高円寺酔生夢死 第十二回

失われた楽園への未練いまだ断ち切れないときにはどうするか——前回は「果報は寝て待て」と書いた。そんなに悠長に待てない、マイペースさんの自滅や気まぐれを待つなんて負けたような感じでイヤだ、そう考える人もいるだろう。しかし、外で飲むという行為自体に勝ち負けはない。気分よく飲めるか飲めないかのどちらかだ。ふらっと河岸を変えてみるというのは今までの自分の酒飲みの日々を振り返る良いきっかけになるだろう。ひょっとしたら外から見た、かの楽園の評判を聞くことが出来るかもしれない。店自体の評判もそうだが、かつての自分も含めた常連の雰囲気というものも端から見たらどういう感じなのかがわかるだろう。酒を飲む行為は別に人に見せるものではないけれど、見られているのだ、ということをあらためてここで自覚するのもいいかもしれない。

さて、こうして更に色々と店を開拓していくと、マイペースさんどころではない、とんでもない人たちの存在に気がつく。「○○常連」と呼ばれるグループである。○○には地名が入る。高円寺常連、阿佐ヶ谷常連…まぁ、とくにどの場所の誰、という問題ではないのでここでは「○○常連」と呼ぶことにしよう。マイペースさんは単に場の空気が読めない一本調子な人なだけで、根はいい人が多い。寂しがり屋だったり、他人と騒いで悩みを払拭しようとする余り過剰な飲みになって迷惑をかける…この辺りは店的には迷惑ではあるが、人となりが見えている分「まぁ、しょうがねえな」で済まされる。○○常連な人たちは新しい店が出来ると、まずはフラッと気のよさそうな感じで入ってくる。ここで店主を見定め、与しやすしと見ると店のアレコレにいちいち文句をつけてくる。その文句もいちいち大仰なものではなく微妙にチクッとくるものだ。

「なんだ、煮込みは塩味じゃないの?」
「熱燗の温度ちょっと高いね。機械任せにしちゃダメだよ」

端で聞いていると大したことは言っていないし、経験の浅い店主に熟練の飲み人が親切にアドバイスをしているようにも聞こえる。人の良い店主ならば「ありがとうございます」とばかりに殊勝に耳を傾ける。しかしよくよく聞いていると、明らかに店のコンセプトと違うことを引き合いに出したり、見当外れのことを言ってみたり…要するに単に絡んでいるだけで、そうやって少々の酒で長時間居座ろうというのが見え見えなのだ。最初は隣の客の話を大人しく聞いているが、何か突っ込みやすいネタが来ると俄然絡んでくる。別の店の話やサッカーや野球などのスポーツ芸能、時には政治の話など。隣の客と話をするというのはカウンター席ではままあることなので、たいていの場合、普通に絡み始める。そこが○○常連の付け入るところで、次第に彼らは「そうじゃない」「それは違うな」と正反対のことを言って挑発を始める。ここで食ってかかっても理路整然と反撃をしても大概は無駄である。第三者が場を収めようと親切に仲裁に入っても無駄。とにかく話をかき回したいだけで議論をしたいわけではない。○○常連の中にはそうやって若い客を怒らせてへこませるのを無上の喜びにしているタイプも多い(そういう人に限って妙に上品な紳士然としているので騙されやすい)。賢明な店主ならばこの辺りで防衛策をとる。「他の客に迷惑だから」と出禁にするも良し、「予約が入っている」と断るのもいい。そうしないとイヤな目に遭わされた客は店に来なくなってしまうからだ。そして更には入れ替わりのように常連ネットワークによって他の○○常連が嬉々としてやってくる。二人三人とつるんでやって来ることもあるが、大体は別々だ。この辺り、映画『ボディスナッチャー』ばりのさりげなさである。普通の客と○○常連の割合が半々辺りになってくると、彼らは連合して他の客を追い出しに掛かる。頭越しで会話する、絡んで怒らせる、挙げ句にこんなことをよく言う。

「これが○○の飲み方なんだよ」

この辺りでようやく店主は客層が変わってしまったことに気がつく。それこそ酒一杯で何時間も粘るしゃべる騒ぐ…そんな客ばかりで店主自慢の料理などほとんど食べない。挙げ句に乾き物を増やせとか、もっと安い酒を置けとどんどん理不尽な要求をしてくる。ここで勇気をふるって○○常連を叩き出すことが出来ればよいのだが、大概は訳が分からないまま売り上げも上がらないままジ・エンドである。そして常連達は別の店のカウンターで笑い合う。

「やっぱり二ヶ月でダメだったな」
「○○で飲食やるってのは難しいんだよなあ」
「そうそう、若造には無理だね」

いやいや、明らかにあんたらのせいだって。

しかし、そういう○○常連たちをいなしながら、自分のやりたいことが出来る人しか店を何年も続けられないのも事実なわけで、確かに高円寺で店をやるのは難しい。それだけにあえて店を開きたいというチャレンジャーが多いのもまた事実。出禁の店を増やしながらも○○常連がいまだに暗躍出来るのもそうした挑戦が数多く繰り返されているからだ。それも一つの活気の表れとも言えるかもしれないがあまり良いものではない。

(2008年4月2日公開分)

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)