高円寺酔生夢死 第十四回

アニメの仕事をしていると当然始まりがあって終わりがあるわけで、そうなると「打ち入り」「中入り」「打ち上げ」と呼ばれる会が行われることになる。実はこうした会というものは、本来音響関係の収録が終了したときに行う飲み会から始まったものである。だから昔の打ち上げなるものは規模もささやかなもので、お金を出していたのは主に音響制作の所だった。監督以下フィルム関係のセクションの人間は、言わばお情けで呼んでいただく程度だったのだが、そのうちに「人が大勢関わる仕事ですし、折角なんでスタッフの皆さんを呼んだちゃんとした会を致しましょう!」なんて流れになって、お金も製作会社やスポンサーが出すようになり、大がかりなパーティーが行われるようになった。それこそホテルの会場を借りたり、お店を貸し切りにしたり…今でこそ番組が有れば打ち入り打ち上げを行うことは当然のように思われているが、番組全体としての会を意識したイベントとして開催されるようになったのは実はここ20年くらいではないかと思う(映画や大きなタイトルを除く)。昔は音響主催の会だったので、どうしても作画側の人間を呼ぶにも予算的、規模的に限界があったのでこうした流れは非常に嬉しい。時によってはアニメーターと役者が交流を深めたり、なんてことも増えてきたのでなかなか感慨深い。何せ、サトウが業界に入ってきた当時は80年代の制作状況のカオスさの影響もあってか、役者側の作画演出側に対しての不信感というかバリアというものが厳然と存在していた。サトウの演出駆け出しの頃、某友人が担当をしていたアニメの打ち上げにて、彼はさる女性声優に「いやー、大変ご迷惑をおかけしまして…」なんていう、いわば儀礼的な挨拶をしたところ、突然顔色の変わった彼女から「本当ですよ!」と敵意むき出しな返事をもらって愕然とした、なんてことがあったと聞いた。後年よくよく当の女性声優から話を聞くと、どうやら製作側のエライ人から「スケジュールが悪いのは絵描きの連中がなまけているからだ」とよく言われていたからだったそうで、確かにこちらにも理由はあったりするのだが、当時は立ち上げ三ヶ月で新番組!なんて頃だったりしたので、それはお互い様じゃないかと憤りを憶えたりもした。ただしかし、サトウが演出をするようになった頃から「アニメが好きで声の仕事を始めた」とか「絵の側の仕事に興味がある」なんていう若い役者さんも増え、それなりにアニメのスケジュールの成り立ちを理解してもらえるようになってからはずいぶん「バリア」は優しいものになったと思う。それほどに露骨ではなかったにせよ、従来は絵の側の人間はこのように思われていたし、アニメに対しての認識も以下のようなものだった。

「絵の人たちはルーズでスケジュールを遅らせる」
「絵の人たちは映像的な素養もない人が多くて、何を考えているかよくわからない」
「そんな人たちが作るフィルムはつまらないもので、声の芝居や音響で何とかしているに過ぎない」

確かにアフレコやダビング、音響的な知識のない演出がボーッと座っているだけのところを見ていたら「何だこの人?」と思うだろうし、昔のプロデューサーの中には「君たち演出はただ座っていればいいから。何も言うな」なんてことを言う人もいた。音響関係者は実写の方も関わっている人も多くて、そんな人から見れば作画スタジオの演出の言うことなどは「全くわかってない」と思われても仕方がなかったのかもしれない。実際に、担当の演出の方が見当外れのことを言って失笑を買っているのを見たりすると、「確かにわかってないよな、俺たち」と落ち込むこともままあった。しまいには、

「後は私たちがやっておきますから、帰ってもイイですよ」

と言い方は丁寧だが、『ここは大人の現場なんだ。マンガ描いてる坊ちゃん嬢ちゃんが来る処じゃねえよオラア』光線をビシビシ受けながら早々にスタジオに帰ったこともあった。まあ、実際には被害妄想が五割くらいだと思う(笑)し、こちとら早く終わった分楽ちんだったからありがたかった。とはいえ、

「何だか音響の人は大人で、作画の人は子供扱いだよなあ」

そんな思いを抱いていたときが演出をするようになってしばらく続いた。しかしそれは、確かに音を入れる側の人たちに伝わる仕事をしていなかったからで、きちんとフィルムで表現していれば見てくれる人はちゃんと見てくれる。だからとにかくも誠実にやるしかない…そんなことの繰り返しでしばらく悪戦苦闘の日々だったが、ある時アフレコスタジオのロビーで若い役者に声を掛けられた。

「サトウさんの演出はセリフが入れやすくって助かります」
「サトウさんが演出で○○さんが作監の回はアフレコが楽しみなんですよ。面白いですしね」

それが切っ掛けで同世代の役者の人たちと収録のたびに飲むようになった。そして色々な話をするようになって、「作画と音響を結ぶのは演出なんだなあ」ということをあらためて実感した。ともかくも自分と同じ年頃の人間達がかたや声優として一本立ちしようとして悪戦苦闘しているのを見るにつけ、共感を覚えた。何だオレと同じじゃんと。確かに深くて暗い川はあるかもしれないけど、渡す橋は作れるし、それこそがアニメの作品そのものだった。

(2008年6月4日公開分)

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)