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ゴミと暮らす友人に教わった5つのこと(前編)

 「私はイズミルに行ってみてほしいな〜!」

 トルコにあるブルダンという山間の村でお世話になったご夫婦に、海側か山側か、次の行き先はどこにしようか悩んでいるのだと相談したところ、奥さんからイズミルというトルコ第三の都市に行くべきだと、弾ける笑顔でおすすめされた。

「若者がたくさんいて活気があるし、海が綺麗よ。親戚が住んでいるから、私もよく行くのよ。あ、イズミルに行くんだったら、絶対に“ボンバー”を食べてみてね。今とっても人気があるの。甘いけど、私はいつも3つぐらい食べたくなるわ!」

 奥さんはとにかく「ボンバー、ボンバー、イズミルボンバー!」と連呼していた。一体何のことかさっぱり分からなかったが、どうやらイズミルで有名なスイーツらしい。

 トルコ第三の都市って言ったら、かなりの大都会なんじゃなかろうか。田舎好きの私の心はさほど踊らなかった。でも、お世話になった人がこれだけ推している場所なんだ。私の天敵、コンクリートジャングルに、たまには乗り込んでみようじゃないか!そう決心して、翌朝、イズミル行きのバスのチケットを取った。

 ブルダンにある小さなバスターミナルから、20〜30分ミニバンに揺られて、大通りのど真ん中で降ろされた。そこにはバス停らしきベンチと日除けがあった。大通りと言っても、大して車は走っていない。ミニバンを運転していた運転手もその場で一緒に降り、「もうじきイズミル行きのバスがここに到着するから待っていて」と私たちを安心させるように言った。こういうところがトルコ人の親しみやすさだと思う。

 私たちの他にも若者たちが数組集まってきた。程なくして、赤色に白や黒のラインが交差するように引かれたスタイリッシュな高速バスが到着した。「イズミル行き」と書いてあった。

 一直線に伸びる田舎道を、バスは颯爽と走る。トルコの高速バスは、他国のものと比べても非常に快適だと思う。水やお菓子をもらえることが多いし、Wi-Fiまで付いている(バスに乗ると決まってうとうとしてしまう私は、あまりお世話になった記憶はないが...)。

 車窓からの眺めは、ひたすら葡萄畑だった。「これがシャラップ(トルコ語でワインの意)になるんだな〜」と、緑色に輝く農場をぼんやりと見つめる。心地よいバスの振動と温かさに、だんだん瞼が重くなってきた。

 途中に一度(ドライバーのための)休憩を挟み、三時間ちょっとでイズミルのバスターミナルに到着した。ブルダンのそれとは言うまでもなく規模が大きい。一体何本の線があるのだろう。大型から小型まで、多くの車両が行き交っていた。


 イズミルに来て初日の滞在先は、比較的交通の便がよさそうなAirbnbの一室を予約していた。近くに大学があり、飲食店や住宅が所狭しと立ち並ぶ、ボルノバという地域にある。

 バスターミナルからボルノバまで、どうやって行くのが最良か。旅はこの思考の繰り返しのような気がする。バスターミナルから目的の宿までは約9kmの道のりで、車で行けば20分そこらで着くはずだが、歩くとなるとかなり遠い。後ろに7kg、前に5kg(パートナーは後ろに15kg、前に8kg)の荷物を背負い、炎天下の中を歩くのは不可能だ。

 バス停に到着するなり、ボルノバという文字をざっと探してみたが、見当たらない。パートナーが「ちょっとその辺のドライバーに聞いてくる」と、大それた荷物と私を置いてそくささと歩き出した。彼曰く、「移動は旅の醍醐味」らしいが、大荷物を持っていては、そこに佇んでいるだけで疲れる。「いつも私の分までありがとう」と、心の中で彼の背中に向かってつぶやいた。

 10分も立たないうちに、清々しい表情で彼が帰ってきた。
 「あっちに停まってる小さいバスが、もう少ししたらボルノバ駅方面へ出発するって」

 そうか。よかった。今日は順調に宿に着いて、休めそうだ。
 「いつもありがとう〜」
 今度は目を見て言えた。彼もホッと一息ついた。

 新しい土地に慣れるまでは、こういう地味なバス移動はとても神経を使う。ちなみに私の場合、これは海外に限ったことではなく、日本にいてもそう感じる(知らない土地で路線バスを利用する時は、「ICカードは使えるかな?料金は前払い?後払い?どっちから乗って、どっちから降りる??」と、私の頭の中は緊張で軽くパニック状態だ)。同じ国でも、地域によってシステムが違うから、難しくて、面白い。


 彼がボルノバ駅方面行きとの情報を得たドライバーが運転する小型バスの停留所まで歩き、「ボルノバステイション?」と確認しながら乗車する。運転手が頷いた。バスの発車までもう少し時間がありそうなので、事前に運賃を渡しておく。二人で20リラ(約140円)渡してみた。運転手は軽く頷き、受け取ってくれた。

 無事にバスが発車したは良いものの、これはひどい渋滞だ。一向に前に進まない。ちびちびジリジリ前進するバスに私たちはちょこんと座って、初めて降り立った街を眺める。バスターミナルは郊外にあるので、今のところ、そこまでゴミゴミはしていない。

 想定の倍以上の時間がかかったが、もうそろそろかなと思った矢先、ドライバーが私たちの方に視線を向けながら、「ボルノバステイション!」と遠くを指差した。
 「歩いて向こう側に渡って。もうすぐそこだから」

 駅まではまだ数十メートルありそうだが、渋滞の中、駅のロータリーまで行く気力がなくなったらしい。まあ大した問題ではなさそうなので、その場で降り、Googleマップを頼りに、予約した宿がある場所を目がけて、足を踏み出した。


 昨日まで滞在していた山間部の村には、保守的な人々が多かった印象だが、さすがはイズミル。リベラル派の若者達は、まるでここはビーチかと思わせるような露出度超高めの服装で縦横無尽に堂々と歩いている。ムスリムの女性が巻くヒジャブもほとんど見かけない。村の奥さんが言っていたように、若者がとにかく多い。若者しか目に入らない。同じ国でこうも雰囲気が変わるのかと驚愕した。

 入口がかなり分かりづらかったので、何度か同じ場所をウロウロした。ピラフ屋さんと八百屋さんの間に、狭い路地が見えた。「ここか…?」と恐る恐る足を踏み入れ、ピラフ屋さんで消費されたコーラの空き瓶の山の側を何とか抜けると、空から声がした。
 「やぁ!よく見つけたね!今下に降りるからそこで待ってて!」


 彼の名前はヤシン。予約した宿のオーナーだ。少々ふっくらとした体つきで、優しい瞳が印象的な男性だった。
 「よく来たね。さあどうぞ」
 柔らかな声で迎え入れられ、私たちは安心しきった。予約サイトでこの宿の評価が高かったのも素直に頷ける。予約サイトで一番念入りにチェックするのは、実際に宿に泊まった先人たちのレビューだ。

 彼は一通り施設の説明をしたあと、玄関の前に私たちを連れていき、ドアノブの辺りを指差しながら「見てて」と言った。私たちが何だろうと食い入るようにドアノブを見つめた瞬間、「ウィーン、ガシャン」と、誰も触れていないのに、ドアの鍵が勝手に閉まった。

 「すごいっ!」私たちの顔が緩んだ。彼は自分のスマートフォンで起動していたアプリの画面を見せて言った。クリックすると何かが起こるのだとわかる、シンプルな赤丸がスマートフォンの四角い画面のど真ん中にある。

 「このボタンを押せば、自分がどこにいたって、うちの鍵を開けたり閉めたりできるってわけ。僕は宿をやっているから、自分の都合でゲストを迎え入れられないときとか、ゲストが鍵をなくしちゃったときに、かなり役に立つよ。実は僕、大学で機械工学の勉強していたんだ。これは自分で作った装置なんだよ。今はまだ、そいういう仕事にはつけていないけど、こうやって自分で小さな便利品を作ることが趣味なんだ」

 「めっちゃ便利じゃん!」
 私たちは賞賛した。よくよく見ると、鍵の部分には小さな電子機器のような部品やコードが付いていた。彼は「見た目はかっこ悪いけどね」とはにかみながら、私たちにお茶を入れるため、やかんを火にかけた。 


 翌日、ヤシンはイズミルの主要名所を教えてくれた。ボルノバ駅から地下鉄に乗って海沿いに出れば、イズミルの中心部に着くらしい。駅を降りると大規模なバザールがあって、買い物には困らないだろうと言っていた。それから、有名な時計台は絶対に写真に収めるべきだとも。

 ヤシンの紹介してくれた通りに、私たちは地下鉄に乗った。バザールとやらを見てみたかったので、コナック駅(ここがイズミルで最も大きな終着駅だ)の、一つ手前で降りてみることにした。

 地下鉄を降りて地上に出た途端、人人人。洋服やら日用品やらお土産が、所狭しと並んでいる。観光客もいないわけではないが、ほとんどが地元客のように見える。皆多くの品の中から掘り出し物を探そうとバーゲンに乗り込んできたような形相だ。

 世界で活躍する我が国出身の漫画ヒーローたちが勢揃いしたTシャツ屋を横目に、人混みの圧に耐えながら何とか歩みを進める。ブルダンで奥さんが食べさせてくれた青々として固い梅の実がそこら中で売られている(トルコでは、梅の実を緑色のまま齧るらしい。日本の梅とは品種が違うのかもしれないが、干して柔らかくなった状態でしか食べたことがない私にとっては斬新な食べ方だった)。

 特に買いたいものなどない私たちは、気づけばただこの人混みを抜け出そうと必死だった。人をかき分け、海側へ向かう。似たようなお店ばかりでデジャブを感じながら、やっとの思いで広場へ出てきた。そこには、この街のシンボルと思しき時計台があり、人々がこぞって自撮りを楽しんでいた。

 二人の表情には疲れが滲んでいた。正直なところ、自分たちの心が踊るのは、やはりこのような都会ではないのだと、言葉にせずとも分かる状態だった。人の波に飲まれてしまわないよう、中心部から少し離れた路地を歩きたいと思った。私たちの足は、自然と山側へ向かった。


 10分も歩くと、静まり返ったシャッター街にたどり着いた。ここも以前は店や人で溢れかえっていたことが想像できた。私たちは、自分たちの感性が反応するところを写真に収めながら、路地裏を歩き回った。狭い路地がたくさんあり、階段もたくさんあった。階段を上り、小高い場所からイズミルの街と海を見るのは気持ちがよかった。

 しかし、やはり私たちは行く当てもなく、とりあえずまた下の方へと歩き出した。今度は階段ではなく、車を避けながら坂道を歩いた。それにしても、ついさっきまで煌びやかな人々がこれでもかというくらい買い物袋を下げていた光景が幻だったかのように、この辺りは静まり返っている。人々が密集するよそ行きの観光地と、人気のないごく普通の(むしろ普通より質素な)生活が表裏一体になっていることが不思議だった。

 坂道を降りきると、斜向かいに小さな店らしきものが見えたので、近くまで行ってみることにした。こじんまりとしたご飯屋さんだった。通りに面する壁はガラス張りになっていて、中には色鮮やかなおかずが並んでいるのが見えた。食欲をそそられた。と言っても、「本日のメニュー」らしきものが2種類しかない、小さな小さなロカンタ(トルコ語で「食堂」の意)だった。 

 真面目そうなご主人が3組のお客にテキパキとした手つきで食事を提供している。地元の人に愛される、安くて美味いご飯屋さんだということが一目で分かった。「こういうロカンタで食べてみたかったんだよな」と、心の中でよだれを垂らしながらも、メニューのない満席のローカル店に入る勇気が出なかったので、ひとまずその場を立ち去ることにした。

 細い路地をそこからさらに真っ直ぐ200メートルぐらい歩いただろうか。ふと右を向くと、何やら楽しそうに「こっちへおいでよ!」と言わんばかりに、笑顔で手招きするおじさんがいた。彼はカメラを向けられるのが好きなようだった。私たちは吸い寄せられるように、彼の元へ向かった。

 色褪せたキャップに黒いTシャツを着た、笑顔を絶やさないそのおじさんの手は、黒く汚れていた。自動車整備の仕事でもしている人だろうかと思った。

 おじさんは、遠くの海の方と、自分の家を交互に指差して、何やら同じような単語を連呼している。果たしてこのおじさんは何を言わんとしているのだろう。英語が通じそうもないので、スマホで翻訳アプリを起動し、おじさんに喋り続けてもらった。

 翻訳アプリは、彼の「ユナイスタン」や「オスマン」などという言葉を拾い、日本語で「ギリシャ」と訳した。「この家が、ギリシャ建築である、または歴史的価値がある」という意味だろうか。結局、おじさんの話すトルコ語の真相は最後まで分からなかったが、とにかく彼は楽しそうだった。

 彼は家の中からトルコの国旗を取り出してきた。彼の家を背景に、国旗と私と一緒に写真を撮りたいようだった。トルコの人々は愛国心が強く、自らがトルコ人であることを誇りに思っている。街中や民家で国旗を目にすることも多々ある。


 一通り一緒に写真を撮るのを楽しんだあと、おじさんは突然、
 「私は病気です」と言った。

 すごく元気そうなのに、急にどうしたのだろうと、私たちは困惑した。


 「私はゴミを集めて生活しています。私の両親は、1歳の私を捨てました。家族はいません。ゴミを集めて、一日に10ドル稼げれば、良い方です。5ドルより少ないときもあります。私はお金がありません。この家は古すぎます。咳が出ます。私は病気ですが、お金がありません。病院に行けません。私はあと半年しか生きられないでしょう」

 翻訳アプリは、彼の主張を私たちに届けた。

 「日本人に寄付をお願いできませんか」
 続けて、彼はこう言った。


 彼は、自分の今の生活を変えたいようだった。そして、家に入ると、紙の切れ端とペンを手に戻ってきた。彼は自分の名前と住所、電話番号を書いて、私たちに渡した。

 写真を撮ったり、笑い合ったり、一緒に楽しい時間を過ごさせてもらったお礼に、ほんの少しだが、お金を差し出した。しかし、彼は受け取らなかった。

 「私たちにできることがあれば連絡します」
 最後にそう言い残して、私たちは彼の元を去った。


 しばらくの間、パートナーと私は、無言で歩いた。やっぱりただ当てもなく、海側へ歩いた。

 「どうしてお金を受け取らなかったのかな」
 「端金より、ある程度まとまった額を寄付してほしいということなのかな」

 おじさんから渡された紙を開いた。彼の名前は「ユセフ」というらしかった。ユセフの笑顔と、その笑顔が曇る瞬間のギャップを繰り返し思い出していた。 


 私たちは街路樹の下に座った。先ほどのユセフと過ごした時間に感じた、あの何とも言葉にならない感情を、何とか言葉にしてしまいたいような、しなければならないような思いに駆られて。


 今日は、大都会イズミルの街を観光して、楽しい演出で動画を締めくくるはずだった。しかし、ユセフとの出会いが、私たちの間に不穏な空気をもたらした。

 私は彼と出会ったことや、彼に言われた全てと、それに対する自分の気持ちをうまくカメラの前で話すことはできなかった。元々話すことが苦手で、自分の思いを消化するのに人より時間がかかる方だ。カメラを回す彼と、ギクシャクした。私の心は、ユセフの言動をあまり考えすぎないようにしようとしていた。翻訳アプリだってどこまで正しいのか分からないし、と。

 「俺は、あのおじさんに出会わなかったことにするのは、違うと思う。それなら今日の動画は全部、お蔵入りにするよ」
 一旦撮影をやめて、パートナーはそうつぶやいた。

 「でも、私は正直、今の感情を言葉にしろと言われても、無理だよ...」
 私は泣きそうになりながら訴えた。私は時々、カメラを向けられるのが苦しくなる。

 彼は、私の言葉を受け入れ、彼自身の思いを話すと言った。私は彼からカメラを受け取って、録画ボタンを押した。

 「正直に言うと、これまで旅したどの国でも、人からお金をせびられたことはあった。カンボジアで出会ったトゥクトゥクドライバーも、古いトゥクトゥクを買い換えるためにお金が必要で、少しでいいから寄付してくれないかと。
 小銭で満足して去っていく人もいれば、何かを買う目的が明確にあって、ある程度まとまったお金を要求してくる人もいる。
 もしかすると、俺たちのような旅行者に連絡先を渡して援助をお願いすることで、たとえ可能性は高くないと分かっていても、彼らにとってその行為自体が、希望になっているのかもしれないなと感じたんだ。
 宝くじみたいな確率かもしれない。でも、種を蒔くことで、0%を1%にできるかもしれない。

 あとは、その種を受け取った自分たちがどうするかだけど。

 俺は直接的に何かするのは難しいかもしれない。でも、自分たちにできることで、誰かに希望を与えられる人間でいたいと思う。こうやって旅動画を作って発信することも、誰かにとっての希望になり得るかもしれないし」

 彼は、そんな複雑な心境とクリエイターとしての決意を、カメラの前で言葉にした。

 答えのない問いに真っ向から挑むのは、決して簡単なことではない。ましてやその葛藤を全世界に発信するのは、相当に勇気がいることだ。少なくとも、いつも考えすぎてしまう私には、到底真似できないことなので、彼の潔さと正直さに感服し、同時に複雑な思いになった。私は反対意見を聞くことがひどく怖いのだ。

 話し終わって少しすっきりしたのか、「せっかくだから、ボンバー食べとく?」と彼は私に提案した。

 私たちは先ほどまでの険悪ムードを振り払おうと互いに努力した。“ボンバー”がどこに売っているのかよく分からず、結局、Googleマップの示した徒歩30分以上かかる(実際は1時間近くかかった)綺麗なケーキ屋まで歩くことにした。

 大統領選を翌月に控えるトルコでは、政治家と見られる男性が至る所で演説している。ケーキ屋までの道のりには、時おり何百人もの聴衆と警察官が道を封鎖するように集まっていて、異様な空気が漂っていた。トラブルにだけは巻き込まれないよう、私たちはただ“ボンバー”を目指して、黙々と歩いた。


 「甘すぎて鼻血が出そう...」
 やっとありつけた念願のボンバーの味は、一口食べただけでもう満足(というかギブアップ)の甘さだった。大福のような形をしていて、噛めば中からとろっとろのチョコレートが溢れ出す。チョコが爆弾のように弾けて出てくるから“ボンバー”と名付けられたそうだ。

 「ブルダンの奥さーん!私たち、イズミルでボンバーを食べたよ」
 東の空を向いて報告した。

 さっきから胸の辺りでもやもやと渦巻いていた重苦しい何かは、鼻の奥から頭まで血が巡り出す高揚感にかき消されたかのように感じた。私たちは、ユセフとの出会いの意味を、真剣に考えてみることにした。

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小高い場所から見下ろすイズミルの街

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