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THE LAST ROCKSTARS『破格のスタイルでロック界をリードするレジェンドたち』(後編)人生を変えるJ-POP[第40回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

前編はこちらから)

第40回掲載は、日本のROCK界が世界に誇るレジェンド達が結成した「THE LAST ROCKSTARS」を取り上げます。私は今回、このバンドが11月に東京有明アリーナでおこなった『THE LAST ROCKSTARS The 2nd Tour 2023“PSYCHO LOVE”』を拝見してきました。その時に感じたことなども加えて、このバンドのメンバーがなぜ、レジェンドと言われるのか、彼らの経歴や魅力について書いてみたいと思います。


HYDE

1969年生まれ。和歌山県出身。(長く生年月日や本名を公開していませんでした)小、中学生の頃は、宮﨑駿監督のアニメなどに影響を受け、将来は漫画家やアニメーターになりたいと考えていたと言います。

中学を卒業後、大阪のデザイン専門学校のグラフィックデザイン科に進学しますが、自身が色弱であり、微妙な色調などの判別が難しいことから、デザイン系の将来を断念。当時、周囲の影響から始めていたギターに興味の対象が移り、本格的に音楽の道へ進む決意をします。

バンドセッションや自身でボーカルをやるような時期を経て、1990年にperoらを誘いJelsarem's Rodというバンドを結成。その後、セッション大会で出会ったtetsuyaから誘われ、peroと共にL'Arc〜en〜Cielの結成に参加します。

1994年7月、ビデオシングルの『眠りによせて』でメジャーデビュー。メジャーデビュー後も大手プロダクションのやり方などに迎合することなく、自身の活動スタイルを貫いていきますが、「いざこの世界に入ってきて自分の芸術を表現したいときって、売れてないとできないことが多い」ということを感じ、テレビの音楽番組にも積極的に出演するようになっていきます。

その後、バンド活動としては、活動休止や復活を繰り返しながらも、二度の世界ツアーを成功させ、2022年には、結成30周年を記念したライブ『30th L'Anniversary LIVE』を東京ドームで開催しています。

自身のソロ活動としては、2001年の「ROENTGEN」の結成活動を皮切りに2008年からは、K.A.Z(Oblivion Dust)と共にロックユニット「VAMPS」を結成。2017年までの10年間に300以上のライブなど精力的に活動を行いました。

また、2021年6月25日からは10年ぶりにアルバム『ROENTGEN』のタイトルを冠したオーケストラツアー『20th Orchestra Tour HYDE ROENTGEN 2021』を開催し、京都・平安神宮にて、オーケストラライブを開催しています。

SUGIZO

1969年生まれ。神奈川県出身。両親が東京都交響楽団の団員という家庭環境の中で生まれ育ちます。父はトランペット奏者で、母はチェロ奏者という中、3歳の頃よりバイオリンを習いました。

中学生の頃にYMOとイギリスのバンドであるジャパンとRCサクセションなどを聞いたことから、音楽でやっていきたいという思いになり、その後、ギターにのめり込み、自分でバンド活動をするようになります。

1992年 に LUNA SEAのギタリストとして、2ndアルバム『IMAGE』でメジャーデビューしました。

1997年には渡英し、ソロ活動の準備を始め、自身のレーベル「CROSS」を立ち上げ、7月にシングル「LUCIFER」でソロデビューをしました。

1998年にLUNA SEAでの活動を再開。ソロ活動とバンド活動を並行しながら、LUNA SEAの活動が2000年に終幕。その後はさまざまなアーティストと活動をする時期を経て、2007年には、YOSHIKIとGACKTによる新バンドS.K.I.N.に、MIYAVIと共にギタリストとして参加しました。

また、2008年3月の東京ドームでのX JAPAN復活ライブに、亡くなったギタリストhideのパートを担当してサポート・ギタリストとして参加し、2009年に香港で行われた初のX JAPAN公演にも参加し、その後、X JAPANに正式に加入、ソロ活動も精力的に行っています。

また、娘が生まれてからは、環境問題に取り組むようになり、脱原子力などの政治的発言も度々行うようになりました。

2016年3月には、シリア難民が暮らすヨルダンの「ザータリ難民キャンプ」「アズラク難民キャンプ」を訪問し、帰国後の6月、「世界難民の日」に合わせ、トーク・イベントやラジオ番組に出演したりしています。

MIYAVI

1981年生まれ。大阪府出身。韓国籍から帰化した父と日本人の母の両親との間に生まれました。

幼少期は兵庫県で育ち、サッカーに没頭する毎日を送り、音楽とは全く無縁の生活を送っていました。中学生になるとJリーグ・セレッソ大阪のユースチームに所属し、大阪府の選抜選手に選ばれるなど、プロのサッカー選手になるべく毎日を過ごしますが、足の負傷が元でサッカー選手になる夢を断念します。

その後、一時期、自暴自棄になった生活を送りますが、軽い気持ちでギターを始め、作曲にのめり込み、高校を中途退学。ビジュアル系ロックバンドに加入し、ライブハウスなどで活動などをしました。

その後、2002年にファーストアルバム『雅楽-gagaku』を発売して、ソロ活動を開始。その後は、何枚かのアルバムとシングルを発売した後、2006年に単身ロサンゼルスに留学。

帰国後は、セッションバンドを結成して、ラップや和太鼓、ボディペイントなど様々なパフォーマーとコラボしました。

2007年には、XJAPANのYOSHIKIから誘われ、SUGIZOも参加していた新ユニット・S.K.I.N.にもギタリストとして加入、活動を行いました。

また、アーティスト活動だけでなく、GUCCIのモデルを務めるなど、ファッションリーダーとしての顔も持ち、アンジェリーナ・ジョリーがYouTubeでのMIYAVIのギタープレイの大ファンだったことをきっかけとして親交を深め、彼女が監督を務めた映画『不屈の男アンブロークン』にも出演するなど、幅広い活動を行っています。

また、彼女が特別大使を務めているUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の活動にも参加、世界中の難民の支援活動なども行っています。

真面目に、ストイックに音楽に向き合うということ

このようなメンバー4人によって構成されているのが、「THE LAST ROCKSTARS」です。

音楽的には、YOSHIKIとSUGIZOには、クラシック音楽というベースがあり、このモチーフとロックとの融合が、1つの大きな特徴になっているように感じられます。

また、非常にメンバー全員が音楽に対してストイックで真摯な向き合い方を一貫して行ってきたことがわかります。

先日のライブのMCの中で、MIYAVIが話した「僕たち、こんなふうなビジュアル(タトゥーを指差しながら)をしていますけど、本当に真面目にストイックに音楽に向き合ってきたんで、今後も音楽に精一杯向き合いながら、メッセージを伝えていきたい」という趣旨の発言をしていたのが、非常に印象的でした。

確かにビジュアル系ロックをやる人達は、その外見だけで誤解されがちだった時代があったと思います。

しかし、何十年という長い年月、ブレることなく、ロック音楽を追求してきた彼らは、その根底に真面目さや誠実さというものがなければ、長くポジションを保っていくことは到底出来なかったでしょう。

そこには、数多くの理不尽な経験や悔しい体験などを乗り越えてきて、なお、今、ロックを続けているという歴史を感じさせるものでもあります。
ロック音楽という一種、社会に挑戦的とも破壊的とも言われた時代から、1つの文化を築き上げていくには、数多くのロッカー達の活動があったはずなのです。

有明のステージを見て感じた風格とメッセージ性

日本でトップのロッカーに上り詰めた彼らのステージは、YOSHIKIにはYOSHIKIの音楽があり、HYDEの歌には、HYDEが宿り、SUGIZOは、SUGIZO以外の何者でもなく、MIYAVIには、MIYAVIの世界があることを感じさせるものでした。

彼らのステージを拝見していると、多くのアーティスト達との間に歴然とした差を感じずにはおられません。まさに“別格”という言葉に相応しい余裕さえ感じさせるステージ運びだったのです。

それは、玉置浩二に「歌神」という圧倒的な存在感を感じたのと同様に、風格が備わった姿であり、破壊的、爆発的なのに、バランスの取れた美の調和のとれたステージは、やはり彼らの語る言語の美しさ、発言内容のレベルの高さ、そして一旦音楽を離れると、ステージでは感じられない穏やかなMCに端を発しているように感じました。

HYDEがYOSHIKIに呼びかけた「ロックは今しか出来ない。だから僕に時間を下さい」という言葉は、非常に今の彼らの状況と日本の音楽界の状況を端的に表しているように感じます。

会見動画の中でYOSHIKIなども話していますが、90年代は、日本のロック界はもっとヒリヒリした情熱に溢れ、多くのバンドの登場と共に盛んに活動していた時期と言えるでしょう。

そういう渇望感に比べると、今の音楽はもっと静かで一見穏やかなように感じるものが多いと言えます。豊かな生活に満たされ、腹の底から湧き上がるような渇望感というものは、今のZ世代と呼ばれる人達には経験のないものかもしれません。

そういう世代に向けて、自分達がもう一度、世界に挑戦して行く姿を見せることで、刺激になれば、というメッセージは、内向的と言われる今の若い世代に少なくとも1つのきっかけを与えるかもしれないと感じます。

MIYAVIを除き、全員が50代という年齢は、SUGIZOの言う「きっとこれが最後になると思うから」の言葉を端的に表しています。

ライブ会場には、70代後半であろうファンの姿から、10代までさまざまなファンの姿が見えました。

そこには、若い頃から彼らを応援するファンはもちろんのこと、ビジュアルロック一筋に駆け抜けてきた長い活動の末に、それらを目指す若い世代の憧れの存在として、彼らの背中を追いかけていきたいと思う人達がいます。

私の座席の横にいた10代の女の子は、HYDEやYOSHIKIの一挙手一投足に歓喜の声を上げ、倒れんばかりの感激を体全体で現していました。

そんな若者たちを魅了する存在。それが彼らだということです。彼らが世界に挑戦する姿は、必ず、若者たちの背中を押し、その後を継ぐものが現れてくるはずです。

彼らが挑戦し続けること、そのこと自体が、強烈なロックなメッセージそのものだと私は思うのです。

YOSHIKI、HYDE、SUGIZO、MIYAVIという稀代のアーティスト達と同時代に生まれた幸運を感じながら、彼らの活躍が日本の音楽を牽引していくことを望むものです。


久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞