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自分の作品をリツイートするたびに擦り減るものがある

※この記事は2021年の時点で書いていた、当時感じていたことをそのまま残した文章です。
※二次創作小説についての内容です。


 わたしは数年前から二次創作を始めた。専ら小説が専門で、絵は描けない。練習して漫画らしきものも描いてみたが、あまりにも上達しないので、というよりも上達するまで続ける熱意があまり無かったので、ここ最近は完全に文章専門になっている。

 BL二次創作がメインだが、カップリングもの以外もそれなりに書く。わたしにとって書くことは感情の発散方法であり、とあるキャラに対してクソでか感情を抱けば小説を書いて落ち着かせる、あるいは解釈を固める、という流れができつつあった。

 本を読むのは好きだが、文章を書くことなど、宿題で出された作文か、委員会活動の報告書か、くらいしか書いたことのない身であったため、文章がうまいという訳でもない。創作を始めた頃は、いわゆる小説のお作法(疑問符や感嘆符の後は1マス開ける、3点リーダやダッシュは複数個で使用する、など)の存在すら知らなかった。今もお作法が完全に身についているとは思えない。ま、この辺りについては諸説あるしね。とにかく、わからないなりに自分に刺さるものを好きなように書き散らしてきた。

 Twitterやpixivに作品を載せる他、同人誌も発行していて、ありがたいことに手に取っていただけている。発表方法がどんな媒体であれ、感想をいただくこともある。それらが心の支えになっている。

 先に、絵に関しては上達意欲があまり無かったということを書いたが、小説に関しては「うまくなりたい」欲があった。「もっと小説がうまく書けるようになりたい」「自分のどうしようもないこの感情を共有したい」「悶え苦しんだエモポイントについて共感を得たい」「思いついた最高シチュエーションを見てくれ」、そんな気持ちと、「もっと有名になりたい」「多くの人に読んでもらいたい」という気持ちがあった。

 うまくなりてえ! と叫んでいるだけではうまくなるわけもないので、とりあえず「小説 上達」などで検索をかけて出てきた記事を読んでみたり、小説の書き方の本を購入してみたり、好きな作家さんの文章を音読して好きな理由を突き止めてみたり、過去の文章を見返して改善点を見つけたりしてみた。一応これらの努力の甲斐あってか、読みやすい文章にはなってきていると思う。

 さて、ここからようやくタイトルの話に入る。小説の上達方法の他にわたしが調べたものがある。「どうやって自分の作品を知ってもらうか」である。わたしの書いた作品は、伸びる時は伸びるし、伸びない時は伸びない。まぁ落差が激しい。自分で感じた出来とは関係なく、いいね数は変動する。原因の一つは、リツイート数である。ツイートを目にする人が増えるほどいいねをしてくれる人も増えるという単純な話である。リツイートを良くしてくれる人にタイミングよく見てもらえれば、いいねの数は増えていく。ようは、目につく回数を増やせばその分作品を知ってもらうことにつながるのだ。こう言ったツイートはタイムラインにもよく流れてくる。マジで素敵最高作品を見逃している時あるから、積極的に自リツイートしてください、頼む。

 とまぁ、他者に対してはこう言えるのだが、自分でやるとなるとぶっちゃけ不安にならない? というのが今日のお話だ。何回もリツイートするなんて必死な感じがして恥ずかしいし、リツイートしてもタイムラインには反映されないからリツイートしたことをアピールするために「朝上げです」みたいにツイートするのも必死さを加速させてより恥ずかしい。なにより、ウザいって思われてないか、心配である。「もうそれ見た」とうんざりしている人がいるかもしれないと思うと、(昼にしたから今日はもうやめとこうかな……)と考えてしまう。リツイートするタイミングもものすごく悩んで考えている。わたしにとって自分で書いたものを「見て見て〜」と宣伝するのは恥ずかしいことなのだ。
(※2024年には、ここに恥ずかしさを感じることはなくなっている。むしろ積極的にリツイートするくらいだ)

 そして、その恥ずかしさ以上に精神にくるものがある。「リツイートしてもいいねが増えない状況」である。これは本当に辛い。

 別にいいね稼ぎのために書いているわけではない。いいねが欲しいというのは副産物的な感情である。それでも、言葉に表している以上誰かに読まれたい気持ちには溢れていて、読まれたことが簡単にわかるのがいいねの数なのである。だから、いいねが欲しい。誰かこの気持ちをわかってくれたのだと安心したい。だからリツイートをする。

 でも、いいねの数が増えないと、暗いことばかり考えてしまう。「面白くなかったのかな」「興味ないのかな」「なんでわたしのことフォローしてるんだろう」「もしかしてミュートされてる?」「わたし、実は嫌われてるのかな」などなど、めんどくさい女と化してしまうのである。この時に自分の中のナニカが確実に擦り減っていっている。

 わたしは命を削って創作をしているわけではないが、自分の気持ちを大切に大切にちぎりとって、それを精一杯込めて作品を作っている。烏滸がましいことを言わせてもらえば、丕緒(小野不由美著・十二国記シリーズ『丕緒の鳥』の登場人物)のように、作品でもって気持ちを伝えようとしているのだ。わたしは小説という形で誰かに話しかける。たまたまわたしの小説を見てくれた人が、わたしにわかる形で反応をしてくれると、想いが届いたんだ、と嬉しくなる。対話などという高尚なものではないが、共感者がいるだけで救われるものがあるのだ。

 わたしにとってわたしの小説が読まれないということは、わたしの気持ちが誰にも伝わらなかったということに等しい。

 リツイートをしてもいいねが増えないのは、自分に価値が無いことを突きつけられているようで苦しい。

 もちろんこの感じ方が、あまりにも独りよがりなものだとわかっているし、どんな作品でも読んでくれた方がいる。強調して述べさせてほしいが、その方々を無視しているわけではない。あなたの貴重な時間を、わたしの作品を読むことに費やしてもらえたことはとても嬉しいし、あなた方が読んでくれたから、わたしはまた小説を書こうと頑張れるのだ。見てくれたあなたがいるから、わたしは言葉を紡げるのだ。作品があなたに届いてよかった。

 でも、数を求めてしまう自分がいる。数を求めて疲れていく自分がいる。いいねやはたまたpixivのブックマークがたくさん欲しいと言えるようなものを書けていない自覚はある。だが、自分の書いた最高な作品が評価されなくて不満に思う自分がいる。

 結局、わたしはまだ低俗な域を脱しきれていないということなのだろう。

 この問題は、誰かに救いを求めたところで解決しない。わたしが乗り越えられない限りずっとついて回る。

 長々と書いたが、「リツイートをするたびに擦り減っていくものに対する対処方法は、今後も悩み続けながら見つけていくしかない」というのが結論だ。自分との向き合い方、折り合いの付け方を見つけていかなければならない。わたしはあらゆる面でまだまだ未熟で、訓練していくしかない。あらゆる自分を飲み込んでいくしかないのだ。


 ここ最近感じていたことを、思いつくままに書いた。理路を整えて話をするのが苦手なのでわかりにくい文章構成になっていると思うが、せっかくなのでこのままにしておく。

 小説、うまくなりたいな。

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