高円寺酔生夢死 第六回

以前、足繁く行っていたタイ料理屋が近所にあった。

歩いて一分ほとんど掛からず。路地の一本道を抜けて商店街に出たところに、その店の入り口はあった。階段を上って二階部分の引き戸を開けると、トゥクトゥクがまずはお出迎え。そして店内に広がるタイの音楽とにぎやかな装飾が屋台な感じで「さぁ食うぞ」という気分にさせてくれた。トゥクトゥクというのは三輪のタイの乗り合いタクシー。元々大型バイクを改造したのが始まりだったそうだが、日本のミゼットなどの中古車をODAでタイに輸出して以来、現在のような形になったとか。車両には派手派手な装飾が施され、店の看板にはもってこいだった。

その店はイサーン地方(タイ東北部)の料理を出すところで、当然ながら辛い。コックのインソンさんはかなりの実力者(業界では有名らしい)で、彼の作った料理は辛いながらもキチンと味があって旨かった。他の店で食べるとその違いがよりわかる。特にガイヤーン。鶏をまるまる炭火で焼いたタイ風の焼き鳥なのだが、その焼き加減とタレのつけ込み具合が絶妙で、とりわけタレが違った。あのガイヤーンを食べてしまったら、なかなか余所のものは食べられない。他の店員さん達も明るくて愉快な連中ばかりで、通ううちに顔見知りになり仲良くなった。話をしているとわかるのは皆一様にタイが好きなんだなあということ。なかでもH君は何度もタイへ行っていて、ゆくゆくはタイ料理屋かタイに関わる仕事をしたい、と言っていた。フロアのチーフ格のTさんは飲食これ天職という感じで大勢の客でにぎわう店内をテキパキと仕切っていた。時にはメニューにないインソンさん特製メニューを作ってもらったこともある。「コレ、辛イヨ」ニヤリと笑いながらインソンさん直々に持ってくる。サトウは辛い物好きだが、汗っかきなのでこめかみから上が洪水状態になる。汗にまみれつつもガツガツ食べるサトウを見て、インソンさんを初めとしたタイの厨房陣はニコニコ笑って見ていた。店の営業時間は深夜5時までだったので、本当に良く通った。家に帰るのが2時3時になったらまずはそこへ行った。食欲が無くてもトムカーガイやヤムヌアは胃を通った。深夜に食事はよくないんじゃというご指摘もあったが、香辛料と野菜のせいか体重はセーブできていたと思う。

そのうちTさんが辞め、H君たち店員陣も辞めていった。それでも高円寺で飲んでいると同窓会飲みをしている一同と出くわすこともあり、近況なども聞くことが出来た。H君がタイ料理の屋台を海の家で出店すると聞き、感心したものだ。彼はタイが大好きで、そんな彼を中心に人が集まり、うねりが出来ていく‥‥そんな印象を持った。成功して欲しいなあと思った。

しかし、翌年彼は急死した。

それをきっかけにして皆がバラバラになった(ような気がする)。インソンさんも他の店にスカウトされ、店の味が変わった。店は名前ではなくて人で行くもの——そんな信条を持つせいか足は遠のき、そうこうしているうちに店は余所へ移転してしまった。ちょうどその頃、進めていた企画が頓挫したりもしたせいか、その年は実に忘れられない年になった。

そして数年後——純情商店街を歩いていたら、見たことのある顔が自転車に乗っていた。
「インソンさん!」
「カントク、ヒサシブリー」
聞けばまたこの辺りで店をやるという。そして先日、場所は阿佐ヶ谷ではあったがその店がオープンした。名前こそ変わっていたが、店内ではインソンさんを初め、馴染みの顔が笑っていた。ガイヤーンは相変わらず旨かった。数十秒とはいかないが、ガード下を歩いていけば高円寺から阿佐ヶ谷は一直線だ。こいつは嬉しい。阿佐ヶ谷は大地丙太郎さんのホームタウンなので、どうしてもアウェイ感が強かったが、これで胸を張って飲みに行けそうである。

インソンさん、おかえりなさい。

(2007年10月3日公開分)

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)