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私のカメラ歴その2 〜 父のカメラ

前回は初めて使ったカメラの事を書いた
今回は次に使ったカメラの事

子供用のカメラだったので、次第に使わなくなり
誰かにあげてしまった後、暫くは写真を撮ると言う事は無かった

その後、再びカメラを持つきっかけを作ったのは東京モーターショー

何故か、ホンダの空冷エンジンF1 RA302を撮りたいと思った
1968年デビューなので、中学生の頃になる

写真を撮ると言う習慣が無い家にカメラは無い
撮りたいと言っても、おいそれとカメラが湧いて出てくる訳は無い
中学生の小遣いでホイと買える代物でも無い
母に相談すると、父親が使っていたカメラならあると言う
思えば、自宅の本棚の上に載っていたカメラがあった
黄色の箱、父親の形見だ
小さな頃、父親が大切にしていて触った事も無かったカメラ

突然使えと言われても良くわからない
フィルムを写真屋さんに買い行く時に
カメラを持って、フィルムを装填してもらいながら
使い方を教わった記憶が薄っすらとある
撮り終えたフィルムを現像に出し、プリントして貰った時
写真屋さんが大きく撮れて上手だと褒めていたと母親から聞いた
しかし、その後このカメラを持ち出す事は無かった

今回、コレを書くのに自宅にあるのを思い出して見つけ出した
幾つかの引越しと時を越えて、まだ手元にあった

箱の上にはCHIYOKOの文字
まだミノルタになる前の会社名、千代田光学精工だったらしい
調べるとMinolta A-2は1955年の発売とある
私が1954年の生まれなので、誕生に合わせて買ったものと推測される

恐る恐る箱を開けた

茶色の革ケースが見える

取り出すと硬質の革ケース

レンジファインダー機の姿
下側の革カバーはこの時代の定番

恐る恐るレンズキャップを外す

レンズキャップを外す、見た目カビは無さそう
レンズの周囲にROKKOR 3.5/45の表記
45mm、f/3.5の意味かな
レンズ下の表記は
レンズシャッターのメーカー名と形式、シチズンのMXV

CHIYOKOはメーカー名、ROKKOR が続く
そしてシリアルナンバー


黒のダイアルはシャッタースピードかな

最大で400の文字
1/400secが最速の時代

レンズの先に3.5のf値、絞り環
下の段は距離だからフォーカス環

ボディに刻まれているのは被写界深度か
赤のRは赤外フィルム?のズレ表示かな

ノブはフォーカス環のノブ

千代田光学、大阪の文字


世の中検索すると結構出てくる
それほどの名機でなくても情報が整理されてある

試しにMinolta a2で検索すると出てきた

この時代の同型機の進化も解る


父親の形見のカメラを使う機会を作った
ホンダF1 RA302

空冷エンジンのF1、大いなる失敗作である

不思議な縁で後年に
シャシー設計者 佐野彰一氏と一緒に仕事をするとは夢にも思わなかった
氏とは仕事で色々な話はしたが、F1の話は不思議としなかった

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