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小説『空生講徒然雲13』

私の跨がるカワサキW650は鉄塔から南行きの電線に飛び乗った。慣れたものだ。カワサキW650は電線上を走行しながら東京へ向かうのだ。
『もの生む空の世界』から見下ろす『もの思う種の世界』は、いつもと変わりが無かった。変わったことと言えばそこに私がいないことだけだった。それだけの違いしかなかった。二つ世界に交わりはない。重なり合うべつの地球が互いをないものとして1秒も違わず回っていた。

電線の上か、電線の下かでゆるやかな境界があるものの、私は地上に降りられることも出来た。しかし、その地上はあくまでも『もの生む空の世界』にある地上だった。半透明の暮らしを「ぬける」こともできる。でも、私は障害物がすくなく見通しのいい電線上を走ることを好んでいた。そのほうがずっとずっと気分がいいのだ。電線上ならどこまでも走ることができた。カワサキW650もご機嫌だった。タンクを撫でると「ドッドッタリドタリバタリタタリタッタ」と排気を鳴らした。

先ほどまでいた『もの思う種の世界』の川沿いの祭りを見下ろしながら私はアクセルをふかした。夜21時の少し前。面祭りの佳境だった。打ち上げ花火が爆発する宙空にカワサキW650は電線を伝い南に走って行った。
面祭りの佳境であるばかりでなく、季節が夏から秋を迎える五穀豊穣を祝う大花火が、これでもかこれでもかと打ち上げられていた。私はオートバイの運転をカワサキW650に任せて、ぼんやりと腕組みしながら花火に見惚れていた。

まず、川沿いの左岸からまっすぐ上空に一本の「ば」が立ち上がった。
やがてその「ば」を芯にしての爆発の花が開いた。「ばびぶべぼ」の星屑が夜空にばらばらに落ちていく。つづけて「ばばびびぶぶべべぼぼ」と上がる。間のない矢継ぎ早の爆発の花が「ばぱびぴぶぷべぺぼぽばぱびぴぶぷべぺぽぼ」と打ち上がった。星屑も忙しい。
私の頭の中では花火が文字となって乱反射していた。文字が頭の中でいっぱいになっていた。それはとても窮屈なことだった。いつもの頭痛だ。すると文字同士が共食いをはじめた。私の頭の中では文字同士がひっちゃかめっちゃかになり出口を求めて私の穴という穴から逃げ出した。「ばぱびぴぶぷべぺぼぽばぱびぴぶぷべぺぽぼばぱびぴぶぷべぺぼぽばぱびぴぶぷべぺぽぼばぱびぴぶぷべぺぼぽばぱびぴぶぷべぺぽぼ」と逃げるように私の頭からばらばらの星屑になって吹き出していった。
乱発する大花火の文字群の爆撃を「ぬけて」、ごちゃ混ぜになった私の頭は文字を排出し終えてようやく静まった。
私は、カワサキW650を撫でながら「すこしねむるよ」といって空の上の交通違反をすることにした。
カワサキW650は、うなだれた頭で腕組みする私をのせて星屑の喧騒の川沿いを逃げるように南に向けて走って行った。


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