余白をつぶすこと

noteを書く日がある。ちょうど今日みたいに。一方で書かない日がある。今日以外みたいに。

この差はなんだろうか。

一日が早く過ぎてしまう日には、何かを書こうとは思えない。
ゆったり過ぎていく日には、頭にあるものを出しておこうかな、という気持ちになる。

つまるところ、その日に余裕があるかないか、という話なのだろう。

どちらがいいというのは人それぞれなのだが、こうして何かを考えたり、だしたりするのは、自分を大事にできている感じがして心地がいい。

そういう意味では、ゆったりした日をもっと多く過ごしたい。

余白はいつ生まれているのか

余裕、余白があるときに、アイデアや考えが出てくるのはなんとなくわかる。それは具体的にどんな時だろうか。

①昼寝をして眠れない夜。
→これを書いている今もそうだけど、夜寝れないときって、すごい頭がさえる。夜に活動した方が生産性500倍なんじゃないかっていうくらいには。

②散歩したり歩くとき
→終電を逃して歩いて帰る夜だったり、散歩しているときは、豊かな感じがするし、日常のあらゆるものに目が留まるし感動する。※わっきゃいさんの感じ、めっちゃわかる。

意外と少ないというのがわかった。この二つの瞬間は大切にしたいし、増やしたい。(夜更かしになるな笑)。どちらも、ある種無目的な状態の時な気がする。散歩も歩いているとはいえ、目的地はあまりない。夜更かしも、いつのまにかできちゃった、みたいな感じ。

でも逆に、なんで他の余白は生まれないんだろう。

余白はなぜ生まれないのか

どうやら、消極的要因と積極的要因があるように思う。

①仕事が大変
仕事や活動をして時間がない、疲れてしまう、ということ。これが一番多いよね。体力的に疲れていると、寝ちゃうし。僕も昼寝しているから余白ができているわけで、昼寝していなかったらない気がする。

②隙間を暇つぶしで埋める
これ結構あるんじゃないかな。暇があるとyoutubeみたり、音楽を聴いたり。なにもしない時間を作らないようにしている説がある。そういう意味では、現代の人は暇になれていなくて、暇の持て余し方を知らないのかもしれない。これは結構ポイントかも。

①②どちらも、仕事の量は自分で選べる人は選べばいいし、隙間時間はあえて埋めないようにすればいい。じゃあ、なんで人はそうできないのか。言い換えれば、なぜ人は余白をつぶしてしまうのだろうか。

なぜ余白をつぶすのか

人が余白を“潰す”と表現したのには、暇つぶしという言葉があるからと、予定表を埋める行為が塗りつぶす感じに似ているから。

予定表とかあっても、空いてる日があると、僕はわりと埋めてしまう。隙間時間も、埋めてしまう人が多い。ここの裏にはなにか心理的な作用がありそうな気がする。

僕の場合、スケジュールに余白があると、何も生み出せていなかったり、自分には価値がないと痛感してしまうことに繋がってしまうのだと感じる。逆に予定を埋めることで、自分が何かをしている(それが生産的かはわからないけど)ことで安心することがある。つまり、自分の価値とスケジュールは直結しないという前提を意識することで余白は作れるのかな。

隙間時間に関しては、何をしていいかわからない、というのが大きいと思う。問いをもって考えることが多ければいいとは思うが、そういった問いが生まれてないと瞬時に考え始められない。

書きながら思い出したが、この機能する余白、というのは、一定の時間以上の長さが必要な気がする。すぐにパット機能するというよりは、なにもしないでクールダウンする時間があるからなにかをゆったり考え始めるのだと思う。そういう意味では、隙間時間というのは、余白には適さないのかもしれない。そういった考えが浮かんでいい感じにゆったり過ごせているという状況を経験したことがない限り、なにもせずに待とうとは思わない。つまり、余白があってよかった、という体験をしないと余白を作り出すのは難しい。

とっちらかったが、つまり①余白が自分の価値とは関わらないということを意識する②余白での成功体験を作る、これらがあると余白を作りやすくなるのかもしれないなぁ、と謎に思いました。

余白は、まだ探求しがいのある部分なので引き続き考えたい。

なんにせよ、余白をつくることの大事さを改めて認識したなぁ。ゆったり生きよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?