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革ジャンでねむるということ

ま冬のことだった。部屋の窓をぜんかいに開け放してみた。
「赤城おろし」は今日も手加減を知らないようだ。とうぜん「さむい」、のだが、それが私の狙いだった。部屋を砂ぼこりでいっぱいにしたいわけでもない。このご時世だ。風邪をひきたいわけでもない。
私はいま、心から「ま冬を」必要としていた。発作が起きていたのだ。
それを、「革ジャンで過ごしたい病」としよう。日がな一日をただ無為に革ジャンで過ごしたいという奇病だ。
「なぜ家で、なぜ部屋で、なぜ実家で」、その問いの答えを私はもっていない。それこそが『革過病』だ。(読み方は自由に)

「外で着ればいい」のは、わかっている。私はバイク乗りだ。いつでも、カワサキW650は私を快く乗せて走らせてくれる。実に爽快な気分にさせてくれる、連れだ。でも、今日だけは、赤城おろしに吹かれながら、枯葉の舞う部屋で革ジャンを着て過ごしていたいのだ。珈琲はキリマンジャロだ。
革ジャンを着てひとりベッドで丸まっていたい。そんな気分があっていい。
異論は認める。私の心はひろい。けれど、私によるとその『革ジャンで過ごしたい病』を実行したあかつきに得られる対価は、『詩集』一冊分を読破したようなものと同じだ。あるいは私自身がそのときばかりは詩人になっているのかも知れない。

赤城おろしのせいでプラズマクラスターの勢いがすごい。どちらもうるさい。詩人の気が散るではないか。
「アレクサ。バート•バカラックの楽曲を聴かせて」
思えば、『革ジャンで過ごしたい病』は、古くからある奇病だ。氷河期の狩人もまた、私と同類の病巣を抱えながら洞穴でマンモスの革ジャンを着ながら丸まっていたはずだ。
「アレクサ。音量を5にして」
原人は洞穴で焚き火を見ながらうとうとねむるのだろう。一方の私は寒風に吹かれながらランタンさえ灯すこともしない。詩人は寒さに耐えるものだ。あと、火事が心配なのだ。部屋でのランタンは禁止だ。約束してほしい。

そして私は途方にくれながら革ジャンでねむる。さむくてうるさくてなかなか寝つけない。ぜんぶがうるさかった。風もバカラックもプラズマクラスターも。いちばんうるさいのは私のこだわりだが。革ジャンでねむるということは、こういうことなのだ。
「アレクサ。スリープタイマー。5時間」


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