俺が、お前のことなんてどうでもいいって思ってると思うのか?」
「え、いやそれは……うーん、そんなこと、ない……けど」


 だと言うのに、乱暴な言葉が上から下に流れる湯水のように勝手に流れる。
返答の歯切れが悪い。
それに僅かに苛ついた。
追い打ちをかけるように言葉を投げつける。

「いきなり夜中に電話来て、家に来いって呼び出されて、ちょっと声のトーンがいつもより暗いから心配になってここに来た俺のことを、そんな風に思うのか? ちょっとショックだよ」

「違うってば。何急に」
「……いや、悪ぃ、つい……」

つい責め立てるようなことを言ってしまった。
でも、どこか釈然としない。

「感謝してるよ、私。相談乗ってくれたり、話聞いてくれたりしてさ、今だってさ、慰めてくれてるの、わかるもん」

机に突っ伏しながら、もごもごと彼女は呟く。
もう結構飲んでいるから、大分酔いが回っているらしい。

「……あぁそっか。私、あんたみたいな人と一緒にいた方が良いのかも。ほら、なんだかんだいつも面倒見てくれるし、呼んだら直ぐ来るし、私しか友達いないから、浮気の心配もないし……私のこと、裏切らない」


それには何も答えず缶ビールを飲み干す。
チラと机に突っ伏した彼女を見ると、目が合った。
上気した赤い顔、潤んだ瞳が俺を映している。
不意に息苦しくなったが、どうにか平静を装う。

不自然な間が出来た。
頭が真っ白になって、何か言おうとしても言葉にならない。
話すのは、元々得意ではないから。

唇が、艶やかに光っていて、それに吸い込まれていくような感覚に陥る。

もう一度、彼女と目を合わせる。








「……や、ちょっと言ってみただけだよ。なに、本気にした?」





「……馬鹿言うなって」


 気まずい空気は拭えなかった。
結局その後はお互い無言でつまみを食べたり酒を呑んだりして、その日は帰ることにした。


 それから半年もしないうちに、彼女は今の旦那と交際を始めた。
そして先日、お互いもう年だよなあと話している間に彼女は結婚し、子を授かったらしい。


 彼女とはもう一年以上会っていない。
そりゃそうだ、向こうには家庭がある。

俺には、何もない。
簡単に言うと、逃げたのだ、俺は。
居心地の良い二人のあの時間を、壊したくなかったから。

けれど、いつまでもあるものなど、永遠など、どこにもない。
分かりきっていたことなのに、どうして俺はそれを求めてしまったのだろう。

あの日、彼女を求めていたら、何か変わっただろうか。
少なくとも、この胸の奥にある、吐き出せない何かは、なかったのではないだろうか。


 そんなことを考えながら、俺は彼女の出産を祝う文章を書き連ねた。


「おめでとう。体調は平気なのか? これからは母親なんだな。お前みたいな人間でも、母親になれるだなんて、ちょっと信じられないけど。まぁ色々と大変なこと、これからたくさんあるんだろうけど、夫婦二人三脚で頑張れよ」


 送信してから、そう言えば似たようなことを、結婚報告の数日後に送った気がする。


 語彙がないな、俺は。

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