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中森明菜『令和の時代に復活を熱望される歌姫』(後編)人生を変えるJ-POP[第50回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

今回は、アイドル黄金期と呼ばれた1980年代に松田聖子と双璧を成した中森明菜を扱います。(
彼女は、長く活動を休止していましたが、昨年末には、自身の YouTubeチャンネルを開設し、『北ウイング』のCLASSICバージョンや『TATTOО』のJazzバージョンなど、自身のヒット曲のセルフカバーを歌っている様子を公開し、活動再開の兆しを見せ始めていることで注目を集めています。
活動を休止して10年以上、今なお、活動再開を待ち望む人々が多い彼女の魅力について探っていきたいと思います。

(前編はこちらから)


「スター誕生」は3回目の挑戦での合格だった

中森明菜は、1965年生まれの今年、59歳になります。1981年に新人発掘オーディション番組「スター誕生」で3度目の挑戦で見事合格し、デビューを果たしました。

過去2回の挑戦の不合格については、逸話が残っていて、必ずしも彼女の実力が伴わなかったから、というより、1人の女性審査員が彼女を嫌ったという理不尽とも言える理由だったことが伝えられています。(

2度の落選にもかかわらず、彼女は果敢に3度目の挑戦をし、99点以上表示できない仕組みの電光掲示板で作曲家の中村泰士氏に「本当は100点を入れたんです」と言わしめるほどの実力を発揮して見事に合格しました。

その後、1982年5月1日に、『スローモーション』にてデビュー。1985年には『ミ・アモーレ』 、1986年には『DESIRE‐情熱‐』 で2年連続日本レコード大賞を受賞するなど、80年代のトップアイドルとして活躍しました。

また、女優としての活動なども行っていましたが、2010年、体調不良を理由に無期限の活動休止状態になっています。

デビュー40周年を迎えて

そんな彼女が、デビュー40周年を迎え、2022年には、Twitter(現X)とオフィシャルサイトのリニューアル。また、2023年暮れには公式の YouTubeチャンネルを開設し、自身の曲のセルフカバー曲を歌う動画を配信し始めました。

YouTubeチャンネルに公開された『北ウイング-CLASSIC-』は、作曲者の林哲司氏のデビュー50周年記念アルバムに提供した楽曲で、現在の彼女の歌声で歌われているものです。

さらにその楽曲提供に合わせて、BS TBSで放送された番組「中森明菜 女神の熱唱」の中で、この楽曲をクラシックバージョンでセルフカバーしたことについての心境が彼女の口から語られている音声が公開され、現在の彼女の状態を窺い知ることのできるものとして、ずいぶん、話題になりました。

また、今年の4月には、セルフカバー『TATTOO-JAZZ‐』『BLONZE-JAZZ‐』『ジプシー・クイーン-JAZZ‐』『スローモーション-JAZZ-』などを次々に公開しています。

今回は、それらの曲の歌声から、彼女の魅力について書いてみたいと思います。

彼女の最近公開された歌声を音質鑑定してみると以下のような特徴が見られます。

中森明菜の歌声を音質鑑定

  1.  ややハスキーボイス

  2.  全体的には透明感のある響き

  3.  中音部から低音部になると透明感が消えて艶のある響きになる

  4.  少し鼻にかかった甘い響き

  5.  声の幅は細め

  6.  ストレートボイスではなく声全体に細かな響きを持っている

  7.  響きが多彩な色を持つため、音程や音域によって、さまざまな色合いの響きが顔を出す

  8.  伸びやか

以上のように、非常に複雑で多種多様な響きを持つ魅力的な歌声であることがわかります。

特に、59歳(今年)とは思えない繊細で透明的、伸びやかさのある細い歌声であるのは、彼女がこの13年ほど、あまり歌っていなかったことで、声の酷使による声帯や筋肉の劣化が起きていなかったことを感じさせます。

歌手は声が出れば歌えるわけじゃない

彼女は、2024年初頭のBS TBSの音声の中で、「声が全然出なくて情けなくてボイストレーニングに通っていた」と話しています。

それは、おそらく、歌う身体を作るところから始まり、単に声が出るだけでは、歌うのは無理だったのではないだろうか、と思うのです。声帯という器官は、筋肉の一種ですから、動かさなければ、どんどん動きが鈍くなっていきますし、声が出なくなります。

それは、話すことで鍛えられるものではなく、以前、三浦大知も話していたように、「歌を歌うことでしか、歌の筋トレは出来ない」ということなのです。

ですから、「歌えるようにする」というのは、「歌える身体を作る」ことと、「歌える声を取り戻す」をセットで行わなければならないのです。

今回、彼女がセルフカバーの新しい音源を次々公開してくる背景には、やっと、中森明菜という歌手が歌える状態になってきたということがあるのかもしれません。

CLASSICバージョンやJAZZ バージョンの魅力

これらの曲に共通するのは、どの曲の歌声も伸びやかで繊細で、透明性の高い響きをしている、ということです。

CLASSICバージョンやJAZZ バージョンということで、どれもゆったりとしたテンポで、一言ひと言の歌詞や、歌声の動きがよくわかる作りになっています。

即ち、聴き手側からすると、彼女の歌声の透明性や細かな響き、ことばや音域によって変化する音色など、彼女の感性が反映された楽曲になっているのです。

一言ひと言を丁寧に丁寧に歌い紡ぐ姿は、彼女の歌に対する愛情、愛着、また自分の歌声に対する優しい眼差しすら感じさせるものです。

その歌は、彼女自身だけでなく、それを聴いてくれる人たちへ向けた優しいメッセージになっていると言えるでしょう。

今回、CLASSICバージョンやJAZZ バージョンにしたことについて、彼女は、「CDなどの音源を皆さんは持っているから、それと同じように歌ってもつまらないと思った」という主旨の発言をしています。

そこには、若い頃のエネルギッシュさや、バイタリティーというものは感じられません。

あるのは、ガラスのような透明性と繊細さ。しかし、非常に魅力的で、溢れるような歌や音楽、そしてファンに向けた優しい愛情を感じさせるものでした。

ステージにある、エネルギーの交歓という魔力

彼女の復帰を求める声は非常に多く、今回、発表されているファンイベントがその第一歩であることを願う人は多いでしょう。また、ファンだけでなく、彼女の復活は多くの音楽関係者が注目するところでもあるでしょう。

しかし、今回、次々と公開される楽曲の歌声を注意深く聞いてみれば、まだまだ彼女が歌の世界(たとえばコンサートなどという場所)に本格的に戻るには、時間がかかりそうな気もするのが正直なところです。

自分に好意的なファンの前とは言え、1人でステージに立ち、何時間も歌う、という行為は、精神的にも肉体的にも非常に負荷の大きいものでもあります。

かつて、その場所に立っていたからこそ、そこに戻るには、恐怖のようなものがあるかもしれません。

しかし、多くのアーティストがなぜ、その恐怖を乗り越えてでもステージに立ち続けるかと言えば、それは、ファンからもらうエネルギーが自分を元気にすることを知っているから。

普段、ファンと交流する機会の少ない歌手は、ライブを通して、ファンの気持ちに触れ、エネルギーを受け取るのです。

ライブという場所は、ファンにとって、歌手の気持ちを知り、交流できる唯一の場所ですが、歌手にとっても同じです。即ち、お互いの気持ちを交流させることで、お互いが元気になり、また一歩、前に進んでいく活力をもらう場所。

それがライブという場所である、ということだと私は思うのです。

彼女の復活を願って、多くのファンが待ち続ける場所へ、彼女が少しずつでも復帰できることを、私も願っています。


久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞