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ゴミと暮らす友人に教わった5つのこと(後編)

前編はこちら

私たちは、その晩、宿のオーナーであるヤシンに相談した。

「私たちは、今日イズミルの街で、ゴミを集めて生きているユセフという男性と知り合いました。私たちは彼のために、自分たちにできることをしたいと思いました。
 私たちは動画クリエイターとして、いくばくかの収益を得ています。彼と一緒に動画を作り、その動画で得たお金を彼に渡すことで、少しでも彼を助けてあげられないだろうかと考えました。そして、もし、あなたがこの考えに賛同してくれるなら、ユセフに電話して、私たちの思いを通訳してくれませんか」

 ヤシンは少し戸惑ったような顔つきになり、率直に言った。

「君たちが本当に望むなら、私は彼に電話するのを手伝うことはできるが、正直に言えば、君たちが彼のためにそこまでする必要はないのではないかと思う」

 そして、その会話をした2時間後、部屋で悶々としている私たちへ、ヤシンからこんなメッセージが届いた。

「君たちはあまりにも綺麗な心を持ちすぎているんだ。いいかい。ゴミを拾って生活する人は、世の中にごまんといる。そういう人を見て、いちいち胸を痛めていたら、キリがないよ。どうせ君たちは、恵まれない人々全員を助けることなんてできないんだ。だったら悩んだってしょうがない。
 大丈夫。彼らはどんなに生活が苦しくても、これまで何とか生きてきたし、そしてこれからも、何とか生きていくんだ。君たちは、まず自分たちのことを一番に考えて、自分自身の生活をただ大事にすればいい。君たちが彼らのためにできることは、神に祈ることだけだよ」

 彼の意見は、ごもっともだった。

 そうなのだ。私たちはこれまでにも、たくさんの“恵まれない人々”を見てきた。道端で「お金をくれ」「食べ物をくれ」と言われた経験は、数えきれないほどあったのだ。

 ではなぜ今回だけ、「自分たちにできることを」なんて、図々しく考えているのだろう。一体何様のつもりなんだろう。
 やはり、自分たちのやろうとしている行動は、間違っているのだろうか。


 その夜は、宿のすぐ下にあるピラフ屋さんで、ささっと食事を済ませた。この店には前にも一度来た。量が多くて良心的な価格設定だ。だけど今日は、何となく味気ない。

 私は、ピラフを口に運びながら、ヤシンにもらった言葉と、それを擁護する様々な巷の意見を、頭の中で反芻した。

 “一度でも誰かに何かを恵んでもらうと、そういう癖がついてしまう。
 彼らが本当のことを言っているとは限らない。
 真面目に仕事をするよりも、物乞いをする方が儲かることもある。
 彼らは自ら望んで、その生活をしている。
 一人だけ助けるなんて不公平だ。
 仮に一人に何かをしてあげたって、継続できなければ意味がない。”

 やらない理由は、時間が経てば経つほどに、私たちの頭の中を支配する。
 やはり「私たちにできること」なんて、何一つないのだ。

 しかし、心はどこかもやもやして、その晩はよく眠れなかった。


 翌日、パートナーと私は、話し合った。イズミルにいられる時間はあと2日。明日ユセフに会いに行って、一緒に動画を作るか、それともヤシンの教えに従って、このまま手をこまねいているか。「どうしよう」と、何度口にしただろう。しぶとく大きな迷いが、二人の道を阻んでくる。私たちは、一歩進んだかと思えば、また二歩も三歩も下がった。

 やらない理由を並べた。心が楽になり、同時に情けなくなった。長いものに巻かれて、それを正当化しようとしている己が。

 結局、うまくもやもやを晴らすことはできずに、それでも私たちは、もう一度ユセフに会いに行く決心をした。会いに行けば、何かが生まれる気がして。現状維持しようとする自分たちに、失望しなくて済む気がして。


 予定よりも少し遅れてしまった。彼はまだ、家にいるだろうか。もし会えなければ、それは神様が彼に会わない方が良いと判断したのだということにして、諦めがつくはずだった。

 ボルノバ駅から、地下鉄に乗り、終点コナック駅へ向かう。なんだか妙にそわそわして、私たちは電車の車内でほとんど言葉を交わさなかった。

 すっかり歩き慣れた道を、私たちはとぼとぼと進む。あそこの角を右に曲がれば、彼が住む家がある。


 ユセフは今日も変わらずそこにいた。

 「メルハバ!」
 私たちはできるだけ明るく声をかけた。

 彼の目は驚き、そしてキラキラと輝いた。

 「また来てくれたんだね」
 彼は、嬉しそうに言った。

 私たちは、翻訳アプリを駆使して、想いを伝えた。

 「私たちは、あなたのためにできることを考えました。私たちは、あなたの生活の様子を動画にして、世界に発信することができます。そして、その動画で得たお金をあなたに渡します。今日、一緒に動画を作りませんか?」

 スマホを持っていないユセフが、動画という媒体をどの程度理解したのかは分からない。もちろんYouTubeなど、見たこともないだろう。しかし彼は、翻訳されたトルコ語を読み、笑顔で頷いた。


 「今は何をしているのですか?」
 私は翻訳アプリに話しかけた。そして、訳されたトルコ語の文字をユセフに見せる。

 「ゴミを分別しています。これはペットボトル、これはプラスチック」
 ユセフは、大きなゴミ収集袋の中に集めてきたゴミを、慣れた手つきで分別していた。

 分別が終わると、「Telephone!」と要求した。彼は、翻訳アプリを使えば会話ができることを学んで、何か言いたいことがあると、人差し指をクイクイと動かしながら telephone と言うようになった。

 「ゴミを持っていきます」と言って、彼は歩き出した。置いて行かれまいと、すぐさま彼を追いかける。彼は分別し終えたペットボトルの山を引きずって、家から10メートルほど離れた場所へ向かった。

 そこはこじんまりとしたゴミ収集所だった。40代くらいの男性が受付をしていた。
 「日本人の友達ができたぜ。彼らは今日俺の仕事をカメラで撮るのさ。」

 受付の男性は私たちの方を向き、
 「こんにちは。ようこそ」と、快く中へ入れてくれた。そして、ユセフの集めてきたペットボトルの山を測りの上に乗せるのを私に手伝わせ(てくれ)た。

 重さを測り終えると、受付の男性は、ユセフに132リラ(1000円弱)を現金で渡した。なるほど、集めてきた資源ごみの種類と重さによって、買い取り額が決まるのだ。

 「今これだけもらったぞ!光熱費と家賃を除いて、スープ2杯分だ」
 ユセフはたった今稼いだお金を見せて得意気に言った。

 また家の前に戻り、分別作業をしていると、同じようなゴミ収集袋を引きずりながら歩く女性に出会った。その女性の後ろから、5歳くらいの女の子がひょこっと顔を覗かせた。

 母親と見られる女性とユセフはご近所さんのようで、世間話をしている様子だった。ユセフは、ゴミ箱の中で見つけた黒のローファーを女性に渡し、小さな雪だるまのおもちゃを女の子に渡した。
 女の子は目をキラキラさせて、ユセフにお礼を言った。金髪で青い瞳をした、可憐な女の子だった。

 ユセフは、「彼らは近所に住む家族だ」と教えてくれた。
「彼女があの靴を欲しがったので、私は彼女に与えました」と翻訳アプリは表示した。

 ユセフが昨日集めた全ての資源ごみを収集所に持っていくのを手伝い終えてから、私たちは彼に家の中を見せてもらった。

 部屋の中は、ゴミの臭いがして、ひどく息苦しい。家具や家電はほとんどなかった。あるのは小型テレビとソファと、大きなリヤカーだけだ。部屋は二部屋。と言っても、キッチンがある部屋はかなり小さめで、物はほとんど置いていない。洗濯機やシャワー、冷蔵庫などは見当たらない。

 彼は、私たちを居間に迎え入れた。そして、右手の人差し指をクイクイと動かした。
「これらは全て、ゴミの中から拾いました。ゴミ箱には、まだ食べられるものが捨てられています。ハーシーチョップ!ハーシーチョップ(全部ゴミ)!」

 紅茶やジュース、お菓子、ティッシュ、タオル、洗剤、服...。彼の家の中にあるものは、基本的に全て、ゴミ箱の中から拾ってきたものなのだそうだ。確かに、賞味期限が少々過ぎていても、まだ食べられるものはたくさんあるだろう。しかし、やはり生ごみと一緒に入っていたものを集めていることに変わりはないためか、ゴミの臭いが部屋に充満している。

 ユセフはゼーゼーと音を立て、咳き込み始めた。
 「私は病気です。でも、医者に行くお金がありません。このままでは、私はせいぜい半年しか生きられないでしょう」
 ユセフは悲しげな目をした。そんなにすぐに死にはしないだろうと思ったが、私は返す言葉が見つからなかった。

 私たちは、ユセフに一日のスケジュールを尋ねてみた。
 「朝10時ごろまで寝ています。起きてからゴミの分別をして、収集所へ持っていきます。そのあとご飯を食べて、休憩します。夕方5時くらいから、朝の5時まで街中を歩いて、ゴミを拾います」
 「え、夜通し!?」
 「そうです。昼間はシリアから来た難民たちがゴミを拾っています。だから私は、夜にゴミを拾うのです」
 夜通し歩き回っているとは、さすがに信じがたかった。本当だとしたら、凄まじい体力だと思った。

 私たちは、少し休憩し、ゴミ集めの時間になったらまたここへ戻ってくると言って、一度ユセフの家を後にした。が、すぐさま引き返した。
 「ユセフとあのロカンタに行こう」
 私とパートナーの意見が一致した。


 以前目の前を通ったが、勇気が出なくて入れなかったすぐそこにある小さなロカンタ。ロカンタとは、トルコ語で大衆食堂を意味する。私たちも地元民と入れば安心だし、彼にも少しは体に良いものをご馳走できる。Win-Winというやつだ。

 「やっぱり、一緒にランチを食べませんか?」
 「良いのかい?もちろんさ」

 「ロカンタ♪」
 「ロカンタ♪」
 三人はウキウキしながら、お目当ての食堂に入った。

 ユセフにメニューを説明してもらった。鶏肉か牛肉かしか分からなかったけれど、トルコのご飯は何でも美味しいので心配ない。

 その日のメニューはチキンの煮物と、茄子とひき肉のムサカだった。トルコでは定番の、アイラン(塩味のヨーグルト)も付けてもらった。

 既に味がついたチキンに、これでもかと言うくらいコショウをふりかけるユセフ。これがトルコのスタンダードなのだろうか。何だか少年のようで可愛らしい。

 本能がそうさせるように大人があんなにがっついて食べる姿を、私たちは初めて見た。バランスの取れた食事は久しぶりなのかと思わざるを得なかった。

 ロカンタでは基本的に無料で付いてくる食べ放題のバゲットを指差し、
 「オーガニック!オーガニック!美味しい!」
 と叫んでいた。

 食事が終わると、何度もお礼を言われた。あの店で食事をしたのは初めてだとも。彼の心底嬉しそうな顔と、
 「アルカダシ!」
 その一言が、嬉しかった。

 ランチをご馳走してくれたお礼にと言わんばかりに、彼は彼のお気に入りの場所へと私たちを案内した。イズミルの街が見渡せる小高い丘の上だ。以前自分達で見た景色より綺麗だった。

 坂の途中で、彼は芝生に寝転がった。私もつられて、隣に横たわった。

 緑の中で呼吸するのは、気持ちがいい。やはりコンクリートジャングルにはない癒し効果が、自然の中にはある。私たちは束の間の癒し時間に、綺麗に感じる酸素を目一杯吸った。

 すると彼は徐に平坦な場所へ移動した。そしていきなり、華麗に前方回転をやってのけた。私たちは目を疑った。50代でその動きが軽々とできるものか?やっぱりあと半年なんかで死なれちゃたまったもんじゃないぞと、心の中で言ってやった。

 「じゃあまた、5時に来ますね」
 「はい。待っています」
 私たちは、彼と再会する時間まで、しばしカフェに入り休憩しつつ、果たしてこれからどんな展開が待っているのだろうかと物思いにふけった。彼の家からこんなに近くに、ボンバーが売っていた。

 約束の午後5時。私たちはユセフの家の前で再会した。
 彼は自分の体を指差し、「ハーシーチョップ!」と挨拶がわりに言った。私たちもこうなったら一緒に笑い飛ばしてやろうと、笑顔で覚えたてのトルコ語、「ハーシーチョップ!」を元気よく返した。

 「よし!仕事だ!」
 彼は、自分の体より大きなリヤカーを家から引っ張り出し、気合十分に歩き出した。と思ったら、
 「まぁ、まずはチャイでも飲もう」
 そう言って家から徒歩10秒の喫茶店(と言っても普通のお宅の軒先に、プラスチックの小さな台と椅子が置いてあるだけだ)へ立ち寄った。家主と思われる男性が、私たちのためにお茶を三人分運んできてくれた。

 トルコ人は、大量の角砂糖を入れて、甘い紅茶を楽しむのが好きなようだ。ユセフも例に漏れず、小さなグラスに入った紅茶に角砂糖を二つ入れた。私たちはたいていブラックティーを飲む。ごくたまに、角砂糖を一つだけ入れてみる。それでも十分に甘みを感じる。温かい紅茶は、ホッとする。

 嬉しそうに何かを話しながら、ユセフが建物の方へ歩いて行った。そしてドアの前の段ボールを指差し、こっちに来いと私たちに合図した。そこには、母猫が1匹と、3匹の赤ちゃん猫がニャーニャーと泣いていた。ユセフは母猫を撫でてから、赤ちゃん猫を躊躇なく拝借して、椅子に座って嬉しそうに撫でた。私たちは、母猫が怒るのではないかとヒヤヒヤしながら見守った。
 それと同時に、彼にはこんなに温かいご近所付き合いがあることが知れて、安堵した。

 一服して、猫に癒されたあと、彼は歩き始めた。少しだけ私にリヤカーを引かせてくれた。まだ何も入っていないので、それほど重いわけではなかったが、なにせ自分の体より大きい道具なので、これを上手に操りながら歩くのは至難の業だと思った。路駐している車に傷でもつければ取り返しのつかない事態に陥りそうだ。

 彼はにっこりして、リヤカーを自分の領域に戻し、本格的に歩き出した。上り坂だ。歩いているだけで疲れる。

 「俺は30年間、毎日この道を12時間歩いているんだぜ」
 息の上がった私たちを見て、彼はまた得意気に言った。

 何度聞いても信じられない。そりゃあ少しは休憩を挟むだろうが、人間は夜通し歩き続けられるものなのだろうか。
 彼は上腕二頭筋を触らせてくれた。50代とは思えない筋肉だ。毎日の鍛錬の賜物なのだろう。

 彼に会いに行く前は、「何か少しでもお手伝いできたら」なんて、生半可な思いを抱いていた。しかし今、私たちは、彼についていくだけで精一杯だった。普段はニコニコ笑顔を絶やさない彼だが、気づけば、至って真剣な、職人の目つきになっていた。

 道路脇に設置された大きなゴミ箱。辺りは見渡す限り住宅街だ。高層マンションも立ち並んでいる。 

 彼は、お金になる資源ごみだけを嗅ぎ分け、ゴミ袋を引き裂き、自分のゴミ収集袋に収めていく。お目当てのものがゴミ箱の底にあって届かないときは、ジャンプして、顔をゴミ箱の中に埋めて取っていた。まるで素潜りで魚をしとめているようだ。無駄な動きは何一つなく、無論、私たちが手を出す隙などなかった。

 彼はゴミ箱からメガネを見つけた。とりあえず、かけてみている。手元を見て、次に遠くを見た彼は、目をぎゅっと瞑って首を振り、メガネをゴミ箱へ戻した。度が合わなかったようだ。そりゃそうだ。

 「これは5リラ(約35円)、これは10リラ(約70円)!」
 彼は、お金になりそうなもの(綺麗な服やおもちゃ、鉄、電化製品など)を手に入れると、いくらぐらいで売れそうかを教えてくれた。宝探しをしているようで、純粋に楽しかった。

 「今日はいつもよりたくさん集まっているぞ!」
 好調な滑り出しに、上機嫌の様子だ。

 すると、ユセフはリヤカーを置いて、一台の白い車の元へ駆け寄った。急にどうしたのかと慌ててついて行くと、運転席に乗った若い女性に、縦列駐車を教えていた。駐車に手こずっていたレンタカーの彼女を助けるために、もう少しハンドルを右に切れだとか、そうそうその調子だとか、言っているらしかった。本当に愛嬌があって、憎めない、困っている人がいると放っておけない、そんな彼が愛おしかった。

 彼の歩く道は、綺麗になっていくような気がした。物理的に、ゴミを集めているからというだけではなく、背筋を正して、堂々と迷いなく歩く彼の姿は、美しかった。

 彼は一軒のレストランの前で、店主と挨拶を交わし、私たちを紹介した。突然カメラマンを連れてきたユセフに驚きながら、店主はとても嬉しそうに、「ちょっと待っていなさい」と言い、店に入った。1分も立たないうちに、店主はピラフを山盛り持ってきた。そして「君たちも食べるか?」とジャスチャーで私たちに尋ねた。私たちは「結構です。ありがとうございます」と丁重にお断りした。ユセフは店の前に座って、ピラフをかきこみ始めた。

 「いつもここでご飯を食べさせてもらうの?」
 彼は首を振った。
 「いつもではないよ。他にも食べ物を恵んでくれる人がいる。彼は同級生なんだ」
 ユセフにはちゃんと温かいコミュニティがあるんだと、またもや心が解けていった。

 2時間ほど一緒にゴミを探しながら歩いて、私たちはユセフに別れを告げた。
 「今日、私たちはあなたにたくさんのことを教わりました」
 「君たちに会えてよかった。またいつか必ず会いましょう」

 ユセフは少しだけ寂しそうな顔をしたが、何度も手を振って、暮れ始めた夜の住宅街へと、また力強く、歩きだした。


 私たちは、彼にたくさんのことを教わった。

 まずは、職業に優劣はないこと。
 自分があの人よりも優っている、劣っているなどと感じるのは、一体どのような尺度なのだろう。年収?どれだけ世のためになっているか?時間や場所に縛られていないか?職場の人間関係に恵まれているか?
 きっと答えは一つではなく、そもそも他人と比較する意味なんてないのだろう。そして、自分の狭くて偏った価値観の中で、他人を上っ面で評価することは、最も愚かなことだと、心に刻んだ。

 次に、たとえ辛い現実があったとしても、目の前のことに、ただひたむきに向き合う姿勢。これは彼の洗練された職人技を見ていて、感銘を受けたことだ。その姿勢が誰かの心を動かし、自然と温かい輪が広がっていくのだ。

 それから、信じたいと思ったものを信じる勇気。ユセフの言葉、一言一句が真実かどうかは、正直に言うと分からない。多少大袈裟に表現した部分もあるのかもしれないと思う。しかし、私たちは、この人の言葉を信じたいと思った。それが全てなのだ。自分が信じたいと思ったものを信じる。これは本当に勇気がいることだ。けれども、少なくとも私たちは、彼の言葉を信じてよかったと思っている。

 行動することで得られるもの。その可能性は、想像以上だ。信じて一歩を踏み出したからこそ、たくさんのことに気づかせてもらえた。行動する前には、多くの葛藤が生まれる。葛藤や不安といったもやもやは、初めての挑戦の前には決まってやってくるから、きっと人間にとって、なくてはならないものなのだろう。しかし、悩める自分の脳を納得させ、乗り越えたときにこそ、本当の感動が待っている。

 最後に、笑顔の大切さ。道端でお金を要求されたことは、これまでに幾度となくあった。しかし、私たちは何故、彼に惹かれたのだろうか。希望を一緒に味わいたいと思ったのだろうか。その理由は、彼の嘘偽りない心からの笑顔にあった。どんな状況でも笑顔とユーモアを忘れずにいれば、それだけで、人の心を動かすことができるのではないか。彼の笑顔は、そんな温かい学びを私たちの心にもたらしてくれた。


 ユセフに密着取材をした翌日、私たちは、彼の驚いた顔や喜んでいる様子を想像しながら、彼の住む街を目指し、三度目の地下鉄に乗った。

 イズミルの街は、相変わらず活気がある。そして、それぞれが、それぞれの日々を暮らしている。そこには他の誰のものでもない、その人だけのストーリーがあるのだ。

 その日、ユセフは家の外で分別作業をしていなかった。鍵も閉まっている。パートナーがユセフの家の窓をノックした。

 ソファでうたた寝をしていた彼は、窓を開けて相好を崩した。
 「夢か?私は夢を見ているのか?」

 イスタンブールを目指し、既にイズミルを発ったはずだと思っていた日本人が、また自分の目の前に現れたことを理解して、ユセフは涙を流して喜んでくれた。私たちは、もう使わなくなった寝袋やキャンプグッズ、そして心ばかりの食糧などを彼に渡して、もう一度お礼を言った。

 「必ずまた会いましょう」

 互いが見えなくなるまで何度も手を振り合って、私たちはイズミルで出会った友人の家を後にした。


 イズミルからイスタンブールへバスで移動し、私たちは日本へ帰国した。トルコの首都、イスタンブールでも、少なからず、体より大きなリヤカーを引いてゴミを集めている人を見かけた。彼らに親しみを感じずにはいられなかった。

 帰国して三週間後、動画の収益として得たわずかなお金をユセフに届けることができた。当初はユセフと関わりをもつことに反対していたヤシンが、私たちが作った動画を見て、
 「君たちは素晴らしい仕事をした。お金を渡すのをぜひ僕に手伝わせてくれ」と、仲介人を買って出てくれたのだ。

 友人と一緒にユセフにお金を渡しに行ってくれたヤシンから、ユセフの喜ぶ様子が収められた動画が送られてきた。再び彼の笑顔に出会えたことに、胸が熱くなった。

 今回ユセフに渡せたお金は微々たるものだ。しかし、これから先、どんな奇跡が起きるかは、まだ誰にも分からない。私は、その可能性が0%ではないと、信じたい。

 そして、奇跡が起きようと起きまいと、彼や私たちが、毎日をひたむきに生きている尊さは、決して揺らぐことはない。 

 私たちは、この世の全ての人々を救うことはできないかもしれない。しかし、目の前の一人を救えない人に、世界を救うことなど、できるはずがないのだ。 

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ヤシンから送ってもらった動画はこちら

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