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ゆず『原点回帰の音楽で人に寄り添うフォークデュオ』(前編)人生を変えるJ-POP[第28回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

第28回目はストリートミュージシャンの先駆け的存在であるゆずを扱います。昨年結成25周年を迎え、その前には新しいライブの形も提案し、活躍を続ける彼らの音楽の魅力とデュオによるハーモニーの魅力について分析したいと思います。

伊勢崎町から始まった、「ゆず」のストーリー

ゆずは神奈川県出身の北川悠仁、岩沢厚治の2人によって1996年3月に結成されました。

今では当たり前の風景となった路上ライブですが、彼らが活動を始めた頃はダンスミュージック全盛期。彼らのようなフォークデュオは珍しく、また路上でライブをするということもポピュラーではなかった時代に、彼らのライブには多い時には何千人という規模のファンが集まったことでも有名です。

2人は中学校の同級生。最初は中学時代に4人で作ったバンドで、それぞれ高校に進学後、他のメンバーとは別れ、2人でデュオを組んだのが始まりです。

バンド名は最初はタバコの銘柄から「Light’s」という名前だったとか。しかし、2人がバイトしていた店で出されたデザートの柚子シャーベットが美味しかったことからデュオ名を変更。

ひらがなのグループ名が少なく、ひらがな表記の方がカッコいいという理由でひらがなの「ゆず」としたそうです。彼らのライブ場所は横浜・伊勢佐木町でした。

それは、1本のデモテープから始まった

デビューのきっかけは1本のデモテープ。このテープは、その頃、彼らの最初のファンで熱心に路上ライブに足を運んでくれていた「ももよ」さんと「はなよ」さんという2人のファンが、あるとき、彼らに「デモテープをちょうだい」と言ったことから、1週間後、彼女たちのために作って持って行ったものでした。

ところがいつもの場所に行くと、「今日は仕事で来られなくなった」と張り紙が。それでいつものように路上ライブを行なっていると、そこに現事務所の社長が通りがかり、ライブ終了後、「デモテープある?」と声をかけられたのです。

このとき、持っていたデモテープを渡したことがメジャーデビューにつながったという、まるで夢のような話なのです。

後にテレビ番組でこの2人のファンに「名乗り出てほしい」と呼びかけるほど、彼らにとっては運命のエピソードと言えるものでした。(スポニチAnnex/2022.4.20

その後も彼らは路上ライブを続けていましたが、1997年に1stミニアルバム『ゆずの素』でインディーズデビュー。さらに1998年にミニアルバム『ゆずマン』でメジャーデビューしました。

また、同年8月30日の最後に行った路上ライブは、台風が接近する中、7000人が集った「伝説の路上ライブ」として有名です。

二人のデュオの最大の魅力が、弾き語り

北川は元々はドラムを叩いていました。中学校の時に兄のドラムを叩いたのが始まりとか。お兄さんもドラムを叩いていたのでしょうね。

XJAPANのYOSHIKIのファンでビートルズやローリング・ストーンズに影響を受けたという彼は、岩沢とデュオを組むようになってから歌い出しました。
また俳優としてもいくつかのドラマに出演しており、多彩な面を披露しています。

岩沢は、中学生の時に父親からギターを贈られたことが音楽を始めるきっかけだったようです。

長渕剛の大ファンという彼は、やはりギターでの弾き語りというものに憧れがあったのでしょう。中学生の時に北川らと組んだバンドとは別に1人で弾き語りをして路上で歌っていたのが、北川がデュオを組むきっかけになったそうですから、元来、ギターによる弾き語りのスタイルが好きということなのでしょう。

このようにして始まった2人のデュオはその頃のダンスミュージック一辺倒のJ-POP音楽に物足りなさを感じていたリスナーの心を着実に掴みました。

音楽の原点である「弾き語り」のスタイルとフォークデュオというスタイルがフォーク世代の人々に懐かしさを覚えさせ、多くの人々の共感を呼んだのです。

1stシングル『夏色』で脚光を浴び、1stアルバム『ゆず一家』で一躍全国に名前が知られるようになり、このアルバムは最終的に100万枚近くを売り上げるビッグヒットになりました。

音楽の原点回帰とも言える「弾き語り」のスタイルによってブレイクしたゆずは、フォーク音楽復興の立役者として日本における「ネオ・フォーク」の代表格となっていきます。さらに2004年にはアテネオリンピックのNHKテーマソング『栄光の架橋』のヒットによって全世代に支持される国民的フォークデュオになったのでした。

その後、彼らは精力的に活動を続け、ホールツアー、アリーナツアーを順調に成功させて行きました。

2005年には日産スタジアム、また、CDデビュー15周年の2012年には初のドーム公演を東京ドームと京セラドームにて開催し、18万人を動員しました。
また、日本のみならず、2016年には初のアジアツアーをするなど、日本のフォーク音楽の旗頭としての存在感を放っていきます。

紅白歌合戦には2003年に初出場し、その後も出場回数を重ね、2015年からは現在まで連続出場を果たしています。

日本音楽史上初のツアー

「ギター弾き語り」という音楽の原点とも言うべきスタイルでデビューした彼らは、アコースティックギターに拘ることなく、エレキギターを使ったり、自分たちで行なっていた楽曲のアレンジを音楽プロデューサーの蔦谷好位置氏やユーミンに依頼するなど、一般的なフォークデュオのスタイルだけでなくさまざまなチャレンジを試みています。

コロナ前の2019年には日本音楽史上初となる弾き語りドームツアー「ゆず 弾き語りドームツアー2019 ゆずのみ〜拍手喝祭〜」を開催し、大成功を収めました。

またコロナ禍、多くのアーティストがライブツアー断念を余儀される中、彼らも当然そのような渦に巻き込まれますが、自身初のオンライン・ツアー「YUZU ONLINE TOUR 2020 AGAIN」を開催。

この公演では、9月27日のDAY1「出発点」から最終日の10月25日まで、毎週日曜日の21時に配信を実施。会場とライブ・テーマ、セットリストを変えて5公演を開催しました。

ライブ配信場所は、ゆずにゆかりのある「横浜エリア」から選択し、特筆すべきは、彼らの母校である岡村中学校の教室から配信されたライブです。

DAY2のライブ・テーマである「思春期」のタイトルに相応しい場所として、2人が思春期を過ごした母校、岡村中学校で実施することが出来たのは、たまたま彼らの中学時代の担任が校長に着任していたという巡り合わせから実現したものでした。

2人はデビュー当時、着用していた岡村中学校のジャージ(通称岡ジャー)をアレンジした衣装で演奏し、まさに「ゆず」としての原点回帰をしたのでした。

後編では、国民的フォークデュオとなった彼らの音楽の魅力や、北川の歌声の変化、岩沢との絶品のハーモニー世界の魅力などを音楽的観点から分析したいと思います。


久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞