高円寺酔生夢死 第十一回

酒を飲み出して四半世紀——多少誤差はあるが、文字通り一世紀の四分の一も酒を飲んでいる。学生の頃はとにかく飲むために連む、つるむために飲む、という感じだったので行くのは大抵居酒屋が多かった。以前にも書いたが一人飲みをするようになったのは『劇場版機動戦艦ナデシコ』が終わった辺りである。馴染みの店が出来て飲み友達も増えると仕事や普段の付き合いとはまた違う付き合いも始まる。一見、いいことずくめのようだが落とし穴もある。飲みが縁で友人関係になる場合はいい。いつの間にか交友関係が広がり仕事にも生活にもプラスに働く、これもいい。しかしそのうちその店での人間関係に疲れてくるというか、マンネリに苛まれることになる。そんなに大げさではなくとも「何かワンパターン」な気分…おまけに最近やけに常連の○○さんが馴れ馴れしいしちょっと飲み辛いなぁ、なんて気苦労を背負い込むこともままあるだろう。日々の人間関係同様に「飲み」の人間関係も実はあまり変わらない。リラックスするための仮初めの場であった筈の飲み屋が憂うつの場に変わることだってある。そんな時はどうするか?簡単なこと。違う店に行けばいいのだ。かくして何軒か行く店を覚えると、自然どういう時に利用するのかだんだんと決まってくる。仕事仲間や友人たちを連れて行く店、常連たちとにぎやかに飲む店、そしてじっくり独りで飲む店、という感じであろうか。

独りで飲む店というのは文字通り一人だけで飲むための店だ。当初の一人飲みとどう違うかというと、独りでいるための飲みだという点であろうか。人との会話も無しにじっくりと酒を飲む…大勢で騒いだり、人と知りあって絡んで楽しんだりすることを経て、逃げ場である筈の酒の場の、更に逃げ場を求めていくと結局最初のように一人で飲むことになる。飲みに限らずカフェでもそうだろう。仲間とおしゃべりするカフェと一人で本を読んだりボーッとしたりするカフェを使い分けている人も多いのではないだろうか。そういう場にいる時、人は自然と無防備になる。いつもと違うノリで飲んでいることに自分でも気づくだろう。人は本来の性格はあっても時と場合によって態度を変える。それは決して後ろめたいことでもズルイことでもない。人のソトヅラは他者との関係で変わるのだ。

さて、こうして出来た「独りだけの」店、人にはあまり知られたくないのが人情であろう。静かに飲みたいのにわざわざ他人を連れて行くなんてことは普通はありえない。それでもたまに、ごくたまに教えたくなることもある。それはごく親しい友人であり、なおかつ自分と同じ何かを感じた人間に対してだけ。例えて言うならば、ゲド戦記の『影との戦い』でハイタカが親友カラスノエンドウに真の名前を教える心境と言おうか。真の名前を知られることは己の本質を知られることであり、存在の有無を知られた人に委ねることになる…まぁ、そこまでシビアなわけではないが、この人ならば自分の「楽園」を教えても荒らしはしないだろうという、これは一つの信頼であり、賭けでもある。

しかし、この賭けは往々にして裏切られる。その人に、自分にとっての「楽園」を教えたのだ、ということが全然通じていない場合。単に別の店を教えてもらったとしか思っていないのならば、まだいい。最悪なのは、その人がいつでもどこでも悪い意味でマイペースな人…場の空気を読めない人だった時に「楽園」は「地獄」に変わる。例えば「飲んで絡むの楽しいよね」という人。これは一見すると良い常連さんと違いが分からないから始末に負えない。良い常連さんはさりげなく初めてのお客に声を掛けたり、静かに飲みたい人には他の常連に絡むなと釘を刺したりと、なかなかありがたい。マイペースな人は声を掛けたり絡んだりは同じでも、それはあくまで自分の気の向くままで、そこにはどういう人が集っていて場が保たれているかなんてことは気にしちゃあいない。かくしていつもと同じように飲んで騒いで(一方的に)絡んで去って行く。あげくに「いい店を教えてくれてありがとう。ヒイキにするよ」と言って翌日から通われてしまい、独り飲みをしようにもいつもその人が居座っているので足も遠のく。こうして人は新たな楽園を求めて飲み歩き、人にも色々なタイプがいるのだと学習する。そして絶対に次の楽園は秘密にしよう、ああいう人には絶対に教えないと誓うのである。しかし、失われた楽園への未練も残る。あの店のあの味、あの雰囲気をもう一度味わいたい…とはいえその人が居ない時を見計らってコソコソ行くってのも癪に障る。そんな時はどうするか?果報は寝て待て。大抵マイペースさんは別のカモを見つけて「いい店知らない?」と付いて回って別の店に縄張りを変えるか、或いはそのマイペースが過ぎて出禁になるか。かくして海底に没した楽園が再浮上するやもしれない。もちろんそんなに上手くいかない事の方が多いし、もっといい展開が待っているかもしれない。そんな展開ってどんな展開だといえば——

この話はまだまだ続きます。

(2008年3月5日公開分)

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)